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大海原の地平線から、太陽がそろりそろりと顔をのぞかせる。
それが新円を描ききった時、この国も全身を照らされ、ゆっくりと目を覚ます。
イダンリネア王国。コンティティ大陸の最も東に位置する大国。
夜明けと共に起床する者も少なからず存在するが、大多数はまだ夢の中におり、本来ならばその少年も惰眠をむさぼるはずだった。
(ん……? なんか……、痛い……)
硬い床とその冷たさが安眠を妨げ、意識を覚醒へ向かわせる。
自分がどこにいるのか、それすらもすぐには飲み込めない。体のあちこちに走る痛みが、脳をさらに混乱させるためだ。
降り注ぐ陽射しを後頭部や背中で浴びながら、静かに呼吸を整える。
(ここは……? 地面?)
薄眼を開けて景色を分析する。
自分の髪色に近い、灰色の世界。
正しくは、石造りの道と壁。
(お腹が、痛い……。なんで? あ、そっか……。あの子に殴られたんだっけ……。って、なんで殴ったの⁉)
少年は腕立て伏せのような動作で上半身だけを起こす。
ウイル・ヴィエン。脳はあっさりと覚醒し、昨晩のことをつらつらと思い出す。
「うぅ、これはやばい……。はぁ~」
唸らずにはいられない。全身が筋肉痛で痛み、腹部に関しては別の理由でさらにひどい。
その上、石製の道をベッド代わりにしてしまったのだから、首や胸部、肩といった部位が凝り固まっている。
(寝たのに逆に疲れが溜まったような……。あぁ、だるい。しんどい。痛い。でも、起きなきゃ……)
太陽も寝起きなのか、降り注ぐ朝陽は弱々しい。
それでも二度寝をする気にはなれず、ウイルはあぐらの姿勢でその場に座り込み、これからのことを考える。
(誰にも起こされなかったってことは、まだそういう時間なのかな。空気がすごく静かだし、きっとそうなんだ)
その予想は正しい。ここは宿屋付近の裏道だ。大通りと比べれば、人の往来は圧倒的に少ないが、それでも無いわけではなく、そんな場所で子供が眠りこけていれば、通行人が心配そうに声をかけるはずだろう。
そうならなかった理由は、ウイルが誰よりも早く目覚めたからであり、時計を見るまでもなく、今が明け方だと推測出来る。
空はまだまだ青色には染まりきっておらず、その薄暗さはどこか神秘的だ。
(二日連続の寝落ち……。そして、お風呂にも入れず……。これが……傭兵かぁ。僕、やっていけるのかな)
貴族の子供として、なに不自由なく、十二年間生きてきた。非常に恵まれた環境だと理解はしていたが、この二日間は真逆だ。
その落差に耐えきれず、ウイルの心はしょんぼりとしぼんでしまう。
昨晩に関しては二人組のせいで意識を失ってしまっただけなのだが、傭兵として生きていくと決めた以上、今後も何が起きるかはわからず、自分の立場をぼんやりとだが実感する。
傭兵。イダンリネア王国に存在する職業の一つ。その仕事は多種多様だ。
魔物の討伐。
市民の困りごとを解決。
遠く離れた場所への配達。
軍事作戦への参加。
こういった依頼をギルド会館にて選び、達成することで収入を得る。傭兵とは、とどのつまり何でも屋だ。
魔物は人間にとって最大の脅威であり、この千年で数え切れぬほどの命が奪われ続けてきた。
魔物の排除は一筋縄ではいかない。その強さは想像の上をいく。
ならば、蛇の道は蛇。傭兵という狂人の力を借りる他ない。
この少年も、普通という領域から足を踏み外す。安全とは程遠く、いつ死ぬかもわからない。
それでもそうするしかなかったのだから、悔いだけはない。
やり遂げられるかはわからずとも、前だけを向いて歩き続けるつもりだ。
決意を胸に、ウイルはのっそりと立ち上がる。
(お風呂……、入りたい。宿の銭湯行こう……。もうやってるかな?)
宿屋は宿泊施設だが、大きな浴場も備わっている。料金さえ払えば宿泊者でなくとも利用可能だ。
重い体を引きずるように、少年は歩き始める。
痛い。
しんどい。
べとべとしている。
そんな三重苦に耐えながら、静かな町の中を黙々と進む。
(何時に出発するのかな?)
今日はいよいよ旅立ちだ。もっとも、目的地は本来の場所ではなく、ルルーブ森林に変更された。迷いの森があるミファレト荒野に立ち入るためには、傭兵の等級を一つ上げなければならないからだ。
昇級のために必要な指定品は三点。
十万イールと、ルルーブクラブの鋏と、スケルトンの仙骨。
お金は持ち合わせているため、残りを入手する必要がある。
そのために、ウイルはエルディアと共に今日、旅立つ。
にも関わらず、出発時間すら実はまだ決めていない。傭兵にとってはそれが普通なのか、エルディアがルーズなだけなのか。それを知ったところで意味などないのかもしれないが、貴族として規則正しく生きていた子供からすれば驚き以外の何物でもない。
太陽がゆっくりと上昇し、朝陽もまぶしさを増していく。
今日という一日が始まる。
昨晩の事件は既に過去の出来事だ。蒸し返したところで意味などないのかもしれない。
それでも腹部が痛むことには変わりなく、ウイルは時折さすりながら、トボトボと道沿いに歩く。
旅立ちはもうすぐだ。今は準備に励み、エルディアとの合流に備える。
ルルーブ森林。マリアーヌ段丘を越えた先に、それはある。
◆
「いきましょー」
彼女の第一声が、棒立ちの少年へ送られる。
ここは傭兵達が集うギルド会館。
ウイルは入館後、右手側の依頼スペースにて、掲示板の一つを呆けながら眺めていた。今後はここで仕事を選び、こなすことで生計を立てていかなければならない。そのためにはどんな依頼が貼りだされているのか、その傾向くらいは把握しておいても損はない。気の早い話かもしれないが、空き時間の暇潰しには丁度良い。
現在の時刻は朝の八時過ぎ。商店はまだ開きはしないが、ここはその機能を一日中運営している。
入って左手側の食堂については夜中の間だけ閉店してしまうが、それでもこの時間帯なら既にサービスを提供している。
「あ、おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「なんかおもしろい依頼あるー?」
彼女の名はエルディア・リンゼー。等級三の傭兵であり、少年の隣でモブカットの茶髪を傾けながら、掲載中の羊皮紙達を見比べる。
「い、いえ、まだ、よくわからなくて……。ここの掲示板は、高額なものが多いですよね?」
「あー、特異個体だね、ここのは」
特異個体。手ごわい魔物の中でも、さらに目を見張る存在をそう呼んでいる。人間の中にも、ウイルのような非力な子供がいる一方、エルディアを筆頭に異常な身体能力を持ち合わせた傭兵がいるように、魔物にもそういったイレギュラーとも言うべき個体が時折現れる。
胴体が他より大きいもの。
牙や爪が異常発達したもの。
鱗や皮の色が他と異なるもの。
そういった魔物を特異個体と名付け、外見だけが異なるのなら特段注意する必要はないのかもしれないが、眼前の掲示板に貼りだされたそれらは、懸賞金をかけられる程度には強敵だ。無駄死にを避けるためにも、遭遇しないよう注意する必要がある。
「上の方の……、十万イールのが四体ずらっと並んでますけど……。他が二十万とか五十万とかするのと比べれば、随分安いですね。弱いんですか?」
ウイルは掲示板をぐいっと見上げ、最上段の張り紙を見つめる。他と比べると色褪せ、文字もところどころがかすれてしまっている。その羊皮紙四枚には他を圧倒する年季を感じずにはいられない。
「いやー。そんなことはないみたい。私は挑んだことないから詳しくは知らないけど、誰も勝てないから放置みたいだよ。強い上に遠くて、報酬も安い。だからまぁ、釣り合わないってことでチャレンジする人も少ないみたいだねー」
「なるほど……。確かに、生息地はここからだと何週間もかかりそう」
ならば往復だと一か月前後か。仮にその特異個体を討伐出来たとしても、十万イールしか得られないのなら赤字に終わるだろう。傭兵にとって遠征は出費が大きく、戦闘で武器や防具が破損したならば、それこそ割に合わない。
挑む者がいない。もしくは少ない。その上ハードルが高い。ならば、これら四枚の羊皮紙が貼られたままであっても仕方ない。
(何年も……。いや、何十年と放置されてる魔物なんだろうな~。傭兵組合もそれでよいって考えてるのかな? まぁ、ここまで攻め込んでこないのなら、確かに無害か)
ウイルの予想は正しい。もし、危険度の高い特異個体が倒されないままなら、傭兵組合としては報酬を釣り上げ、討伐を促す。
だが、そうしない理由はそれらが脅威ではないからだ。
人畜無害なら、そのままにしておいても問題はない。傭兵も軍人も、その数には限りがあるのだから、戦力は有意義に使うべきだ。
「こっち見た? 素材集め系が中心だから、もっと簡単で手軽に受けられるよ」
「あ、まだです」
エルディアは別の掲示板に移動しており、ウイルはぴょこぴょこと追いかける。
「ルルーブクラブうんぬんっての、ないかなー? ついでにやれちゃうのに」
「それもそうですね……。あ、これとか?」
一枚の羊皮紙が二人の視線を呼び寄せる。
記載内容はシンプルだ。ルルーブクラブの肉、三体分。状態問わず。と書かれており、報酬金額は二万イールだ。
(二万か、少ないなぁ。往復で二週間くらいかかるのに……。これじゃ、生活すらままならない)
一般家庭における一か月の収入が二十万から三十万イール、二週間という期間で区切るなら十万イール程度か。
それと比べ、危険が伴う傭兵の仕事はもっと多くなければならないはずだが、現実は非常だ。
「お? いいねー、それそれ。早速受けてこよっと」
エルディアは嬉々として、張り紙を剥がす。早速、窓口へ持っていくつもりだ。
(え、い、いいの? たったの二万イールなのに? あ、でも、足しにはなるか。何もしかえればただ働きだし……)
二万イールが低いのではなく、かかる時間に釣り合わないことが問題だ。
ならば、ついでにこなす仕事としては申し分ないのかもしれない。
「これ受けてくるから、ちょっと待っててねー。あ、こっちの掲示板もおもしろいよー」
「あ、はい。時間潰してますー」
彼女の色っぽい後ろ姿を眺めながら、ウイルは言われた通りに隣の掲示板へ移る。
そこに貼りされている依頼は、確かに今までとは一線を画す内容ばかりだ。
シイダン村の祖父へ差し入れを届けて欲しい。
あっと驚くような飲み物を飲みたい。巨人族が作るスープでも可。
折れた釣り竿をください。
アダラマ森林の道しるべが汚れているため、磨いて綺麗にして欲しい。
マリアーヌ段丘の最も高い丘の頂上で焼いたソーセージを食べたい。
(なるほど……。意味がわからない)
少年は首を傾げる。依頼を出さずとも自分でやればよいのでは、と思いつつも、人には人の事情があるのだろうと納得するが、それでもその内容には疑問を感じずにはいられない。
「お待たせー。良さそうなのあった?」
「そ、それがさっぱりで……。これとか、普通なんですか?」
「んー?」
手続きを終えたエルディアが笑顔で戻ると、ウイルが指さす羊皮紙を眺め始める。
「んー……、意味わかんないねー」
「あ、ならよかったです」
自分がおかしいのではなく、依頼の方が突拍子もなかった。そう理解出来たことで、ウイルは傭兵に対し偏見を抱かずに済む。
「じゃあ、準備済ませちゃおう」
「は、はい……!」
エルディアの発言が見習い傭兵をドキリとさせる。
出発の時が近づいている。そう考えるだけで、ウイルの鼓動は高まってしまう。
今回の旅は一日、二日程度では到底済まない。最短でも二週間前後はかかる見込みだ。この先、何が起きるかわからない。期待と不安に抱かれ、平常心など保っていられるはずもない。ましてや子供なら当然だ。
二人は建物の反対側へ向かい、数日分の食糧を買い込む。そこは食堂ながらも、保存食の類も持ち帰ることも可能だ。
エルディアはそれらを大きな鞄に、ウイルは小柄なマジックバッグに詰め込み、いよいよ正門へ向かう。
等級二へ昇級するための試験は昨晩の内に受領済みだ。
最低限ながらも旅支度も済ませたのだから、準備は整ったと胸を張り、この国を旅立てばよい。
天気は快晴。気温も丁度よく、とまどう要素など一つも見当たらない。
それでも、しいて挙げるとするならば。
(本当に、いいのかな? この人に手伝ってもらって……)
そう思わずにはいられない。
彼女は無賃でこの役を受けてくれた。先ほど、ルルーブクラブ三体の肉集めという依頼を受領したものの、期間に対して釣り合ってはいない。
なぜ、見返りを求めないのか?
なぜ、出会ったばかりの自分を気にかけてくれるのか?
わからない。わかるはずもない。
もちろん、推測は出来ている。
エルディア・リンゼーという女性の良心がそうさせる、と。
当たっているのか、見当違いなのか。
正解はわからずとも、今は隣を歩いてくれている。
ならば、今はそれにすがるしかなく、傭兵の助力がなければ母を救えないのもまた事実だ。
利用するしかない。言い方は悪いが、彼女の実力を当てにしなければ、試験の合格など夢のまた夢だ。
もっとも、そう思うことに負い目を感じる必要はない。
なぜなら、エルディアもまた、この状況を利用している。自分の動機に対する建前として、ウイル・ヴィエンという子供に手を差し伸べているだけだ。
ゆえに、どちらも存分に相互を利用すればよい。傭兵らしい、シンプルな間柄だ。
「さぁ、出発!」
「なんだか、ドキドキしてきました……」
「だいじょぶだいじょぶ」
二人は旅立つ。
目的地はルルーブ森林。緑に覆われた自然豊かな土地だ。当然、魔物も生息しており、実はマリアーヌ段丘よりも危険度は高い。
「今日はどこまで進むんですか?」
ウイルの疑問はもっともだ。実は具体的な計画を未だに話し合っていない。
「行けるところまでかなー?」
つまりは行き当たりばったりだ。エルディアの傭兵らしい態度は頼もしい反面、少年を少しだけ不安がらせる。
そして景色がガラリと変わる。
王国の美しい街並みは終わりを告げ、入れ替わるように緑色と土色が織りなす大草原が目の前に現れる。
ウイルにとって二度目のマリアーヌ段丘。
一昨日は傭兵になるために。
今回は昇級するために。
そして、タイミングは未定だが、三度目は薬を入手するためだ。
「が、がんばって歩きます……」
緩やかな曲線を描く草原地帯。場所によっては登り、少し進めば下る。その繰り返しがマリアーヌ段丘の進み方だ。
多少遠回りにはなるが、平坦なルートも存在する。千年もの間、踏みしめられた地面が道となり、商人や旅人はこちらを好む。
体力を消耗するが、最短ルートを進むか。
時間はかかるが、歩きやすい道を選ぶか。
今回は後者だ。エルディアがウイルの身体能力を考慮して、そちらを選択する。
「この辺りはうさぎしかいないから、気張らなくていいよー」
「た、確かにそうですね……」
イダンリネア王国を飛び出せば、そこから先は魔物の生息域であり、常に死と隣合わせだと思わなければならない。
だとしても、今はピクニック気分でも大丈夫だ。草原ウサギは近寄らなければ無害に近く、ましてや文字通り傭兵が随伴してくれている。
「今日は風が気持ちいいねー」
西風が乾いた空気を運び、彼女の髪やロングスカートをそよそよと揺らす。今日の服装は昨日と大差なく、上半身には黒い薄着とその上に灰色の胸部鎧を、下半身は茶色の丈長なスカートを身に着けている。
背中にはスチールクレイモアと巨大な鞄を背負っており、誰が見ても傭兵の身なりだ。
一方、ウイルは貴族らしさが薄れ、庶民のような見た目に変貌する。昨日まで着ていた服はあちこちが破れ、土や血液で汚れてしまった。ゆえに安い衣服を買いなおし、今は上下共に質素な子供服で済ませている。
しかし、腰には短剣が一本ぶら下がっている。飾りではなく、正真正銘の刃物だ。実力は伴わないが、この少年もまた、傭兵としての一歩を踏み出した。
(父様、母様、サリィさん、シエスタ、行ってきます。必ず、帰るから……、待ってて)
心の中で、ウイルは両親と二人の従者に誓いを立てる。
母を救うため。
いじめから逃げ出すため。
そのために、人生の岐路で新たな分かれ道を選択したのだから、今はわき目もふらず前進だ。
彼女と共に突き進む。安全と危険を区切る境界は越えてしまったのだから、その先に何が待ち構えていようと、傭兵として立ち向かうしかない。
今はそう自分に言い聞かせて、小さな足は一歩ずつ大地を踏みしめる。