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部屋に、匂いが満ちた。
それは――明らかに異質だった。
肉の焼ける香り。
温かいスープの匂い。
この世界では、もう“存在しないはず”のもの。
「……は?」
思わず、声が漏れる。
扉が静かに開く。
入ってきたのは、ノスフェラトゥ。
その手には、盆が載っていた。
皿。
ちゃんとした皿に、ちゃんとした料理。
「食え」
短く、それだけ。
ベッドの横に置かれる。
湯気が立ち上る。
現実感が、ない。
pizza guyはしばらく動かなかった。
ただ、その匂いを嗅いでいる。
腹が鳴る。
強く、強く。
――限界だった。
「……毒、じゃねぇだろうな」
かすれた声。
ノスフェラトゥは、わずかに肩をすくめる。
「お前を殺すなら、わざわざ手間はかけない」
もっともだった。
数秒の沈黙のあと。
彼は、震える手でスプーンを取る。
一口。
スープを口に含んだ瞬間――
「……っ」
止まる。
味が、広がる。
塩気。温かさ。
喉を通る、確かな“生”の感触。
気づけば、止まらなかった。
無言で、ひたすらに食べる。
噛む。飲む。
掻き込むように。
それを、ノスフェラトゥは黙って見ていた。
赤い瞳が、じっと。
観察するように。
やがて、皿が空になる。
息が荒い。
だが、さっきまでとは明らかに違う。
――体に、力が戻っている。
「……マジで、育てる気かよ」
ぽつり、と呟く。
ノスフェラトゥは答えない。
ただ一言。
「当然だ」
その声は、変わらず冷たい。
だが。
ほんのわずかに、“満足”が混じっていた。
しばらくの静寂。
pizza guyは、天井を見上げる。
腹が満たされると、逆に思考が戻ってくる。
そして。
ぽつり、と。
「……ノスフェラトゥ、って言ったな」
「なんだ」
「俺のことは、“pizza guy”って呼べ」
ノスフェラトゥの視線が、わずかに動く。
「…pizza guy?」
「それしか、思い出せねぇからな」
乾いた笑い。
「ピザ屋で働いてた。それだけ」
間。
「……それは、本当に名前か?」
ノスフェラトゥの問いは、静かだった。
だが――鋭い。
一瞬。
空気が、止まる。
「……」
答えようとして。
言葉が、出ない。
頭の奥が、ズキ、と痛む。
断片が、浮かぶ。
笑い声。
誰かの呼ぶ声。
名前――
「……っ」
掴めない。
霧のように、すり抜ける。
「……分かんねぇよ」
吐き出すように言う。
「思い出せねぇんだよ……他は、何も」
その声には、わずかに苛立ちと――
恐怖が混じっていた。
ノスフェラトゥは、それを見ていた。
しばらくして、口を開く。
「ならば」
一歩、近づく。
「その名は“仮”だな」
「……あ?」
「本来の名があるはずだ」
赤い瞳が、まっすぐ刺さる。
「それを失っている時点で、お前は“半分死んでいる”」
静かな断言。
逃げ場のない言葉。
「……っ」
言い返せない。
事実だからだ。
ノスフェラトゥは続ける。
「見つけろ」
「……は?」
「お前自身でな」
冷たく、しかしどこか――
試すように。
「それが出来なければ」
わずかに笑う。
「ただの餌として、終わる」
沈黙。
だがその中で。
pizza guyの指が、わずかに握られる。
「……上等だ」
低く、絞り出す声。
「見つけてやるよ」
目が、まっすぐになる。
「俺の名前も――」
「ここから出る方法もな」
その言葉に。
ノスフェラトゥは、ほんのわずかにだけ――
楽しそうに、笑った。