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日下部が再び通いはじめて、三週目の金曜だった。教室の空気は、最初に踏み入れたときより、確実に異様さを増していた。
──笑い声は減っていた。
誰もが、もはや冗談を必要としなくなっていたのだ。
命令は囁かれるだけで成立し、
誰が指示したのかも曖昧なまま、動きは連携する。
昼休みの机の配置が、昨日と同じ形で勝手に組み替えられていたことに、日下部は気づいた。
教室の一角。
カーテンで隠された窓際。
誰も「そこ」を直視しないが、誰も避けようとはしない。
遠巻きに談笑する数人の女子。
スマホを弄る男子の手元が、たまに揺れる。
日下部は視線を逸らさなかった。
そこにいるのが、遥だと知っていたから。
──スカーフのように制服のシャツが喉元で結ばれ、
頬には指の跡のような赤みが残っていた。
何かをされていたのは、見なくてもわかる。
けれど彼は、無言だった。
暴力の痕跡にも、誰かの視線にも、抵抗の気配すら浮かべず。
ただ、いつものように、無音でそこに“いる”だけだった。
不意に、日下部の視線に、遥の目が重なる。
ほんの一秒、いや、半秒にも満たない間。
──それは、訴えでも拒絶でもなかった。
ただの確認。
「今日も見てるんだ」という。
そこにあったのは、微かな──微かすぎて、かえって胸を抉るような、自嘲。
(……慣れてる。完全に、慣れちまってる)
日下部は、自分の指先が震えているのに気づいた。
まるでそれが、代わりに痛みを引き受けるように。
カーテンが閉じ直される音。
遥の姿は再び遮られた。
誰かが小さく笑い、教室の時間は何事もなかったように流れていく。
でも、確実に誰もが知っている。
──あそこに、壊れたものがいる。
それでも遥は、壊れたまま、黙って従っていた。
(……まだ、終わっちゃいねぇのかよ)
思わず唇を噛んだ日下部の眼前で、誰かがふざけた声で彼の名前を呼んだ。
「おい、日下部ー、顔こわ! もしかして、引いてんの?」
周囲の笑いに混ざるつもりはなかった。
けれど──遥のあの目だけが、今も焼き付いて離れない。
見ていることも、見ていないふりをすることも、
どちらも、同じくらい残酷だった。