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日向 いちごが、初めて“夢”という言葉を意識したのは、テレビの向こうで姉が泣いた夜だった。
『SW、最新曲で三冠達成!!!』
画面いっぱいに映る、きらきらした照明。
その真ん中で、日向さくら_ちぇりーは、
いつも通り完璧な笑顔を浮かべていた。
けれど、アンコールの最後。
マイクを握ったまま、少しだけ声を詰まらせて、
ぽろりと零れた涙。
「……ここまで連れてきてくださって、ありがとうございます」
その瞬間、いちごは息を止めた。
(……きれい)
それは“お姉ちゃん”じゃなくて、
遠くて、まぶしくて、触れられない誰か。
そんな気がした。
「いちご、もう寝なさい」
リビングでテレビを消しながら、母が言う。
いちごは、名残惜しそうに画面を見つめた。
「ねえまま……お姉ちゃんって、すごい?」
「当たり前でしょ。あの子、どれだけ頑張ってきたと思ってるの」
その言葉に、いちごは小さくうなずいた。
(知ってる)
夜遅くまでの練習。
帰ってきても、鏡の前で踊り続ける背中。
声が出なくなって、布団で泣いていた夜。
いちごは、全部知っている。
だから――
(わたし、お姉ちゃんみたいにはなれない)
そう思っていた。
数日後。
学校から帰ると、玄関に見慣れない封筒が置いてあった。
「SW 公開新メンバーオーディション」
大きな文字に、いちごの心臓が跳ねる。
「……なに、これ」
思わず声に出すと、奥の部屋からさくらが顔を出した。
「それ、事務所から。新メンバー募集だって」
「お姉ちゃんが、選ぶの?」
「最終的にはね。みんなで選ぶけど、わたしは関係ないよ」
そう言って、さくらは少しだけ困ったように笑った。
その笑顔を見た瞬間、
いちごの胸の奥が、ちくりと痛んだ。
(関係、あるよ)
だって、
“ちぇりーの妹”というだけで、
自分は最初から比べられる。
ちぇりーの妹なのに_。それが、嫌いだ。
その夜。
いちごは、こっそり自分の部屋で歌っていた。
誰に聴かせるわけでもない、
ただ好きなメロディ。
声を出すたび、
胸の奥があたたかくなる。
「……楽しい」
歌い終えたとき、
ドアの向こうで小さな拍手がした。
「……やっぱり、上手だね、いちごは。」
振り返ると、さくらが立っていた。
「聞いてたの?」
「うん。最初から」
沈黙。
いちごは、ぎゅっと拳を握った。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なに?」
「わたし、オーディション、受けてもいい?」
さくらの目が、一瞬だけ揺れた。
「……どうして?」
いちごは、少し考えてから答えた。
「お姉ちゃんが、ちぇりーが好きだから。ちぇりーみたいに、輝いてみたいから」
それは、憧れで。尊敬で。
そして――挑戦だった。
さくらはしばらく黙っていたが、
やがて、静かに言った。
「……後悔、しない?」
「うん、」
「比べられるよ。“ちぇりーの妹”って」
「それでもいい、だって誰でもない、いちごだもん」
その言葉に、さくらはふっと笑った。
「……じゃあ、受けなよ」
「え?」
「いちごが、自分で決めたなら」
そして、少しだけ寂しそうに、でも誇らしげに。
「ライバルになるかもしれないけどね、」
いちごの胸が、どきんと鳴った。
(ライバル……)
その言葉は、怖くて、
でも、嬉しかった。
その夜、
いちごは応募用紙に名前を書いた。
日向 いちご
まだ幼い文字。
だけど、確かな決意。
この日から、
“ちぇりーの妹”ではない物語が、
静かに動き始めた。