空はもう暗く街灯が煌々と輝いていた。
混雑もしていなければ空いてもいないくらいの人が行き交う中を
僕と妃馬さんは駅に向かい歩いた。駅構内に入り、上りのエスカレーターに乗る。
人々が交通系電子マネーを改札にあてて通っているピッピッという音が近づく。
例に漏れず僕たちも交通系電子マネーを改札にあて
ピッっという音を耳にしてからホームに入る。
4人くらいが並んでいる後ろに僕と妃馬さんも並ぶ。
「そういえばいつくらいにできそうですか?」
と妃馬さんの持つトートバッグに視線を送る。
「あぁ」
と視線で察し
「そうですねぇ〜…基本的に予定がなければいつでもできると思います」
「明日講義入ってます?」
「明日…土曜日…無かったかな?」
「曖昧」
と言って笑う。
「真面目なお嬢様じゃないもので」
とふざけてツンとした言い方をする妃馬さん。
「でも真面目なお嬢様じゃなくて良かったって思ってますよ?」
ツンとした表情が
ほんの少し和らいだ気がした。
「真面目なお嬢様だったら今日誘えてなかったです」
そう言うとツンとした表情は見る見る内に解けていき笑顔に変わった。
「じゃあ私も真面目なお嬢様じゃなくて良かったです!」
そう満面の笑みを浮かべ言う妃馬さんに鼓動が高鳴る。
妃馬さんの言葉と笑顔、自分の心臓の五月蝿さに支配されているとそこに
「まもなく電車が参ります。白線の内側でお待ちください」
という構内アナウンスが流れる。そのアナウンスのお陰で支配から逃れることができた。
すると間もなく電車が風を引き連れホームに入ってきた。
僕と妃馬さんはそれぞれ左右に別れ、電車内から降りてくる人を待った。
割と多くの人が降りてきた。列の前の人に続き僕も電車内に乗り込んだ。
妃馬さんは行きと同じで座ろうとはせず開いていないほうの扉の横に行った。
僕もその向かいに行き、シートの端の壁に寄り掛かる。
「座んなくて大丈夫ですか?」
「はい。ここで大丈夫です」
「歩いたし、ねぇ?僕が誘っちゃっていつもと違うことしたから疲れてないかなって」
「全然全然!楽しかったし疲れてないですよ!」
「なら良かったです」
「でもまた帰ったら疲れが一気に来るかも」
「あぁ、たしかに。でも明日は休みなんですよね?」
「たぶん?」
「やっぱり曖昧」
と言って笑う。すると構内にアナウンスが響く。
「まもなく1番線ドアが閉まります。駆け込み乗車はおやめください」
そのアナウンスのあとすぐに扉が閉まった。ゆっくりと電車が動き出す。
ドアにはめられているガラス窓から見える景色がどんどんスピードを増し、過ぎ去っていく。
「あ、今日も送ります」
と唐突に切り出す。
「え。いや、大丈夫ですよ」
「いやまだ7時前とはいえ外暗いし」
「大丈夫ですよ」
「心配なので」
「でも悪いですもん」
「…嫌…ですか?嫌ならしょうがないですけど」
というと妃馬さんは困ったようなそんな表情で
「その聞き方はズルいです」
と言う。そして妃馬さんは続けて
「嫌なわけないじゃないですか」
となんとも言い難い表情を僕に向ける。
その表情は困っているようにも、照れているようにも
その照れを隠しているようにも、なにかが欲しくておねだりしている表情にも見えた。
そんな妃馬さんと目を合わす。
少し色素が薄く茶色がちな目。その大きな瞳に吸い込まれそうになる。
そんな妃馬さんの瞳を見つめる。
すると僕と妃馬さん2人だけの空間にだけが包まれたそんな気がした。
電車の走る音もアナウンスも乗客同士の話し声もしっかり聞こえる。
聞こえてるはずなのに僕と妃馬さんの周りに薄い膜が張ったかのように
電車の走る音もアナウンスも乗客同士の話し声も小さく聞こえる気がした。
淡い絵の具で描いた世界に入り込んだような優しい空気感を感じた。
きっとほんの十数秒。でも体感時間はその何倍にも感じた。
きっと瞬きすら忘れていて目の渇きを感じ瞬きをする。
瞬きをするほんの一瞬目を瞑って開けたら元の世界に帰ってきた。そう感じた。
「え、あ、なら良かったです」
わかりやすく戸惑う。
「お言葉に甘えてもいいですか?」
「甘えてください。よろこんで送らせていただきます」
その後大学の講義の話や妃馬さんのお友達の話などを話していると
僕の駅が近づき電車がホームに止まり、扉が開き、そして閉まり、また電車が動き出した。
「過ぎてしまいましたね」
と言う妃馬さんに
「過ぎましたね」
と応える。
「ほんとに良いんですか?」
「いいんですよ。今日は終電じゃないのでまた電車で戻ります」
「あ、そうか。なるほど」
納得する妃馬さんを見て笑う。
そしてまた他愛もない話をしていると妃馬さんの最寄り駅のアナウンスが流れる。
そして電車の速度が落ち始める。僕と妃馬さんは開く扉のほうに寄る。電車が止まり扉が開く。