テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
──放課後の図書室。
夏の終わり、外はまだ明るいのに、ここだけ季節が置き去りにされたみたいに、静かだった。
遥は窓際の席に座り、ページをめくるふりをしていた。けれど、文字は頭に入ってこない。
視線は本に落としていても、意識はまったく別の場所にあった。
「……まだ帰ってなかったんだ」
声がした。
びくりと肩を揺らす。
でも、振り向かなくてもわかった。
──日下部だった。
「おまえ、よくここにいるよな。暗くなるぞ」
日下部は、教科書を小脇に抱えて、遠慮のない足取りで近づいてきた。
そのまま、遥の隣に勝手に座る。
「別に。用事ないし」
「家、帰りたくないんだろ」
言われて、無言になる。
図星、だった。
「……おまえには関係ない」
「まあな。俺も帰りたくねえし」
そう言って、日下部は机に突っ伏した。
視線を外の空に向けながら、ふっと笑う。
「なんか、さ。……全部うまくいってるふりするの、疲れんだよな」
その言葉に、遥は、初めて本を閉じた。
「おまえ、そんなふうに思うんだ」
「意外?」
「うん。おまえ、強そうだし。いつも、誰にも負けなそうな顔してる」
「……そう見せてるだけだよ」
日下部の声は、淡々としていた。
でも、どこか遠くを見つめるような響きだった。
「俺だって、怖いときある。泣きたくなるときも。……でも、泣いたって、誰も助けてくんねえからさ」
遥は、しばらく黙っていた。
そして、ふと呟く。
「──泣いてもいいよ」
日下部がこちらを見る。目を細める。
「泣かねえって」
「嘘でも、言っとく。……オレは、泣けなかったから」
それは、誰かに許してほしいわけじゃなく、ただ、誰かに同じ思いをさせたくなかっただけの言葉だった。
日下部は、しばらく遥を見ていた。
そのあと、ふいに、少しだけ笑った。
「……おまえ、優しすぎるよ」
遥は顔を伏せた。
そう言われるのが、いちばん苦しかった。
(優しさで生きてこれるほど、この世界は甘くなかったから)
──でも、その日、二人は何も起こらなかった。
何も、壊れなかった。
ただ、同じ空気の中で、同じように、誰にも見せない顔をした。
その記憶は、遥のなかで
ずっと、「泣けなかった日の救い」として残り続ける。