バスの窓から外の様子を確認しようとしたが、一面に結露が発生しており、見事に何もうかがえなかった。岩本は身を縮こませ、誰にも聞こえないように溜息をついた。
本日は昼を過ぎたあたりから雨が降りはじめ、それがつい先刻から雪となった。朝の寒さはそれほどでもなかったというのに、雨が降りだしてからは、身が竦んでしまうほどに冷え込みが酷くなる始末。バスの大きな揺れにからだを預ける岩本は、タクシーを拾えばよかったと今更ながらに後悔する。
耳が拾う音の大きさからして、外は変わらず雪が降っているはずだ。これではバスを降りた途端に、手提げの紙袋が濡れてしまう。
岩本が大事そうに胸に抱えるその黄色の紙袋は、すこし前におりた駅で立ち寄った店のものだ。愛らしい猫がたくさん描かれたそれの中に、小さくまるい缶が二つ、色違いに並んでいる。買ったことは後悔していない。しかしイベントごとに力を入れた華やかな店先で、こんな大男が長時間も仁王立ちするのはどうかと思ったので、買おうと決めていざ店の前に行くと、目についた桃色と黄色のクッキー缶をさっと手に取りレジへ向かったのである。
あの瞬間に感じたなんとも言えぬ気恥ずかしさを思い出していると、バスはいつの間にか目的の停留所で停車していた。岩本は我に返り、出口へ流れる人の列に慌てて自分も並んだ。
傘をさしても風のせいで横から雪がからだに当たるが、そんなものは構っていられない。とにかく早く目的地へ辿り着きたい岩本は、玄関先で出迎えた佐久間に目を丸くして驚かれた。
「えっ、照に雪積もってる! 今めっちゃ降ってんの知らなかった……。え、傘は?」
全身が雪やしずくで濡れ鼠のようになっている岩本を見た佐久間は、質問を投げつつ、洗面所からタオルを持ってきてずぶ濡れの男に渡してやる。
「さしてたよ。でも走ったから意味なかったかも」
岩本が平坦な声で理由を述べる。それを聞いて佐久間はすこし呆れたといった表情を向けた。
「なんで走ってくるのよ」
「……会いたかったからに決まってんじゃん」
佐久間のいささか馬鹿にしたような声色に逡巡した岩本は、やや出遅れてそう言い、唇を尖らせた。対する佐久間はそれを聞いて固まる。今度は佐久間がうろたえる番だったが、果たして声を出すのに五秒ほどを要した。
「──なに、そん……なんだよお、急に嬉しいこと言わないで!」
その場で地団駄を踏み、頬をうすく赤らめた佐久間は、「風邪引くから早く上がって!」と平静でないながらに岩本を家の奥へ手招いた。岩本は嬉しそうに頬をゆるめる。
佐久間から受け取ったやわらかいタオルで頭を拭きつつも、背に隠した紙袋が自分のしずくで濡れてしまわぬよう細心の注意をはらい、まだ濡れていない面でそれを覆った。
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