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左手に海を臨む山沿いのカーブを、一台の車が走って行く。
軽快な音楽が流れる車内。運転手は岩本。助手席には阿部。念願叶ったダイビング旅行の帰路だ。
「このロケーション最高じゃない」
アイスキャンディーを齧りながら、阿部が呟く。雲ひとつない青空、太陽光を反射してキラキラ光る海、山の緑に一筋の飛行機雲。
「絵になる」
「また来よう」
岩本の言葉に阿部は”そうだね”と微笑んだ。
それからしばらく2人は、他愛ない会話をして、時々カーステレオから流れてくる曲を一緒に口ずさんだりしていたが、だんだんと阿部のレスポンスが遅れてきた。
「阿部、眠いの?」
助手席をちらりと伺い、岩本が問う。大丈夫、と阿部は答えたが、その口調は明らかに眠そうだ。
「寝ていいよ」
「ん…でも、ひかるに悪いから…」
ふわふわした口調で返す。それでも気遣いで頑張って起きていようとしているのは、阿部らしいなと岩本は思った。
カーステレオのボリュームを少し絞って、しばらく黙って、3つ目のカーブを曲がった頃。再び助手席を伺うと、阿部は睡魔に負けて眠っていた。
眠くなるのも仕方ない。運動して程よく疲れて、お腹も満たされれば誰でもそうなるだろう。
信号待ちの間に改めて阿部を見る。右側に少し傾いて、口を半開きにして寝ている。
「かわい…」
ぽつりと独りごちる。車じゃなくて電車なら、もたれかかって貰えたのにな、と思った。
信号が青になる。岩本はアクセルを踏むと同時に、一つ溜息をついた。
苦楽を共にしてきた、旧知の仲である阿部のことは当然のように好きだった。ただ、いつからだったのかその好意は、仲間としての好意から変化した。それに気づいた時、岩本はひどく動揺した。しかしそれから気持ちは膨らむばかりで、否定することなどもう出来なくなった。
それでも、この気持ちを表に出すことは出来ない。だから誰にも相談もしない。そばにいられる現状で満足しよう、そう思っていた。自分ならそれが出来ると。
しかし欲はだんだんと膨らんでいく。近くにいるのに告げられない想いは、もう溢れ出てしまいそうだった。
ヘアピンカーブを曲がる。ぐらりと阿部の体が一瞬傾き、膝に乗せていた右手が運転席側に投げ出された。前の車に追いつき減速しながら、岩本はその手を横目で見た。
今なら。
そっと細くて長い指に手を伸ばす。そして遠慮がちに指先を握った。ほんのりと温かい阿部の体温を感じると愛おしさが込み上げる。こんな事しかできない自分を情けなくも思った。どうするのが正解なのか、まるで分からない。
「ん…」
阿部が一瞬、ぴくりと動いた。起きたのかと思ったがまだ寝ている。チラチラと様子を伺っていると、不意に阿部が微笑んだ…ように見えた。
「…ひか…る…」
阿部の唇から自分の名前が溢れたのを聴いて、岩本は思わず握った手を放した。
「はっ…、お前、寝ててもあざといの?」
ハンドルをきつく握る。冗談ぽく呟いたが、泣き笑いのような顔をしているのは、見なくても分かった。
レンタカー屋に到着する。
駐車場に車を停め、まだ寝ている阿部に向き直る。誰も見ていない。その唇に口付けたら、何か変わるだろうか。そんな事を思った。
それでも。
「……阿部ー、着いたよー」
いつもの調子で声を掛けた。
「………は…っ、ごめん…。結局、寝ちゃった」
まだ眠そうな顔をしながら、阿部が謝る。
「いいよ」
ちょっと微笑んで、岩本は返した。
「忘れ物ない?」
しっかりしているようで忘れ物が多い阿部に注意を促す。阿部は再度、後部座席と助手席を確認して、OK、とハンドサインを見せた。
「夢見てた?」
レンタカーの返却を終え、空港内へ歩きながら岩本が尋ねた。
「うん。ちょっと嬉しい夢見てた。」
阿部はニコニコと笑いながら答える。
”俺出てきた?”
喉元まで出かかった言葉を岩本は飲み込んだ。出てきたよ、とでも言われたら、どんな顔をしていいか分からなかったから。
「また近々、潜りに行こう」
「どこが良い?」
「海外はまだ早いかな?でもいつか行きたいね」
「うん、そうだね」
阿部となら何処だって行きたい。心の中で思いながら、岩本はそっと阿部の背中に触れた。ルートを促すかのように。それが精一杯だった。
まだ、この恋は先に進みそうにない。