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Side 野々宮果歩
「うーん、今何時かしら……」
カーテンから明るい光が差し込んでいる。
昨晩は、ひとりでワインを開けてしまって、飲みすぎてしまった。
でも、夫の成明は離婚届を突き付けてからこの家に帰って来ていない。
実質、独り暮らしなのだ。
リビングを散らかしたままにしても、嫌な顔をされる事も無ければ、鬱陶しいお小言も聞かずに済む。
でも、成明と離婚なんてしたら、父親になんて言われるのか考えると憂鬱な気分になるのは、仕方ない。
「お手つだいの美佐江さんが、そろそろ来る時間かな?」
手が荒れるのが嫌で、週に5日、通いのお手伝い頼んでいる。
自分のする家事なんて、コンシェルジュにクリーニングを出すぐらいだ。
まあ、これも父親が気を使って、わたし好みのタワーマンションを用意してくれたり、家政婦を派遣してくれたりと、色々してくれるから出来る暮らしだ。
月々のおこずかいだって、下手なサラリーマンよりよっぽどもらっている。
生まれた時から、緑原総合病院の『お嬢様』として贅沢な暮らしに慣れ親しんでいるのだ。
リビングに行くと、部屋は散らかったままだった。
時計は11時半を指している。
いつもならとっくに部屋は片付いている時間。それなのに家政婦の気配はなかった。
「あら? 美佐江さん、具合でも悪くてお休みなのかしら。困ったわね」
すると、玄関をガチャガチャと開ける音が聞こえて来る。
遅くなったとしても、散らかった部屋を片付けてくれるならいいかと思い、振り返った。
だが、ズカズカとリビングに入ってきたのは、家政婦の美佐江さんではなかった。
「果歩!お前ってヤツは、何をしてくれたんだ!!」
怒鳴り声の主は、自分が最も恐れる人物だった。
「お父様……」
父の瞳は、怒りで赤くなり、眉間に深い皺が寄っていた。
距離を詰められると、もの凄い威圧感がある。
背中に冷たい汗が流れた。
「どうしたんですか?」
父から発せられる雰囲気に耐え切れず、切り出した。
すると、父の右腕がスッと高く上がる。
その瞬間、パンッと肉を打つ音と共に、左頬に痛みが走り、反射的に後ずさった。
刹那、怒声が降りかかる。
「このバカ者。成明から離婚を突き付けられおって。このマンションを与えたのも、家政婦を雇ったのも、結婚生活を円満にするためだったのに、どうしてくれるんだ!」
「だって……」
と言い訳をしようとしても、父の声が被さって来る。
「あれほど優秀な男は、なかなか見つからないんだぞ。お前には、これだけ贅沢をさせてやっているのに、夫を大切にする事すら出来ないのか!成明が居なくなったら、緑原総合病院は誰が継ぐんだ!」
「離婚届を渡されたけど、わたしはサインする気は無いわ」
そう強気で返したが、しゃべると口の中で、血の味が広がった。きっと、叩かれた拍子に口の中が切れたのだ。
わたしを父が叩くなんて……。
どうやって、父の怒りを鎮められるのか。
そればっかり、考えていた。
だが、言い訳も思いつかない。ただただ、目の前にいる父が怖かった。
父は、まだ怒りが収まらない様子で、言葉を続けた。
「ばか者。自宅に内容証明が届いたんだ。果歩、お前ってヤツは、不貞だけじゃなく、勝手に子供を堕胎したな!」
子供を堕胎したのは、体型が崩れるのが嫌だったし、子供に時間を取られるのも面倒だと思ったからだった。だけど、そんな事を言えるわけもない。
「そ、それは……」
「いままで、大抵の我が儘を許してきたが、子供を産まないお前など何の価値もない、勘当だ!!」
成明に離婚を突きつけられている状態で、勘当なんてされたら、どうやって暮らして行けばいいのか……。
目の前が、真っ暗になった。
そんなわたしに、父は追い打ちを掛ける。
「お前が追いかけまわしている男に縋っても無駄だぞ。あの男も、お前との関係を絶とうと俺と成明に頭を下げに来た」
「えっ?そんな……」
まさか、健治が父と成明に謝罪をしていたなんて……。
戸惑いが大きく考えがまとまらない。
その上、父からは冷たい声がする。
「あの男から、果歩に妻を階段から突き落とされたと聞いたが、それが本当なら、とんでもない事態になるぞ」
「それは、ちょっと押しただけなのに、|あの女《美緒》が大げさに落ちたのよ。わたしは悪くないわ」
そう言い訳をすると、父の眉間の皺がいっそう深くなり、瞳は軽蔑の色を含んでいた。
「なんて事をしてくれたんだ! このバカが!!本当にどうしよいうもない娘だ。このマンションも没収する。早々に身の振り方を考えて置け」
また殴られる!と咄嗟に構えたが、父は怒鳴るだけ怒鳴って、踵を返しマンションから去って行った。
わたしは、未だにどうして、こんな事になったのか、考えが追い付かない。
「勘当とか、無理でしょ……」
突然、勘当とか言われても、どこに住んだらいいのか、いくら必要なのかもわかならない。
ただ、|あの女《美緒》と離婚すると言っていた健治が、わたしと別れるために父や成明に頭を下げたという事だけは理解出来た。
「結局、健治は調子の良い事を言って、|あの女《美緒》を選んだのね……」
恋人だったはずの健治も、夫だったはずの成明も、家族だったはずの父も、わたしを突き放した。
気が付けば独りだ。
「なんで……こんなはずじゃ……」
父に叩かれた頬が、鈍く痛んだ。
「どうしよう……」
本来なら、夫の成明に離婚をしないでくれと懇願するのが筋だろう。
けれど、真面目な成明に追いすがったところで、ほだされてくれるとは思えなかった。
私たちの結婚生活は、3ヶ月で壊れてしまった。
いや、わたしが壊したのだ。だから、余計に成明を頼れるはずもなかった。
イライラが抑えられず、クシャと髪をかき乱した。
家を追い出されたとして、お金も無いわたしを受け入れてくれそうな友人も思いつかなかった。
人も羨む贅沢な暮らし、それを友人に見せつけて来たわたしが、落ちぶれたとしたら、鼻で笑われるのがオチだろう。
そんなのはプライドが許さなかった。
「なんでこんな事に……」
昨夜、健治と会った時は普通の様子だった。
それに|あの女《美緒》と離婚するとも言っていた。それなら、今までよりも生活のランクは落ちるけど、健治と結婚したっていい。
健治がわたしと別れたがっていたと言っていたけど、怒りに任せて父がウソをついた可能性だってある。
そう思い当たると、居ても立っても居られずに、健治に電話を掛けた。
スマホからはコールが、聞こえて来た。
すると、すぐに無機質な音声に切り替わり、『お客様のお掛けになった電話番号は……』とガイダンスが流れてきた。
「着拒だなんて、ウソでしょう⁉ また連絡するって言ったじゃない!」
父が言っていた事が本当だった……。
健治は、わたしを切って|あの女《美緒》を選んだのだ。
「なんで、いつも|あの女《美緒》ばっかり……」
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