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ニューグランドホテルには教会が隣接して建てられている。
「はぁ、いつ見ても豪華ね」
艶々とした緑の実が揺れるオリーブの小径、曲がりくねった石畳の先には装飾の施された鉄柱の門、十字架と百合のステンドグラスが乱反射する赤煉瓦の教会。
「この教会で結婚式、したかったなぁ」
真昼はかつて憧れた教会の景色を眺めながら、一方通行の車線で車のハンドルを握っていた。立体駐車場が満車という事で隣の一般駐車場へと案内された。
(こんな気持ちでこの道を歩く羽目になろうとは、龍彦め!)
駐車券を受け取りホテルのエントランスに向かう。真昼は結婚式をここで挙げたいと龍彦に提案したが「このホテルはちょっと嫌だな」と却下されてしまった。
(なにがここは嫌だな、よ!)
ふと最悪な事態が頭を過ぎった。
(まさか、このホテル、いやいやいや、まさかそんな!)
龍彦がふわふわと落ち着きがなくなったのは三ヶ月前、まさかその前からこのホテルが《《御用達》》だったとは考え難い。
(たっちゃん、もしかして、他の人とも浮気していたの!?)
然し乍ら、ギャンブルと酒と女癖は治らないと言う。同棲して三年、結婚して二年、龍彦の浮気など微塵も疑いもしなかった真昼を欺き続ける事は容易かっただろう。
(そうよ、お小遣いは殆ど使わないし)
月に一度、ホテルの一室をリザーブする事も可能だ。そんな事を考えていた真昼はエントランスの回転扉を一回転半し、気が付けばホテルの外に立っていた。
「え、へへへ」
「いらっしゃいませ」
エントランスフロアの天井は高く、螺旋を描いたクリスタルのシャンデリアが黒と白のチェスボードの床を照らしていた。
手首のピンクゴールドの腕時計は13:15、待ち合わせの時間まで少々時間がある。真昼は予定通りにフルーツパーラーで様子を見る事にした。
(ーーあーー熱、下がらないなぁ)
「いらっしゃいませ」
「あ、アイスティーをお願いします」
「レモンをお付け致しますか」
「お願いします」
真昼はエントランスフロアが一望出来る観葉植物が茂るテラス席の陰に潜んだ。|戦《そよ》ぐ風、頬を撫でる冷房が心地良い。
「お待たせいたしました」
「ありがとうございます」
「ごゆっくりお寛ぎ下さい」
レモンをギュッと絞るとその酸味がグラスへ一滴、そしてまた一滴と紅茶の色が変わった。
(こんな風にいつの間にか変わっていったのね)
日常に潜む女性の影に全く気が付かなかった。黒い鞄から一眼レフカメラを取り出してバッテリーを挿入、ボタンを押すと機械的な起動音、動作に問題はない。
(あーーーあ)
ガラスのテーブル映る惨めな顔をペーパーナフキンで拭き取った。真昼は脇を締めて一眼レフカメラを構えると自動フォーカスに切り替えた。これでいつ、何処に龍彦が現れてもその姿を切り取る事が出来る。
ラタンのソファにもたれ掛かりながら時計を見る。13:35、何気なく店内に視線を遣ると見覚えのある服を着た女性が窓際に座っていた。
(あ、あれ)
その女性は白いワンピースに長い黒髪を掻き上げながらテーブルに肘を突いて携帯電話を弄っている。
(あーー、私のワンピースと丸かぶりじゃない)
ちょっと失礼とレンズを向けて一枚撮影した。やはり同じブランドで同じデザインのワンピースだった。プリントされた小花は黒とグレーで色違い、全体の印象は違うが真昼の気分は急降下した。
(ーーー最悪)
レモンティーをストローで飲み干すと氷がカランと音をたてた。グラスの底の輪が滲んだ。真昼は液晶モニターをぼんやりと眺めていたが、先程の女性の面立ちに既視感を覚えた。
(あれ、この人、何処かで見たことあるような気がする)
振り返るとその女性はレシートを手に立ち上がった。その目線の先には誰かが居る。手を挙げる。真昼は思わずシャッターを押し、フルーツパーラーの出入り口に顔を向けた。一眼レフカメラはその姿を捉えて連写した。
(たっちゃん!)
真昼と同じワンピースを着た《《橙子先生》》は龍彦に駆け寄り微笑んだ。龍彦の横顔も嬉しげにその姿を見下ろし左手の人差し指を差し出した。
(あの、指)
それは今朝、コーヒーメーカーで火傷を負った場所でそれを見た《《橙子先生》》は子どもを慰めるように頬を撫でた。
(チェックメイト!間違いない、彼女が龍彦の相手!)
真昼がこのワンピースを選んだ時、龍彦が不機嫌だったのは《《橙子先生》》がその白いワンピースを着て来る事を知っていたからではないかと真昼は勘ぐった。
(たっちゃんがプレゼントしたのか、も)
真昼の左手の薬指に結婚指輪はない。二年前、龍彦と結婚した際に「お金に余裕がないから」と言われ間に受けた真昼はそれを受け入れた。龍彦はこれまで真昼に金を掛ける事は一切なかった。