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「呆れたよ、封じずに連れて帰って来たんだって?」
件の依頼先から戻り、着替え終えた美琴が居間へ報告に行くと、薄ら笑いを浮かべた真知子が湯気の立ちのぼる湯呑に息を吹きかけながら言ってくる。先に帰ってきたアヤメから大まかな話は聞いたみたいだけれど、怪我もなく帰宅したことに心底ホッとしているようだった。
帰って来たのは十五時過ぎで、普段からの祖母のちょうどお茶の時間。お茶うけにしていたのは、昨日の手土産として井上が持ってきた最中だ。
「まあ、アヤメが面倒みてやるって言ってるようだし良いが。あの狐の名前は、美琴がつけてやりな」
「名前?」
「式として契約してやらないと、屋敷の中に入れてやれないだろ。急いでおやり」
屋敷に張られた結界は、許可を得ていないモノの侵入を拒む。名を与えて契約したあやかし以外は一歩たりとも建物の中へは入って来れないのだという。だから今、三尾の子ぎつねは庭の隅にある鬼姫の祠で、呼んで貰えるのを尻尾を丸めながら大人しく待っているらしい。
「名前かぁ……ん? あの子、元から名前がないってこと?」
「名なんてのは、人だけのものだからね。人以外で名を付け合う生き物はいないさ。まあ、よっぽどの大物でもない限りは名なんて持ってない」
「そうなんだ」
ということは、ツバキやアヤメもこの家の先祖の誰かが付けた名なのだろう。種族が異なるのにどちらも同じように花の名なのが不思議だったが、これで合点がいった。なら、子ぎつねも二体に倣って花の種類から取るべきかと美琴は考えたが、どうもしっくりこない。
「……ゴン。ううん、ゴンタ」
いろいろ考えた挙句、オスの狐だと思うと、もうそれしか思いつかなかった。子ぎつねと言えば、『ごんぎつね』のゴンだ。この国の義務教育で完全に刷り込まれてしまっている。さすがにまんまは駄目だろうと、少しは変えてみたけれど。
真知子は「犬みたいな名前だねぇ」と言いながらも、孫娘へと契約の儀のやり方を伝えた。
美琴が庭へ出ていくと、妖狐は祠の前でお利口に前脚を揃えてちょこんと座って待っていた。アヤメから名付けのことは聞いたらしく、三角の耳をピンと張って尻尾をぶんぶんと振り回しながら、期待に満ちた目で美琴の顔を見上げている。
その小さくフワフワな毛で覆われた頭へ、美琴はそっと右の手を乗せる。掌には祖母に記してもらった契約の陣。そして、力を込めて祈るように唱えた。
「――このものへ名を与え、式とする。汝の名は、『ゴンタ』――」
唱え終わって手をひっくり返してみると、書いてもらった陣の墨色は薄くなっていたが、特に大きな変化はないように思えた。――否、目の前で変わらず尻尾を振り回している子ぎつねの姿に気付いて、美琴は目をギョッと見開いた。
「し、しっぽっ、増えてない⁉」
ブンブンと激しく動かしているから、初めは目の錯覚かと思った。けれど、目を凝らして何度見直しても、やっぱりさっきまでとは生えている本数が違うのだ。子ぎつねの尻から生えていた尻尾が、三尾から四尾へと変わっていた。モフモフが増量だ。
「え、なんで? 名前を付けたから? 妖狐の尻尾って、そういう感じで増えるもの?」
「やった! オレはまた一尾成長したということだ。人の子よ、礼を言ってやる」
自分の尻を振り返り、増えた尻尾を得意げに振り回して、三尾――否、四尾のゴンタは庭の中をご機嫌で駆け回り始める。言葉遣いは少々生意気だが、動きはまるで子犬そのまま。おかげで、古い日本庭園が完全にドッグラン状態になった。狐のことはあまりよく知らないけれど、少なくとも妖狐のゴンタに関しては犬と似たようなものと思っていていいのかもしれない。
無邪気な狐が飛び跳ねているのをしばらく眺めた後、美琴はゴンタを連れて屋敷の玄関の戸を横へ引いた。帰って来た時は結界で弾かれてしまって、アヤメから「チビ狐は入れへんし、外で待ってろ」と止められたみたいだが、今は美琴の後ろで恐る恐る出した前脚が何かに拒絶されることはなさそうだ。
「さっきはバチッとしたけど、もう平気だ」
「結界が受け入れてくれるようになったんだね」
無事に契約の儀式が成功したことに、改めてホッとする。真知子から教えて貰った通りにしたつもりだったが、正直言うといまいち自信がなかった。護符を作る時もそうだけれど、成果を目に見て確認できないのが一番困る。こういうのは経験を積めば何とかなるんだろうか?
真知子へ会わせる為にゴンタを居間へと連れて行くと、チビ妖狐は先程までの虚勢はどこへ行ったのかというくらい大人しくなった。座卓の前に敷かれた座布団の上で、借りて来た猫よろしく縮こまり、四つ全ての尻尾を萎れさせていた。
「別にお前に何かさせようなんて思っちゃいないよ。幼子をこき使う趣味はない」
同じことを美琴やアヤメが言ったのなら、「子供扱いするなっ!」と怒り出しそうなものだが、ゴンタは黙って首を動かして頷いて聞いているだけだ。この家で一番逆らってはいけない人が誰なのかを察したのかもしれない。おそるべし、獣の本能。