派手派手しい工房馬車が港町アクトートの狭い通りを爆走する。石畳を叩き割り、無辜の家屋の壁を削って装飾の貝殻を撒き散らしながら突き進む。そして立ちはだかる魔物を轢き潰す。
馬なしで動く馬車をさらにユビスに牽かせた。馬装は工房馬車中から搔き集めたありものを使い、鼠たちの連携によって猛然と走る恐れ知らずのユビスを補佐する。
レモニカは次々に様々な姿の魔物へと変身するが、せいぜい工房馬車の一室に入る程度の大きさだ。それは町で暴れる魔物たちの大きさがその程度だということだ。メヴュラツィエとボーニスはもっと大きな獣に変身していたが、何がその違いを生むのかは分からない。単純に融合させた生物の数だろうか。
ともかく工房馬車の質量とユビスの馬力であれば、魔物に押し負けるということはない。無残に轢き潰される魔物への憐れみは心の奥底にしまっておく。後でも出来ることだ。
レモニカは菩提樹の庭で行く手に目を凝らす。庭を生き生きと照らしていた夏の魔法はいつのまにか失われている。
前方以外、まるで外の様子が分からないので鼠たちの報告を聞き、ゲッパを介して指示をする。
ベルニージュの炎の巨人はどこにいてもその姿が見える。燃え盛る意志持つ炎は町の北西を徘徊して、時折何かを踏み潰す。ユカリは中央から南へと人々を誘導している。グリュエーの風に吹き飛ばされる人々の悲鳴が時折降ってきた。
南へと逃がすのは、北にあるトンド王国から魔物を恐れて逃れて来た難民であるから、移動に対する心理的抵抗が少ないということだろうか。炎の巨人が北に立ちはだかっていることも安心をもたらす要因になるのかもしれない。
一方、町の南東ではサイスの魔法が魚群を追う鴎のように飛び回っている。南側に魔物がいないわけでもない、ということだ。
レモニカは目に入った魔物を全て轢きながら、さらなる獲物を求めて南西へ移動するように指示する。逃げ惑う難民たちの退路を塞がれては避難も何もない。グリュエーの風とて吹ける範囲は限られている。そもそも家の中に閉じ籠っている者の方が多いのではないかとレモニカは考えた。
そうして南西で数匹の魔物を轢き潰すが、全数が分からない以上、ここに留まって良いものか分からない。もしも他の地域に魔物が集中しているなら、何匹か捨て置いてでも移動したいところだ。
「どこへ向かったものか。何か町全体の様子を知る方法があればいいのですが。どうお思いですか? 陛下」
ひっくり返った杯の上でふんぞり返るゲッパを、レモニカは歪な姿の魔物の目で見る。
「うむ。迷ったときはユカリどのの言葉を思い出すが良かろう。すなわち己の居所と、行くべき場所を知ることだ」
「しかし今は行くべき場所を知りたいのですが」
「そうではなかろう」小さな鼠のゲッパ一世は厳かに首を振る。「行くべき場所は、我らが最も良き働きを行うことだ」
「良き働きを行う、こと? そうか。そうですわね」レモニカは何度か頷き、思考に沈む。「ユカリさまのおっしゃっていた話はあくまでたとえ話。では我らの居所は、一撃で魔物を屠れること、あるいは素早く移動できること……。進むべき道は……」
その時、猿のように飛び跳ねる馬の姿をした魔物を見つけ、それに追われる姉弟だろうか、二人の子供の姿が見え、レモニカは突撃を命じる。
しかし猿馬は鋭敏に危機を察知し、迫りきた馬車から素早く身をかわし、急勾配な民家の屋根の上にどたどたと上がり、威嚇するように平らな歯を剥いて吠えたてる。
「扉を開けて子供を中へ。子供が乗ったら発進です」
レモニカの姿は猿馬の姿へと変わる。尾は鼠だったので、つまり鼠の要素があったので、鼠たちとの会話は絶たれなかった。
中々馬車が発進せず、姉弟が工房馬車に乗ることを躊躇っていることに気づく。弟の方は泣いている。
「泣くのを止して早くお乗りなさい! 猿馬から逃げますわよ!」
レモニカは祈るような思いで威圧的に聞こえない程度に扉の向こうに声をかける。
ようやく工房馬車が発進する。とにかく南へ、そして人を見かければ必ず乗せるように命じる。魔物を轢き殺すかどうかはその都度判断する。それが今の状況でできる最も良き働きだとレモニカは考えた。
「ありがとうございます。陛下。さすが犇めき騎士団総長ですわ」とレモニカは魔物の身を折って恭しくお辞儀する。
「なんの。予はレモニカどのを信じていただけのこと」ゲッパはふんぞり返りつつも窺うような視線をレモニカに向ける。「だが、王に相応しい振る舞いだったと申してくれるならばこれ以上の喜びはないのだが」
「もちろんですわ、陛下。知恵深きは幽霧の谷が如く。懐広きは分かつ河の大洋の如く。まこと王に相応しき御方ですわ」
南へと走り、逃げていた人を乗せ、また人を乗せ、魔物を轢き、人を乗せ、二十人以上を乗せて走っていると、工房馬車が大きく揺れる。遅れて鼠たちの報告が入る。どうやらさっきの猿馬が追って来て屋根の上に飛び乗ったらしい。屋根の上で暴れているらしく、軋む音を聞く限り、いつ破られて侵入されるか分からない。
止まるわけにはいかないが、このままユカリが人々を逃がしている南へと向かう訳にも行かない。かといって北へ戻れば工房馬車の中の人々が恐慌状態に陥るだろう。
「他にありませんわね」と言って猿馬姿のレモニカは工房馬車の真っ当に冬な庭へと出る。
「供をしよう」ゲッパが杯から飛び降りる。「予について参れ! 犇めき騎士団!」
屋根の上にのぼるレモニカに沢山の鼠たちがついてくる。雪の中でクオルとボーニスを襲った時ほどの数ではないが、とても心強い味方だ。
威嚇するように屋根の上で跳ねる猿馬にレモニカは問答無用で飛び掛かった。首を押さえつけ、引き倒し、そのまま蹴落とそうとするがかわされる。鼠たちが猿馬の後ろに回り込んで飛び掛かり、その隙をついてレモニカは殴り掛かる。だが、誰に近づいたのか、レモニカはより小さな魔物に変身してしまい、拳は拳ですらなくなってしまう。馬のような蹄に犬のような体だ。
猿馬にのしかかられ、屋根に押さえつけられ、それだけで息ができなくなる。何かにすがるように視線を巡らせるが捲れ上がった屋根瓦以外、辺りには何もない。鼠たちの姿も見つからない。耳を屋根に押し付けているために、馬車の中の人々の短い悲鳴が時折聞こえてくる。遠退く意識の中で、馬車の中から種類の違う悲鳴がレモニカの耳に届く。不安からの悲鳴ではなく、目の前に脅威の迫っている劈くような悲鳴だ。
次の瞬間、レモニカは再び猿馬の姿に戻って、その勢いで拘束から逃れる。慌てふためく猿馬に握りしめた拳を浴びせる。何度も何度も必死に殴りつける。その肉の不快な感触を意識から締め出すためにも無心に拳を浴びせる。レモニカが拳で何かを殴るのは生まれて初めてのことだ。
そしてついに猿馬を屋根から突き落とした。血に塗れた猿馬は石畳に叩きつけられ、身動き一つすることなく溶けていった。後には罪なき獣たちの骨が残る。
レモニカの禍々しい巨体の中にも疲れがあることに気づき、脱力して倒れる。そして、たった一匹、ゲッパだけが屋根の上で成り行きを見守っていてくれたことにレモニカは気づいた。
レモニカの目の前までやってきたゲッパが鼠なりの祝福を贈る。「よくぞやり遂げたな、レモニカよ」
レモニカはただ瞼を瞬かせて言う。「ありがとうございます。陛下。騎士団に人々を誘導させて、わたくしをこの姿に変身させてくださいましたね」
「うむ。何といっても工房馬車の中で人を脅かすのは予らの最も得意とするところだからな」
クオルはそうして鼠嫌いになったのだろう。
そこへ、ユカリが舞い降りてくる。
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