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「カノジョを生かすも殺すも、ぜーんぶ”キミシダイ”なのに」「……なんじゃと?」
【30:05】
【30:04】
【30:03】
「どういうことじゃ!分けわからん事ばかりいっちょッて!」
「だーかーらー。パズルを完成させなきゃ出られないんだに。|烈々子《かのじょ》はまだ、パズルを完成させてない。つまり――外に出られるのはオッサン、あんただけだに」
ニヤネコから告げられた、あまりにも残酷な現実。
開始からすでに約半分の時間が経過していた。
現在の室温は50℃に到達している。
一般的なドライサウナの適正温度は、80℃〜100℃前後。
数字だけ見れば、まだ余裕があるようにも思えるかもしれない。
だが、それは徹底した湿度管理のもとで成立している、あくまで”そういう環境”だからこその話だ。
サウナ室の湿度は10パーセント前後。乾いた空気は熱を直接肌に伝えにくい。だからこそ、人はあの高温の中でも短時間なら耐えられる。しかし今の状況は違う。
湿度はサウナ室よりも高く、飲み水の類も存在しない。
一度のサウナ入浴でさえ長くて十分〜十五分前後。
にもかかわらず、彼らはすでにそれ以上の時間を、この灼熱の密室で過ごしている。つまるところ、一般的な人類が耐えられる限界は、すぐそこまで迫っていた。
「う……え、煙団太、さん……」
「烈々子ッ!大丈夫かッ!!」
マイクスピーカー越しに、かすれた烈々子の声が届いた。
「は、はい…暑さにやられて…少し、気を失っていたみたいです……」
「気にせんでええ、ワシの分はもう終わっちょる!おまんはあとどのくらいじゃ!」
「それが――まだ三分の一くらいしか……」
「なんじゃとぉッ!?」
煙団太は思わず大声を張り上げた。怒号を拾いきれなかったマイクが、キィンッ、と耳障りなハウリングを起こす。
「それでは到底、時間内には間に合わん。否、それ以前の問題じゃ!おまんの体が、そこまで耐えられるはずがなかろうッ!!」
「う…うぅ…でも、諦め、たく…ありません。私は、大丈夫ですから……煙団太さんは、先に外に出て……待っていてください」
「馬鹿を言うなッ!」
「必ず……私も、外に出ます、から……」
今にも熱気の中へ溶けて消えてしまいそうな、弱くか細い声。
明らかに、烈々子の活動限界は迫っている。
もし再び意識を失えば、次は二度と目を覚まさないかもしれない。ましてや、パズルはまだ三分の一しか終わっていない。
残り時間と現在の室温を考えれば、完成は絶望的。よほど奇跡的にピースが噛み合わない限り、彼女がこの部屋から生きて出る道は――ほとんど残されていなかった。
「……おい、”ヤニネコ”」
「勝手に主食がニコチンの哀れな中毒野郎みたいな名前にするに!ニヤネコ!ニ・ヤ・ネ・コ、だに!」
「どうでもよいわ」
その声色は、さっきまでとは明らかに違っていた。
普段から威圧感のある男ではある。だが今のそれは、怒鳴り声ではない。腹の底に煮えたぎる怒りを、無理やり押し殺したような、ひどく冷静な声だった。
「それよりさっさと教えんかい。烈々子を助け出す方法を」
「はぁ……しょうがないに。ほんじゃま、特別だによ?これを使うってことは、キミのパートナーがよっぽど出来損ないってことだに。まったく、能力の低い下等生物はこれだから困るよに」
「……」
「でもまあ?そういう下等生物こそ助けたくなるのが、人間ってやつだに。ほんと、理解不能で愉快な生き物だに」
煙団太は、無言で拳を握りしめた。
本来なら今すぐにでも、マイク越しのコイツを引きずり出し、顔面を思い切り殴りつけてやりたい。
そんな衝動が喉元まで込み上げる。
だが、ここで怒りに任せて暴れたところで、状況は全く好転しない。だからこそ彼は、奥歯が砕けそうなほど噛み締めながら、ただただ”聞”に徹した。
「これから教えるのは、隠された裏技。ゲームで言うところの、チートコードみたいなもんだに」
「ちぃとこぉど……?」
「そうだに。ただし、これはもう自分のパズルをクリアしたオッサンにしか教えられない特別ルール。だからに――|烈々子《かのじょ》との通信は、一時的に切らせてもらうに」
「なぬ――」
煙団太が言い終えるより早く。
ブツッと無慈悲な切断音が鳴り、スピーカーから烈々子の息遣い音が途絶えた。
「よ~し。これでオッサンとボクは二人きりだに〜」
「御託はええ!さっさとその”ニートコーデ”とやらを教えんかい!」
「るっさいなぁ。ったく。これだから前時代的なオッサンは大嫌いだに。ん~っと、左、右、エー、ビー……ぽちっとに」
ウィィィィン。
ニヤネコのふざけた合図と同時に、突如としてテーブルの中央が小さく開いた。そこから、ゆっくりと長い棒状のものがせり上がってくる。
「なんじゃこれは」
現れたのは、一見するとどこにでもありそうなテレビのリモコンのような物体だった。だが、普通のリモコンにしてはあまりにも簡素すぎる。押せそうなボタンはたったの二つ。
赤と青、二色の矢印マークが上下に並んでいる。
「それはに、ちょっと変わったリモコンだに。試しにほら、もう一度椅子に座って、青い上向きの矢印を押してみるに。青だによ青。絶対に間違えるなに!」
ニヤネコに言われるがまま、煙団太はリモコンを手に取ると、椅子へ腰を下ろす。そして、言われた通り青いボタンを押した。
ガシャン――ッ!
次の瞬間、煙団太の両足へ再び拘束具が装着される。
冷たい金属の枷が、足首を容赦なく締めつける。
しかし、それ以外特に変わった所はなかった。
「なんじゃ、なにも起きんぞ」
「まったく鈍感だに~。でも彼女の方は気づいたみたいだに」
「なんじゃと?」
その頃、未だパズルが未完成の烈々子は。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ。これが……こうで……これは、たぶん……ここらへん、かな……」
指先は汗でぐっしょりと濡れ、視界は熱に揺れている。
それでも烈々子は必死に手を動かし続ける。
「残り、時間は……」
朦朧とする頭で、彼女は残り時間を確認した。
【33:23】
【33:22】
【33:21】
「残り時間が……”増えてる”…?」
「鈍感なオッサンのために説明してやるに。このリモコンは――時間と空間を司る、魔法のリモコンだにっ!」
「なんじゃあ、その抽象的なしろもんはぁ!もっと分かりやすく説明せいっ!」
「そう言うと思って、ちゃーんと説明書も用意してあるに。脳味噌まで筋肉でガッチガチのオッサンにも分かるように――」
ニヤネコは喋りながら、何かの操作をし始める。
すると次の瞬間。カコン、と天井の一部が開いた。
そこから一枚の紙が、ひらり、ひらりと落下してくる。
煙団太は反射的にそれを掴み取った。
「……なんじゃ、これは」
紙は薄っぺらい安物の用紙。
そこには丸文字で、簡素な説明文が記されていた。
=============================
≡ 取り扱い説明書 ≡
このリモコンは、椅子に座った状態でのみ使うべし。
立ち上がった状態、または移動中に操作しても正常には作動しない。また、一度でもリモコンを使用した場合、延長された時間が終了するまで、使用者は部屋から出ることはできない。
■ 青いボタン
青いボタンを一回押すごとに、使用者側の室温を「1℃」上昇させる。その代わり、パートナー側には以下の効果が発生する。
・室温を「1℃」低下させる。
・制限時間を「五分」延長させる。
・延長時間中のみ、室温の上昇は一時停止される。
なお、上昇させる温度は任意で設定可能。一度にまとめて上げることもできる。
※使用者側の室温上昇に、上限はなし。
例:使用者Aの室温が40℃の状態で、青いボタンを十回押した場合。
使用者A側:40℃ → 50℃
使用者A側:50℃の状態で五十分間固定される。(その間は退出不可)
パートナーB側:室温が10℃低下(30℃)
パートナーB側:制限時間が五十分延長
延長された五十分間、パートナーB側の室温は低下後の温度(30℃)で固定される。
■ 赤いボタン
???
=============================
「なんじゃ、説明はたったこれだけか」
「ニヤニヤ。どう使うかは”キミシダイ”。それじゃに~!」
「お、おい!またんか!赤いボタンの説明がまだ――」
ブツッ――。
結局、煙団太の問いに答えが返ってくることはなく、通信は一方的に切断されてしまった。
残されたのは、不十分な説明書と、赤と青のボタンが並ぶ奇妙なリモコンだけ。
「……まぁええ」
煙団太は低く呟くと、続けて説明書をぐしゃりと握り潰した。
「とにかく、この青い方を押せばええんじゃろぉ!」
煙団太はリモコンを握りしめると、迷うことなく青いボタンへ親指を乗せる。
そして――オス。
いや違う――押した。
|圧《お》したのだ。
一度ではない、何度も何度も|雄《お》してしまった。
なんならもはや|押忍《おし》まくった。
一回どころの話ではない。連打。連打。連打に次ぐ連打である。
なんとその数――驚異の十連打。
次の瞬間。|鉄製の椅子《アイアン・チェア》の背面に取り付けられた煙突状の装置が、けたたましい音を立てて唸りを上げた。
ゴォォォォォォォォッ!!
白煙が噴き上がり、蒸気がモクモクと溢れ出す。
同時に、周囲の温度は瞬く間に跳ね上がった。
結果――煙団太側の室温、驚異の61℃。
常人なら、立っていることすら許されない灼熱。
呼吸をするだけで喉が枯れ、肌という肌が悲鳴を上げる地獄の温度のはずなのだが。
「……ふん」
煙団太は、笑った。
額から滝のように汗を流しながら。
全身から湯気のような熱気を立ち昇らせながら。
それでもなお、歯を剥き出しにして笑っていた。
「これしきのもん、なんぼのもんじゃあああああああい!!」
自らを奮い立たせるように、漢は吠えた。
ブツッ、ザザッ――。
その時だった。丁度途切れていた通信が再び繋がる。
「煙団太さん!!」
スピーカー越しに、烈々子の声が聞こえた。
心なしか、先ほどよりは元気がありそうな声に感じられる。
「良かった……やっと繋がりました!それより大変なんです!突然、制限時間が大幅に増えて、温度もどんどん下がってる気がするんです!」
烈々子は戸惑いと驚きを滲ませながら、必死に続ける。
「もしかして、煙団太さんが何かしてくれたんですか……?」
「ハァハァ……なぁに。たいしたことじゃありゃせんわい。おまんは気にせんでええ。とにかく今は目の前の試練に集中せぇ。それで……ひまわりはあと何本じゃ」
「あ、はい……!あと二、三ピースで、三本目が完成しそうなところですっ!」
「なんじゃとぅッ!?で、でかしたぞ烈々子!それをさっさと言わんかあい!」
つい先ほどまで、まだ三分の一ほどしか完成していないと言っていたはずの烈々子。だが、話を聞く限りでは烈々子の完成はもう間近だった。
これならば、いける。
これならばまだ、耐えられる。
なぜなら――煙団太のモニターに映っている花瓶のひまわりは、同じく”三本”だったからだ。
そう思った。
そう、思ってしまった。
「え……?あの、煙団太さん」
だが、スピーカー越しに返ってきた烈々子の声は、ひどく困惑していた。
「これで最後じゃ、ないです」
「……どういうことだ?」
「ひまわりは……全部で”五本”あるんです。だから今は、やっと半分過ぎたくらいで……」
体内から血の気が引いた感触がした。
そんなはずがない。
そんなはずが、あるわけがない。
自分のモニターには確かに、”三本”のひまわりが映っている。
だが烈々子がいうには、全部で”五本”。
つまり――。
「そ、そんなはずは……」
煙団太は、焼けるような空気の中で、ゆっくりとモニターを見上げる。
そして気がつく。
今まで当然のように同じものだと思い込んでいた、その前提が。
最初から、間違っていたのだと。
「まさか……!」
そう。煙団太は、錯覚していたのだ。
烈々子との会話の中で、二人は場所こそ違えど、それ以外はまったく同じ状況に置かれているのだと。
同じ部屋。
同じルール。
同じ制限時間。
同じ温度。
そして、同じパズル。
そう思い込んでいた。だが――実際は違った。
決定的な部分が、まるで異なっていたのだ。
モニターに映し出されている、とある名画を模したジグソーパズル。その題材が、かの有名な“炎の画家”――フィンセント・ファン・ゴッホの『ひまわり』であること。
そこまでは、二人とも同じだった。
だが、重要なのはそこではない。
ゴッホが描いた『ひまわり』は、一つではないということだ。
生前、ゴッホは「花瓶に挿されたひまわり」を主題とする作品を複数描いている。構図はよく似ていいるが、そこに描かれたひまわりの本数は、三本、五本、十二本、十五本と、それぞれ微妙に異なる。
同じ『ひまわり』でありながら、同じ絵ではない。
制作された時期も違えば、色彩も、花の向きも、作品から受ける印象も違う。あるものは、友情や感謝を。あるものは、生命の循環と儚さを。そしてあるものは、ゴッホ自身の孤独や、揺れ動く精神の影を映しているようにも見える。
まるで、彼の波乱に満ちた人生そのものを、花瓶の中に閉じ込めたかのように。
煙団太が見ていたのは、三本の『ひまわり』。
烈々子が挑んでいたのは、五本の『ひまわり』。
似ている、あまりにも似すぎている。
だからこそ、気づけなかった。
二人が向き合っていたパズルは、最初から――まるで別の物だったのだ。
「ワシらは、別々の空間で別々の物を作らされていたにもかかわらず、それを同じものだと錯覚していた……?」
煙団太が完成させた『花瓶に挿された三本のひまわり』の総ピース数は、わずか”百ピース”。
一般的に最低限の教養と集中力がある成人であれば、三十分から一時間あれば、まず完成させられる程度の|作業量《ボリューム》である。
対して、烈々子が挑んでいるのは『花瓶に挿された五本のひまわり』。総ピース数はちょうど三倍。”三百ピース”だったのだ。
三百ピースのジグソーパズルを完成させたことがある者なら、その大変さは容易に想像できるだろう。
参考までに言えば、初心者が三百ピースを完成させるまでに必要な時間は、目安として三時間から五時間。
熟練者であっても、一時間半から二時間は要するとされる|作業量《ボリューム》だ。
つまり、はじめからこうなることは、どちらの入口を選ぶかで決まっていた。
片方は、設定された制限時間内に|完成《クリア》すること自体が、そもそも不可能に近い状況だったのである。
ゆえに、二人揃ってこの小部屋から脱出するには、制限時間の延長がほぼ必須。だが問題は、先に|完成《クリア》した側が、相手のためにわざわざ自ら危険を冒せるかどうかだ。
例えばそれが、血を分けた肉親であるならば理解できる。
長年連れ添った恋人、あるいはよほど親しい友人であれば、迷わず手を伸ばす者もいるだろう。
しかし今回の相手は、ここで出会ったばかりの、素性も知らない人間である。しかも互いの状況が完全に同じだと錯覚していたなら、なおさらだ。百ピース側の人間からすれば、「なぜこんな簡単なものに手こずっているのか」と苛立ちを覚えたとしても不思議ではない。
相手の姿は一切見えず、音声のみでの協力関係。
もしかすると、スピーカー越しに聞こえている声は本人ではないかもしれない。善意につけ込み運営側が成りすまして、作為的に温度を上昇させようとしている。
そんな疑心暗鬼に陥る可能性だって、十分に考えられるだろう。
だが、|煙団太《この漢》に限っては、違った。
「煙団太さんは、先に外へ……!私もすぐに追いつきますから……!」
「なに言っちょる。おなごを置いて先に行く漢が、どこにおるか」
それは、いつもと何ひとつ変わらない。
豪快で、不器用で、けれど誰よりも頼もしい煙団太の|漢葉《ことば》だった。
「安心せぇ、最後まで付き合っちゃる」
「で、でも……!」
「なぁに、心配はいらん」
煙団太は、全身から湯気を立ち昇らせながら、豪快に笑ってみせる。
「これしきの暑さなんぞ、炎天下の中、一日中薪割りしちょったワシからすれば、なんてことないわい!」
もちろん、嘘だ。なんてことないわけがない。
60℃を超える密室の熱は、どれだけ鍛え抜かれた肉体であっても、容赦なく体力と水分を奪っていく。肺に入る空気は熱く、汗は滝のように流れ、視界すら白く滲み始めていた。
それでも彼は、苦しみなど一切表に出さなかった。
彼女に聞こえるように笑う。彼女が前を向けるように吠える。
それが彼の理想とする、本当の漢の姿だったから。
「は、はいっ!急いで完成させますから……待っててくださいっ!」
「おう!任せたぞ烈々子ォ!!!」
強者が弱者を助ける。それは至極当然の道理であり、節理。
この漢は、ずっとそうやって生きてきた。
困っている者がいれば手を差し伸べる。
倒れそうな者がいれば肩を貸す。
泣いている者がいれば、笑わせる。
理由などいらない。
そこに助けを求める声があるなら、漢・岩熙 煙団太は迷わない。
「わぁああああぁっしょいキタァァァアアアアアアッ!!!!」
灼熱の密室に、煙団太の雄叫びが響き渡る。
それは自分の魂に火を灯す、何度目かも分からない|漢《おとこ》の咆哮だった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
ハァ……ハァ……ハァ……」
震える指先が、最後のピースを掴む。
あれからどれほどの時間が経ったのだろうか。
彼女に残された時間は後ほんの少し。
それでも、残された力を振り絞って、最後の一片を空白へと押し込んだ。
カチリ。
「でき……た……」
思わず涙が出そうになる。
そんなわずかな水分すら、今の彼女には残っていないけれど。
「やっと……できた……!」
モニター画面に表示される【Completed!!】の文字。
ガシャン――ッ!
それと同時に、両足を拘束していた足枷が音を立てて外される。
安心した途端、張り詰めていた糸が切れたように、全身から力が抜ける。
「う、ぁ……っ」
椅子から立ち上がろうとした瞬間、膝が笑った。
視界がぐらりと傾く。そのまま床へ倒れ込みそうになり、烈々子は咄嗟にテーブルへ手をついた。
熱い。
掌が焼けるように痛む。
それでも、足を止めるわけにはいかなかった。
「煙団太、さん……」
待っている。
あの人が、外で待っている。
そう自分に言い聞かせるように、烈々子は一歩ずつ出口へ向かった。
足取りは重い。呼吸はひどく荒い。
全身から流れた汗は、もう冷えているのか熱いのかすら分からない。それでも彼女は、何とか外へと脱出した。
「煙団太さん!終わりました!私、ちゃんと完成出来ました……!」
ふらつきながら辺りを見回す。
だが、どれだけ見渡しても、煙団太の姿はない。
煙団太が入っていったはずの入口だけが、ぽっかりと口を開けていた。
「煙団太……さん?」
烈々子は、疲弊した足取りでゆっくりと入口へ近づいた。
一歩。また一歩。
近づくたびに、部屋の中から漏れ出す熱気が肌を撫でる。
さっきまで自分がいた空間とは、比べ物にならないほどの熱。
空気そのものが焼けているような、息をするだけで喉の奥が焦げつくような熱だった。
最悪の想像が、頭をよぎる。
だが、烈々子はすぐにそれを振り払った。
違う。
違う。
そんなはずない。
そして――遂に見つけた。
|鉄製の椅子《アイアン・チェア》に座ったまま、ぐったりとうなだれている大きな背中を。
「……っ!」
呼吸の仕方を忘れてしまい、一瞬喉がつっかえかける。
「えん……でんた、さん……?」
返事はない。全身から力が抜けたように、煙団太は椅子に縛られたまま動かない。あれほど大きく、あれほど頼もしかった男の姿が、今は嘘みたいに小さくみえる。
「や、やだ……」
烈々子はよろめきながら駆け寄った。
「やだ、やだ、やだ……!」
震える手で煙団太の肩に触れる。
熱い。人体とは到底思えないほどに、熱い。
足首に噛みついた拘束具の金属部分は、熱を吸ってさらに高温になっていたのだろう。その周囲の皮膚は赤黒く焼けただれ、足枷の隙間からは、ぷすぷすと黒い煙が立ち上っていた。
「煙団太さん!煙団太さん!起きてください、早く一緒にここを出ましょう!私……!ちゃんと完成させましたから……」
何度も、何度も揺さぶる。
けれど、彼の返事はない。
あの豪快な笑い声も。
うるさいほどの雄叫びも。
烈々子を励ましてくれた数々の|漢葉《ことば》も。
もう、そこには存在しなかった。
「……いや」
彼の顔を覗き込んだ瞬間、烈々子の中で何かが壊れる音がした。
そこにいたのは――すでに息を引き取った煙団太の姿だった。
「いや……いや、いや、嫌……いやぁあああああああぁああぁあああぁああ!!!」
ようやく完成させたパズルの先にあったもの。
ようやく辿り着いた出口の向こうに待っていたもの。
それは、自分を助けるために命を燃やし尽くした――ひとりの漢の熱い最期だった。