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ダイニングテーブルは四人掛けだったので、結葉はひとり、窓際に置かれた作業スペースからスツールを取ってきて、それに座って両親と山波親子の会話を聞いている。
立ったついでに公宣と想にコーヒーを淹れて、二人の前に置いた。
公宣はブラック。
想は、結葉の知る限りではミルクなしのコーヒーに砂糖をたっぷり入れた甘めのものを好んだけれど、今でもそれは変わっていないだろうか。
そう思いながら、想の方にだけスティックシュガーを二本置いたら「あ。俺の好み、覚えててくれたんだ」とニヤリとされた。
悪戯っ子のようなその笑顔にドキッとしてしまってから、きっと懐かしさでそうなっただけだと自分に言い聞かせた結葉だ。
独身の頃ならきっと、「サンキューな」と頭を撫でられていただろう。
想も、さすがに既婚者の結葉にそこまでの過剰なスキンシップは図ってこなかったけれど、結葉自身は偉央のように含みを感じさせない想の笑顔にホッとして、想の大きな手の温もりをふんわりと思い出していた。
***
「それでね、お父さんもお母さんもニューヨークから戻ってくるまでの三年間、家の管理を公宣さんに任せようかなって話してるの」
「一応賃貸に出すことも考えたんだけどな、やはり思い入れのあるこの家を見知らぬ誰かに委ねると言うのは気が引けてな」
美鳥の言葉を引き継ぐように茂雄が続けて。
二人してコーヒーカップを手の中に包み込んだまま。
それを飲むわけでもなく結葉を不安げに見詰めてくる。
結葉はそんな彼らに何と答えるのが正解か分からなくて「そう、なんだ」と力なくつぶやくことしか出来なかった。
「ゆいちゃんたちは住めないって言うし……どうしようってお父さんと話していたらね、ちょうどタイミング良く公宣さんが『家はどうするんですか?』って声を掛けて下さって」
元々建設事業の傍ら、携わった家の不動産絡みのことも手がけていた公宣が、「もし小林さんさえお嫌でなければ、定期的に家に風を通したり庭の手入れをしたりしますよ?」と気遣ってくれたらしい。
山波家としても住人を失った隣が荒れていくのを見るのは忍びないと思っていたし、だからと言って長年家族ぐるみで懇意にしてきた小林夫妻以外の人間が移り住んでくるのは嫌だな、出来れば一時帰国の際なんかにでも構わないから、気軽にふたりに戻ってきてもらえるようにしておきたいな、という思いが強かったのだと言う。
「知らない誰かが住むより、お二人が戻ってきやすいように管理しておく方がうちとしても安心だな、とか勝手に思っただけなんですけど」
もちろん空き家にしておかず、賃貸に出せばお金が入る。
さすがに収入に関わる問題に、公宣の個人的な思いを押し付けるのは良くないと思っていたらしいのだが、実際にふたりと話してみたら小林夫妻らも娘夫婦以外に貸すのはどうだろうと躊躇っているらしいと分かって。
「思わず、良かったらうちが管理しますよって言っちゃってたんだよ」
不安そうな顔をしている結葉に向けて公宣が「他意はないよ、安心して?」とでも言うみたいに微笑んで。
美鳥が、「うちにとっても願ったり叶ったりの申し出だったのよ」と援護射撃をしてくる。
片手間にやるし、別に金はいらないですよと言ってくれた公宣に、それではさすがに気が済まないからと有償で管理をお願いすることにしたらしいのだ。
「もちろん、公宣さんに任せっきりっていうのはどうかと思うし、ゆいちゃんも時々気にかけてくれたら嬉しいなって思うんだけど……どうかな?」
言われて、結葉は偉央とともに訪れるのであれば大丈夫かな?と思って、「わかった」と答えた。
今日は茂雄の休みに合わせて結葉も来るし、ちょうどいいと思って公宣と、家のことに関する最終確認をすることにしていたらしい。
「――それでね、折角だから庭の手入れみたいな力仕事は体力お化けの想にやらせようと思って……こいつも同席させたんですけど……問題ありませんか?」
急に水を向けられた想が、茂雄と美鳥に向かって軽く頭を下げて。
結葉は〝想ちゃんが実家に出入りするんだ〟と思ったら、何だか子供の頃に戻ったみたいでソワソワしてしまった。
「ゆいちゃんは……平気?」
美鳥が結葉に小声で「その、……うちに想くんが出入りしても」と問い掛けてきて。
結葉は内心ドキドキしながらも、未だに想を意識しているだなんて両親に勘違いされたくなくて、「もちろん。私には偉央さんがいるもん」と努めて明るく微笑んでみせた。
途端、一瞬だけ想に不審そうな顔で睨まれた気がした結葉だ。
(想ちゃん、昔っから変に鋭いところがあるから偉央さんとギクシャクしてること、悟られないようにしないと)
そう思ったら、自然カップを握る手に力が入った。
***
「あ、あのっ。コーヒーだけじゃ口寂しいし、……わ、私っ、お菓子取ってくるね」
今更別にその必要はない気もしたけれど、何となくこの場に座り続けているのがしんどくなって、結葉が慌てて席を立ったら、
「ありがとう、ゆいちゃん。――あそこの戸棚にこの前いただいたクッキーが仕舞ってあるから。悪いんだけどそれ、持ってきてくれる?」
美鳥がそう言って吊り戸棚を指差してくれて。
結葉は美鳥が自分の発言に乗ってきてくれたことに内心ホッとする。
美鳥が指示した吊り戸棚は、結葉の身長では台に乗らないと中のものに手が届きそうになくて。
椅子、持ってこなきゃとリビングの方を振り返ったら、「どこ?」という声とともに、目の前に想が立っていた。