テラーノベル
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「──なあ、“蓮司くんの飼い犬”ってほんと?」
最初に言ったのは、隣の席の男子だった。冗談めかした声に、周囲がざわりと笑う。
遥は、机に突っ伏したまま動かない。
けれど少しして、顔を上げずに言った。
「……違うよ、飼い猫。……ほら、鳴こうか?」
艶っぽく押し殺された声に、何人かが一瞬息を呑み、それからどっと笑った。
男子たちの間で“蓮司”の名が頻繁に出るようになったのは、ここ一週間のことだった。
蓮司が、昼にふらりと校門前まで来て遥を呼び出した日がある。
人目の多い正門の横。
遥は、なにも言わずに隣に立ち、笑っていた。
──それを、何人かが見ていた。
「おまえさ、調教されてんの? どんなコマンド覚えたんだよ」
「ねえ、蓮司様って呼んでみ? ごほうび、あるかもよ?」
「いや、“痛いの好きです”って言ってたって話もあるじゃん。なあ?」
教室が、笑いと悪意のざわめきに染まっていく。
誰も、遥が本気で怒るとは思っていない。怒らないだろう。
怒る権利なんて、最初から遥にはなかった。
遥は、静かに起き上がった。
口元にだけ、柔らかく歪んだ笑みを貼りつける。
「……ねえ、全部、正解だったらどうする?」
不自然なくらい滑らかな声。
睫毛の奥の目だけが、死んだ魚のように光を反射していた。
「……ん、誰か、躾してみる?」
男子たちが少しだけひるんだのは、その“やりすぎた色気”のせいだった。
仕草も、言葉のトーンも、明らかに誰かを真似ていた。──蓮司のような。
誰よりもよく観察し、なぞるように、自分を壊していく演技。
だが、演技は演技として、どこかで歪んでいた。
「なに、やめろって言えばやめるよ? ……そう教えられてるから」
言いながら、遥は自分の腕をまくった。
見せるつもりも、隠すつもりもなく、無数の傷跡と青痕が露わになる。
数人の視線が凍った。
だがそれを笑う声もあった。
「やっば。マジで飼われてんじゃん」
「なあ、蓮司ってさ、そういう趣味だったの?」
「てか、おまえ、それ、楽しんでんの?」
遥は、笑った。
「……うん。楽しいよ。──壊されるの、好きだから」
その言葉に、本気で怯える者と、爆笑する者と、距離を取る者に分かれる。
けれど──誰ひとり、止めようとはしなかった。
誰もが、遥が“そういうもの”だと知っていた。
知ったつもりで、安心したいのだ。
遥は、壊れていく自分を見せることで、
周囲の“都合のいい理解”に身体を合わせていた。
その中で、遥は──
「……じゃあ、次はなにされればいい?」
静かに、教室の空気を押し潰すような声で、そう言った。
心のどこかで、自分が何を言っているのかすら、わかっていなかった。
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