真っ暗な暗闇に女性の声が響いた。
「長谷君があんたみたいなお子様を恋人に?笑わせないでよ」
今度は別の女性が言った。
「あなたは長谷先輩に遊ばれてるだけよ。たくさんいる遊び相手のうちの1人。恋人じゃない」
知ってる。知ってるよ。先輩が遊びな事くらい。
「でも、僕は先輩に告白されました。付き合って。って」
「――ははっ!ねぇ聞いた?告白されたですって!」
僕の発言を聞いて嘲笑する女性達のすき間から先輩が姿を現した。
彼は僕を視界に入れると彼女達と同じように嘲笑った。
「バカだなぁ祐希は。俺が君みたいなお子様、本気で相手にするわけないじゃないか」
さぁ行こう。と言って先輩は女性達の腰に手を回して暗闇の向こうに消えていった。
分かってるよ。分かってるのに、どうして悲しいのかな?
先輩に愛されなくて悲しいのかな?
愛されたいのは僕が先輩の事を好きだからなのかな?
「……先輩」
待って。行かないで。嫌いって言ってごめんなさい。先輩、戻って来て。
悲しくて勝手に涙が零れ落ちた。
先輩、先輩、どこ?
「――祐希」
不意に、僕を呼ぶ先輩の優しい声が聞こえた。
「俺はここだよ。ここにいるよ」
辺りを包む暗闇が、白い光に覆われる。
温かい――
◆
重い瞼を開くと視界に見慣れた景色が広がった。
――あれ?僕、昨日どうやって家に帰ったんだろう?
出張から戻って来た先輩に“お帰りなさい”って言った所までは覚えているけど、その後の記憶が一切無い。
誰が僕を家まで運んでくれたんだろう?
気だるい体を起こしてキッチンへ向かうと、冷蔵庫にメモが貼られていた。
―水分と食べる物、冷蔵庫に入れてるから食べてね。
無理せずゆっくり休んで。
整った綺麗な字。先輩の字だ。
……そっか。先輩が僕を家まで運んでくれたのか。遊び相手の僕にも先輩は優しい。
でもね先輩、その優しさは罪だよ。
先輩に優しくされると僕は勘違いしちゃうんだ。
愛されてるって。
◆
風邪も治り、完全復活した僕は【Holiday】に足を運んだ。
「久しぶりだね藤原君。最近顔出してなかったけど忙しかったの?」
「はい……色々ありまして」
僕は谷口さんに仕事のトラブルの事、風邪を引いて寝込んだ事を話した。
「それは大変だったね。藤原君が元気になって良かったよ」
「ありがとうございます」
――あ、そうだそうだ!と谷口さんは急に何かを思い出したようで、カウンターの後ろの棚に置かれていたラム酒を僕の前に出した。
「これで全快祝いしよう!お代はいらないよ」
「え、どうして?」
「お代はもう“こいつ”から貰ってるから」
谷口さんはボトルに下げられたタグに書かれた名前を僕の方へと向けた。
長谷宏明 様
先輩の名前……どうして?
先輩はお酒が苦手なのに……
「このボトルは藤原君のものだよ」
「僕の……?」
藤原君が来た時に好きなだけラム酒が飲めるように。
長谷が君の為にキープしたんだよ。
谷口さんは優しい笑顔を僕に向けて語った。
「僕がお酒飲める事、先輩にバレてる……」
「あ、ごめん。それ俺がバラしちゃった」
「……谷口さんは先輩と知り合いだったんですか?」
「うん、そう。それもごめん。隠してたわけじゃないんだけど……」
藤原君の恋人が長谷だという事は最近知った。と谷口さんは申し訳なさそうに答えた。
「長谷は藤原君に許してほしいんだって」
「許す……?」
「金沢での事。あいつちゃんと反省してるから」
「そう……なんですか?」
悪かったって思ってるの?遊び相手に?
「藤原君……もしかして異動願もう出しちゃった?」
「いえ……まだです」
最初は先輩と顔を合わせるのが嫌で異動したかったけれど、今は別の理由で異動したい。
半年に1回訪れる、服部さんの尻拭い。……やだ。
「あいつの事許してやって。とは言わないけど、もう1回だけチャンス与えてやってくれない?」
「チャンス……って?」
「藤原君の隣に立つチャンス」
「谷口さん、先輩は僕で遊んでるだけです」
「違うよ」
谷口さんは強い口調で僕の言葉を否定した。
「ボトルキープは長谷のお詫びの印。付きっきりで看病するのだって、藤原君の事を大事に思ってるからだよ」
ただの遊び相手にここまで献身的に尽くしたりしない。
谷口さんの強い眼差しが、戸惑う僕の視線を射抜いた。
「まぁでも、決めるのは藤原君だから」
ここで終わらせるか、続けるか。
僕はどうしたい?先輩と、どうなりたい?
優柔不断で何も決められない僕に試練が訪れた。
決めなきゃ。
僕が自分でちゃんと決めなくちゃいけない。