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二週間。酒と女とタバコにまみれた時間だけが過ぎていた。
ライブ後の楽屋。
女を膝の上に乗せ、タバコをふかす。
煙の向こうで、若井と涼ちゃんが何か言いたげに俺を見ていた。
隣にいる女は居心地悪そうに身を縮めている。
「……なんだよ」
鋭く睨みつける。
若井が意を決したように口を開いた。
「なぁ、もとき。……最近ほんとに荒れすぎだよ。このままじゃ潰れる」
涼ちゃんも頷き、真剣な目で言葉を重ねる。
「俺たち、本気で心配してる。もときの作る音楽に惚れて……だから一緒にやってきたんだから」
――胸の奥がざわついた。
けれど、その感情に名前をつけるのが怖かった。
「……うるせぇよ」
吐き捨てて立ち上がる。
膝の上の女の腰を乱暴に抱え、そのまま楽屋を出た。
無言のまま廊下を歩く俺の横で、女は怯えたように体を強張らせていた。
殺気を隠そうともせずタバコをふかす俺の気配に、とうとう限界がきたのか――
「……ごめん、私、もう帰るね」
小さく呟き、腕を振りほどくと駆け足で去っていった。
追いかける気なんて、最初からなかった。
ただ、残された煙と虚しさが胸に広がる。
――誰も、俺を繋ぎ止められない。
その夜も結局ひとりで酒をあおり、酔いつぶれて帰った。
床に転がって眠り、目が覚めたのは朝の9時すぎ。
テーブルに投げ出していたスマホがけたたましく鳴っている。
画面には「圭史」の文字。
出る気はなかったが、しつこく何度も鳴るので、仕方なく通話ボタンを押した。
「……しつけぇよ。寝てたんだけど」
返ってきた声は苛立ちを押し殺していた。
『元貴。社長から呼び出しだ。30分後に車回すから来い。――逃げるなよ』
「はあ?」
聞き返す間もなく、通話は一方的に切られた。
静まり返った部屋に、切断音だけが虚しく響く。
タバコに火をつけながら、低く吐き出す。
「……もう、潮時かもしれねぇな」
通話を切ったあともしばらくソファに沈み込んでいた。
酒の残り香が体から抜けない。
頭の奥はじんじんと鈍く痛み、胃の中はいまだに焼けついている。
「……ったく」
重い体を無理やり引きずり、バスルームへ向かう。
熱いシャワーを浴びても、まとわりついた酒は抜けきれなかった。
流れる水と一緒に、胸のざらつきも洗い流せたらいいのに――そんな叶わないことを考える。
髪をざっと拭き、着替えを済ませる。
鏡に映る自分の顔は、どこか空っぽで、目の奥から覇気が抜け落ちていた。
あの頃、歌うために燃えていた自分の影すら見当たらない。
マンションの外に出ると、すでに黒い車が停まっていた。
後部座席のドアが音もなく開く。
ため息をつき、タバコをくわえる代わりに舌打ちをひとつ。
重い足取りで、その中に乗り込んだ。
乗り込むなり、圭史が低く吐き捨てた。
「……来ないと思ってたわ」
苛立ちと呆れが入り混じった声。
小さい頃からの長い付き合いで、しかも今はマネージャーだからこそ遠慮がない。
まともに返す気にもなれず、俺はただ窓の外へ視線を流す。
ガラス越しに映る街並みは昨日と同じで、何も変わっていない。
変わったのは――壊れきった俺の中だけだ。
沈黙に耐えかねたのか、圭史が口を開く。
「社長、相当ブチ切れてるから」
「……チッ」
舌打ちだけ返し、ポケットを探った指を握り直す。
タバコに火をつけられる空気じゃねぇ。
車内はそれきり静まり返り、無言のまま社長が待つ場所へと走っていった。
圭史が扉を押し開けると、重たい空気が全身を押し潰す。
奥の席には社長が腕を組み、鋭い目でこちらを睨んでいた。
机の上には山のような書類と、灰皿に押し潰された吸い殻。
「……座れ」
低く短い声。
椅子に腰を下ろした瞬間、社長の言葉が飛んでくる。
「大森。お前の最近のやり方、もう見ちゃいられない」
ドン、と机を叩く。
「ライブでの暴れ方、女遊び、酒。全部耳に入ってんだよ。クレームも山ほど来てる。
以前ならお前の才能を見込んで潰してきたが――もう限界だ」
鋭い視線がさらに増す。
「――若井と藤澤から、連絡があった」
心臓が一瞬跳ねた。
「俺たちじゃ止められない。だから社長から言ってくれってな。……お前の仲間がそう言ってんだ」
圭史が横から低く付け足す。
「元貴。あいつら、本気で泣きそうだったぞ。……お前を止められない自分らが、どれだけ悔しいか考えたことあるか?」
胸の奥がざわついた。
けど、素直に受け止めるのが怖くて、思わず吐き捨てる。
「……俺の勝手だろ」
社長の声が一段低く響いた。
「勝手? じゃあ聞く。お前はどうしたい。歌を続けたいのか、それともこのまま潰れるか」
言葉が喉に詰まった。
若井と涼ちゃんの顔が浮かぶ。
――そして、あの夜に消えたあの女の姿も。
拳を握り、俯いたままようやく絞り出す。
「……歌は、やめません」
社長がわずかに目を細めた。
圭史は黙ったまま、胸の奥で何かを押し殺すように息を吐いた。
しばらくの沈黙。
社長は視線だけで押し潰すように俺を見据え、重く口を開いた。
「……わかった。歌うなら歌え。だが次はないと思え」
机に置いた拳がわずかに震える。
その声には、怒りと同時に、本気の期待が滲んでいた。
「お前には才能がある。若井や藤澤も必死に食らいついてきた。……俺もそう思ってる。まだ信じてる。お前の歌なら、人を動かせるってな」
そして最後に突き刺す。
「……裏切るなよ。お前を信じてる仲間を、絶対に」
言葉を返そうとしたが、喉が詰まって声にならない。
ただ拳を握りしめ、俯いたまま呼吸を整えるしかなかった。
重たい沈黙の中で――確かに胸の奥に熱が戻りはじめていた。
会議室を出ると、圭史が短く言った。
「……帰るぞ」
俺は小さく首を振る。
「いや……自分で帰るから大丈夫」
すぐに1人になりたい、そんな気分だった。
圭史は何か言いかけて、結局飲み込んだ。
その沈黙が逆に胸に重くのしかかる。
廊下を歩く足音が、やけに大きく響いていた。