「宗親さん、うちの父と祖父をどうやって説得なさるおつもりですか?」
帰りの車中。
結局私の地元まで出向いたのに、跡取り問題が解決に至らなくて、一時的に上手く進んだかに思われた宗親さんと私の婚姻の話は一旦保留になってしまった。
父としても、織田家のような格違いの家との縁故を無下に手放すのは惜しかったのか、頭ごなしに反対という感じではなくて。
「親族で話し合う時間をいただけないだろうか」
結局どこか煮え切らない態度でそう言って。
父の言う〝親族〟にはきっと母や祖母は含まれていない。
結局のところ自分だけで判断が出来そうにないから、祖父と相談しようという腹積りなんだろうな。
父より柴田の家の存続に執着しているように見える祖父がどういう結論を下すのか、私は実際心配でたまらないの。
だけど宗親さんは全然焦られている様子はなくて。
うちのおじいちゃんのことを知らないから、きっとこんなに悠長に構えていられるに違いないの。
「うちの祖父はそんなに簡単じゃないと思うんです」
助手席で。
ももに載せた手をギュッと握り締めたら、右手でハンドルを握ったまま、宗親さんが左手で私の手をそっと包んでいらした。
その大きくて温かい手に、私はドキッとしてしまう。
「春凪。大丈夫だから僕に任せて? ほら、前に言いましたよね? 僕には割と人たらしの才能もあるから春凪の親御さんにも確実に気に入られる自信がありますって」
視線は前に向けたまま。
宗親さんが私の手に載せた手に、ほんの少し力を込めていらっしゃる。
不意に窺い見た彼の横顔は、優しい笑みを浮かべていて。
私は知らず知らず強張らせていた身体の力を抜いた。
恐る恐る問えば「ないと思いますか?」とクスッと笑われた。
私が宗親さんのその言葉にすごくすごく勇気付けられたと同時、「とは言え、僕は動きませんけどね」と小さく付け加えられて、「どういう意味ですか?」と彼の顔をじっと見詰める羽目になる。
けれど、「そのうち分かると思いますよ」とクスッと笑われて、それ以上は教えて頂けなかったの。
***
実家への訪問から2週間近く経った頃。
お風呂上がり、半袖にハーフパンツのパジャマ姿で、リビングの宗親さんから離れて自室で涼んでいたら、携帯が鳴った。
部屋には入居したばかりの頃にはなかった扇風機が増えていて。
それは梅雨入りして間もない頃、宗親さんが必要でしょう?と部屋に持ってきて下さったものだ。
もちろんあてがわれた部屋にはエアコンだってちゃんと完備されていたけれど、それはそれとして扇風機の存在はすごくありがたくて。
薄桃色を基調に、送風部の内周だけが差し色のように白色の羽なし扇風機は、別に必要ないだろうに丸型の頭部にウサギの耳が付いた可愛らしいデザインだった。
明らかにわざわざ私の好みそうなものを新調して下さったようにしか思えなかったのに、何故か箱無しの裸ん坊で説明書とリモコンをビニール袋に入れられて私の手元にやってきたその扇風機を受け取りながら、私の頭の中は疑問符で満載だった。
時を同じくしてリビングにも羽なしのスタイリッシュな扇風機が出ていたけれど、そちらは白とシルバーを基調とした落ち着いたものだったから、やっぱり明らかにピンクのは私仕様だよね?と思って。
もし新調して下さったんだとしたら、何だか申し訳なく思って。「もしかしてわざわざ買って下さったんですか?」とお聞きしたら「まさか。妹からのお下がりですよ?」とか……本当ですか?
可愛い割にしっかりとした風量のある扇風機の風に当たりながらじゃ、風の音が通話の邪魔かな?とスイッチを切ってスマートフォンの画面に視線を落とす。
番号だけが通知されているところを見ると、未登録の相手だ。
私、基本的には未知の番号からの着信には出ない主義だったけれど、不動産屋さんとの連絡ミスからの家なき子の記憶がまだ生々しく心の傷として残っていたから、警戒しながらも通話ボタンを押した。
「――もしもし?」
出たと同時、
『……春凪ちゃん? ああ、よかった! 知らない番号からだから出てくれないかとドキドキしちゃった!』
とやけに気さくな感じで女性に名を呼ばれて。
私は一瞬電話の相手が誰だかピンとこなくて、携帯を耳に当てたまま黙り込んだ。
と、
『え? もしかして分からないのっ? お母さんよ?』
キョトンとした声音で言われて「えっ。お母さん!?」と思わず大きな声になってしまう。
普段固定電話からかかってくるときの、どこか抑圧された雰囲気の声音とは余りに違う弾んだ様子に、声は似ているけれど別人だと勝手に脳が認識したみたい。
お母さんは『春凪ちゃん、耳が痛いわ』って笑ってから、『葉月さんのお勧めでお母さんとおばあちゃん一緒に、携帯デビューしたの』と続けて。
――……葉月さん?
一瞬お母さんが誰の話をしているのか分からなくて、私はスマートフォンを手に記憶の引き出しを模索する。
『やぁねぇ。宗親さんのお母様よ?』
母に言われて、「そうだった!」と思いはしたのもの、何故うちの母から葉月さんのお名前が出るのか分からなくて困惑してしまう。
お母さんの話では、先日実家の方へ葉月さんからお電話があって、母と祖母と葉月さんの3人でお茶でもどうかしら?と誘われたらしい。
男性陣を最初から除外したような采配に、母が躊躇う素振りを見せたら、「女同士で腹を割って話してみたいの」と言われたみたい。
「父と祖父には後日主人の方から埋め合わせをさせるから」と付け加えられて、お父さんに電話を変わって欲しいと仰ったんだとか。
葉月さんが父とどんな話をなさったのかは母には分からなかったけれど、父は上機嫌で「行ってくるといい」と言ってくれたらしい。
祖母の方も母と同じような経緯で、地元の喫茶店で母と祖母は葉月さんと会ってきた、と――。
『春凪。葉月さんってすごい人ね』
お母さんがこんなに明るく声を弾ませることなんてお父さんが出張などで家をあけるときぐらいだったから、私は今、お父さんは留守かしら?とか思ってしまった。
「お父さん、お出かけ中なの?」
それで話の流れを無視してそう言ったら、『え? 居間にいるわよ?』と返ってきて。
思わず「えっ!?」と声を上げたら、『だってお母さんね、目が覚めたんだもん』とか。
私は何が何やら分からないままに、お母さんのマシンガントークを聞かされて。
情報が処理しきれなくて意識が遠のきかけた頃、『それでね、春凪ちゃん。この間の宗親さんとのことだけど――貴女は貴女のしたいようにすればいいと思うの』って言われた。
「私の……したいように……?」
思わずつぶやいたら『そう。好きな人のところへお嫁さんに行きたいなら行っちゃいなさい! 柴田に縛られることなんてこれっぽっちもないんだから!』と言い放たれて。
私はお母さんの自信たっぷりなその口ぶりに、ますます混乱してしまう。
「それってお父さんとおじいちゃんは……」
恐る恐る問いかけたら、
『あの人たちが反対してたってお母さんとおばあちゃんは賛成だから。それでいいじゃないの』
って呆気らかんと返された。
「え。でもお母さん……っ?」
尚も言い募ろうとした私に、お母さんが凛とした声音で言い放つ。
『忘れたの? 春凪。――柴田は女系家族なのよ?』
私はそこで、いつか母に言われた言葉を思い出した。
――柴田家には呪いのように女の子しか生まれない。
――きっと、将来春凪ちゃんが産む子も女の子ばっかりよ。
『お父さんもおじいちゃんも柴田の血なんて引いてやしないんだもの。部外者に好き勝手言わせる義理なんてなかったんだわっ。――どうしてお母さんもおばあちゃんも、今までそんな単純なことに気付けなかったのかしら。私たち、葉月さんのお陰でそれに気付けたの』
お母さんの言葉に、私は息を呑んだ。