すちは、静かに目を閉じた。
誰もが見守る中で、家族に囲まれ、弟子たちに看取られ、
その生涯をまっとうした。享年92。
生前描き続けたみことの絵は、いまや伝説的作品群として語り継がれ、
「陽だまりの隣」は美術館の特別室に常設展示されていた。
すちは、人生の最後まで笑っていた。
「――みこと、待たせたな」
そんな言葉を、最期に微かに口にして。
気がつくと、そこは、やわらかい風の吹く丘の上だった。
空は青く澄みわたり、どこまでも広がる草原に花が咲き乱れている。
懐かしいような、でも知らないような、そんな場所。
すちは、自分の手を見た。
しわひとつない。若い頃の姿だった。
「……ここが、天国?」
ぽつりと呟いたその瞬間――
「うん、天国だよ」
背後から、あの声が聞こえた。
「……!」
振り返る。
そこにいたのは、高校二年のあの姿のままの――
変わらない笑顔の、みことだった。
「おかえり、すち」
すちは言葉もなく、ただみことを見つめる。
足が動かない。涙が止まらない。
「なんだよ……ずっと待ってたのかよ……」
「うん。ずーっと、待ってた。
でもね、君が幸せに生きてくれてたから、俺も、ずっと嬉しかったんだよ」
すちは駆け寄る。
何も考えず、ただ――みことを抱きしめた。
「やっと、やっと会えた……」
「……会いにきてくれて、ありがとう」
みことの体は、もう透けてなんかいなかった。
あたたかくて、ちゃんと、そこに“生きて”いた。
「もう……離さない」
「うん、もう離れないよ」
ふたりは手を繋いで歩き出す。
見晴らしのいい丘の上。風に吹かれながら、過去のことをたくさん話した。
大学で描いた絵のこと。
オカルトサークルの仲間たちが、いまどうしているか。
弟子たちがどれだけすちを慕ってくれていたか。
そして――
「すち、覚えてる?最後に言ってくれた言葉」
「……“愛してる”だろ?」
みことは小さく笑う。
「うん。……じゃあ、今度は俺が言うね」
ふたりは立ち止まる。空の下、再び向き合って。
「――俺も、愛してるよ」
そして、ふたりの唇が、再びそっと重なる。
今度は、もう終わらない。
永遠の中で、ずっと一緒にいられる。
「……ねぇ、すち」
「ん?」
「天国でお散歩してくれる?」
すちは笑って、手をぎゅっと握った。
「ああ、好きなだけ。毎日ずっと」
ふたりの影が、青空の下で重なった。
終わらない春のように、
あたたかく、優しく、穏やかに――
これから先も、ふたりはずっと、手を繋いで歩いていく。
___
天国の午後。
青空がどこまでも広がり、風は花の香りを運んでいた。
すちとみことは、いつものように手をつないで丘を歩いていた。
ふたりきりで過ごす穏やかな日々。
けれど今日は、少しだけ特別な予感がしていた。
「ねえ、すち」
「ん?」
「……そろそろ、来ると思うんだ。みんな」
「……ああ、俺も、そんな気がしてた」
その時だった。
風がふわっと吹き抜け、どこかで笑い声がした。
「おーい! お前ら、相変わらずベッタベタじゃねぇかー!」
「おい、なつ! 走るなって言っただろ!」
「うるさっ、らんは相変わらず口うるせぇなー!」
「でもでも、いいね~この空気! 天国って最高だね! みことくーん!久しぶりぃ!」
丘の上に――4人の姿が見えた。
懐かしい声。
青春の日々をともにした、仲間たちの笑顔。
いるま、ひまなつ、こさめ、らん。
「おかえり」
みことがそう言って、駆け寄る。
「みことぉぉぉぉ! 天国で会えた! 抱きしめてぇ!」
「なっちゃん、重い重い! 落ち着いて! もう幽霊じゃないから潰れるって!」
「おいおい、すち、ずっと一緒に居たのかよ~ズルいわ」
「別に。みことと約束してただけ」
「わーわー! すちくん、変わってない! 照れてるの隠せてないよぉ!」
「こさめ、声でかい……!」
らんが額を押さえながらため息をつく。
「まったく……こいつらは死んでも変わらないな」
すちがぽつりと呟いたその言葉に、みんなが笑った。
あの頃と同じように、肩を並べて歩いて、
くだらない話で盛り上がって、
みことが笑い、こさめがボケて、ひまなつが暴走して、いるまが止めて、らんがツッコむ。
すちは、それを眺めているだけで幸せだった。
「……ねぇ、みこと」
「ん?」
「なんか、やっと完成した気がする。ずっと心にあった、絵の続き」
「……ああ」
「“陽だまりの隣”には、ほんとは全員が居るべきだった。やっと、そろったな」
「うん。これで、ほんとの“完成”だね」
その夜。
丘の上で、みんなでまた花火をした。
火花が天へ昇るたび、みんなの笑顔が浮かぶ。
「またさ、これからもずっと一緒だよね?」
「当たり前だろ。天国に時間制限なんてねぇし」
「なにそれ、最高~!」
「でもみこと、今度は勝手に消えないでよね!」
「えへへ、もう大丈夫。みんないるから」
そして――
最後にもう一度、輪になって手をつないだ。
夜空の下、6人の影が草原に並んでいた。
誰ひとり欠けることなく。
やっと、全員で、笑えた。
あの青春も、あの涙も、全部が、かけがえのない宝物だった。
今はもう、何も悲しくない。
すちの右には、みこと。
その隣には、ずっと変わらない仲間たちがいる。
これからもずっと、笑っていられる――天国という名の、永遠の放課後で。
𝑒𝑛𝑑
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