永和様と私が婚儀を行なってから、3ヶ月少しが経った頃のある穏やかな夜。
いつものように永和様が寝室の電灯を消して、私がいる布団の中に入ってきた。
そして私と同じように横になった永和様は私の顔を真っ直ぐと見て口を開く。
「美月、私たちが夫婦となってから、もう1ヶ月少し経った」
「そうですね」
永和様と夫婦になってからもう1ヶ月少し。
少しずつ鬼の国での生活も慣れてきて、永和様との関係も前より深まりつつあった。
「その、新婚旅行に行かないか?」
「新婚旅行ですか……?」
「ああ、まだ新婚旅行に行っていなかったからな。その嫌でなければ私は行きたいと思っているのだが」
寝室の窓から差し込む月明かりが永和様のそう言った顔を照らしてくれたお陰で、私は永和様の優しげな顔をはっきりと見ることが出来た。
永和様の綺麗な青い瞳が私を捉えながら、私の返事を待っていた。
「嫌じゃないです。行きたいです……!」
「そうか、よかった」
永和様は私の返事を聞いて安心したのか、優しい笑みを浮かべる。
私はそんな永和様を見てから、繋いでいた永和様の右手を優しく握った。
❀❀❀
永和様が新婚旅行に誘ってくれてから2日後。
新婚旅行当日。
私は永和様が運転する車に乗って、永和様が新婚旅行場所として提案してくれた鬼の国の王都から二時間程、離れた田舎街にある温泉地として有名な場所へ向かっていた。
「自然豊かでなんか落ち着きます」
「ああ、そうだな。王都とは違って田舎は落ち着いていて良い」
初夏の陽気に包まれた道を走る車の窓から見える両側の田畑は瑞々しい緑で満ち、穂先がまだ若く、柔らかな光を反射して揺れていた。
空気まで新緑色に染まっているかのようだ。
「窓開けてもいいですか?」
「ああ、構わない」
永和様の返事を聞いてから私は窓を開ける。
窓を開けると柔らかな風が髪を揺らし、緑の波が車のスピードに合わせてざわめいた。
土の匂いと草の香りが混ざり合い、窓から入る風は初夏そのものだった。
「良い風ですね」
「そうだな」
晴れた初夏の空の下、永和様が運転する黒い車は目的の他を目指して走っていた。
❀❀❀
永和様と私が目的地である田舎街の温泉地にある宿屋へと辿り着いたのは昼前頃だった。
「着いたな」
「そうですね、それにしても大きな宿ですね」
そう呟きながら私は目の前にそびえる宿屋を見上げた。木造の外観は立派で、何度も増築を重ねたかのように広がっている。
「ああ、この辺では人気な宿屋らしい」
「そうなんですね」
「ああ、では、行こうか」
「はい……!」
私は永和様から差し出された手を優しく握った。
初夏の生暖かい風が私達の背を押し、私と永和様は宿屋の玄関に向かって歩き出した。
私と永和様が宿屋の中へと入るなり、白い割烹着に後ろで一つに束ねた黒髪に目尻の笑い皺まで優しさに満ちている頭に鬼の角がある鬼人の女将であろう方が「いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました」と丁寧に迎えてくれた。
「予約している永和という者だ」
「永和様ですね。お部屋までご案内致します。こちらです」
女将であろう女性は永和様と私にそう言い、部屋までの案内の為、広々とした宿屋の玄関から続いている廊下を歩き出した。
「何処からいらっしゃったのですか?」
女将の女性は客室の部屋へと繋がる廊下を歩きながら、後ろを歩く永和と美月に話しかける。
「鬼の国の王都からだ」
「まあ、そうなのですね。この宿屋から少し歩いた所に商店街があるので、そちらも良かったら行ってみてくださいな。色々、名物がありますので」
「そうなんですね」
女性の言葉に私は後で永和様と行こうと心の中で呟いた。
「お部屋はこちらです。では、ごゆっくりお過ごし下さいませ」
女性は私と永和様を客室の部屋の前へと案内し終え、軽く会釈をしてから立ち去って行く。
女性が立ち去った後、永和様は手に持っていた鍵で部屋のドアを開けた。
「先に入ってくれ」
「はい、ありがとうございます」
私は永和様が開けてくれたドアから部屋の中へと足を踏み入れると、畳の香りがふわりと鼻をくすぐった。
窓の近くにある障子越しから柔らかな日の光が部屋に差し込み、木の温もりに包まれた和室が目の前に広がっていた。
「とても素敵なお部屋ですね。落ち着きます」
「ああ、そうだな」
永和様は部屋のドアを閉めて、部屋へと入るなり、穏やかな声で返してくれた。
「今日はゆっくりしよう。観光は明日でもいいか?」
「そうですね、明日で大丈夫ですよ」
❀❀❀
その日の夜。
部屋に運ばれてきた夕食を食べながら私と永和様は明日のことについて話していた。
「明日なんだが、部屋に案内してくれた女将さんが言っていた商店街にでも行かないか?」
「行きたいです……!」
「それじゃ、明日は商店街とか、その辺の観光しよう」
「はい!」
そう返事を返してから、ふと、私の目に、永和様の皿の端に寄せられた小さなものが映った。煮物のひとつ、ほろ苦いゴマ味噌和えの茄子だった。
「……永和様、茄子は最後に残してるんですか?」
永和は少し顔を赤くして、箸先で茄子をつまみながら答えた。
「え、…… ああ、実は……あまり得意じゃなくてな……最後に食べようと思っていた」
そんな永和様に私は微笑んで箸を進める。
苦手なものをそっと最後に残す姿に、どこか可愛らしさを感じたからだ。