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朝の講義前。悠翔がキャンパスに足を踏み入れた瞬間、周囲の空気がわずかに揺れた気がした。微細な違和感。それは目には見えないが、確かに身体に刺さってくる何かだった。
スマホを確認するのが怖かった。だが、すでに周囲の視線が告げていた。「出ている」と。
指が勝手に動いた。SNSの“大学の闇”アカウントに、新たな投稿が浮上していた。
“深夜1時の灯り、君のため” 「もう、逃げられないんだって。ね、悠翔くん」
そこに添えられていたのは、窓の向こうから撮られた自室の写真。シャツを脱いだまま、床に膝をつく自分の姿がぼやけて写っていた。背後には影が三つ。顔は映っていない。だが、誰だかは分かる。――陽翔、蓮翔、蒼翔。あの夜の光景が、切り取られていた。
講義に入っても、視線は絶えなかった。囁き声。机の下に滑り込んでくるメモ。プリントに書き加えられた落書き。
「“兄に犯されても泣かなかった”ってホント?」 「次はいつ? ライブ配信、待ってます」
椅子に座っているだけで、腰に鈍い痛みが走った。昨夜、蒼翔に踏まれた場所。蓮翔に噛まれた跡。陽翔の低い声。全部、まだ皮膚の下に残っていた。
教室の空気が次第に遠のく。喧騒の中で、別の音が混じり始める。
――パシン。
乾いた音。幼い頃、あのリビングで響いた音。
「泣くな。泣くなよ、男のくせに」
「こいつ、ちょっと痛めるとすぐ従うから楽だよ」
陽翔と蓮翔の声が、過去と現在で溶け合う。視界がにじむ。記憶が混線する。
休み時間。トイレに駆け込むと、壁に貼られたステッカーが目に入った。誰かが悠翔の写真を加工して貼ったもの。
「俺は兄たちの所有物です」 「感謝しています。もう逃げません」
サインまで捏造されていた。
便器のふちに座り込む。汗と涙と冷気で身体が震える。
――なぜ、逃げなかった?
そう思った瞬間、幼少期の記憶が容赦なく蘇った。
畳の上。押し入れの中。陽翔に腕を捻られ、蓮翔に泣き顔を覗かれ、蒼翔に名前を踏まれたあの夜。どれも今の現実と、区別がつかなくなっていた。
現実は、ただ静かに侵食し続けていた。