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「……来い」
短く言われ、鎖を外された。
完全に自由、ではない。
だが、今までよりは明らかに拘束が緩い。
「逃げるなよ」
背後からの声。
振り返らず、彼は鼻で笑う。
「逃げれる体なら、とっくに逃げてる」
事実だった。
体はまだ重い。
さっきの食事で少し戻ったとはいえ、戦える状態ではない。
ノスフェラトゥは何も言わず、歩き出す。
石の廊下。
足音が響く。
やがて、重厚な扉の前で止まる。
「入れ」
開かれた先――
湯気。
「……は?」
そこは、風呂だった。
広い石造りの浴場。
湯が満ち、白く煙っている。
「体を洗え」
淡々とした指示。
「臭う」
「……うるせぇよ」
思わず返すが、否定はできない。
自分でも分かっている。
何日、いや何週間まともに体を洗っていないのか。
ノスフェラトゥは背を向ける。
「終わったら呼べ」
それだけ言って、扉が閉まる。
――ひとり。
しばらく、動けなかった。
目の前の光景が、現実に思えない。
だが。
ゆっくりと、服に手をかける。
ボロボロの布が、床に落ちる。
湯に足を入れる。
「……っ」
熱い。
だが、不思議と嫌じゃない。
そのまま、ゆっくりと体を沈めていく。
肩まで浸かる。
「……はぁ……」
息が、漏れる。
こんな感覚、いつぶりだ。
体の奥に染み込んでいた疲労が、
じわじわと溶けていく。
泥と血が、湯に溶ける。
自分がどれだけ汚れていたのか、思い知らされる。
目を閉じる。
静かだ。
敵の気配も、銃声も、悲鳴もない。
ただ、湯の音だけ。
「……」
気づけば、力が抜けていた。
完全に。
警戒も、緊張も、全部。
――沈みそうになる。
「……っ」
はっとして、目を開ける。
呼吸が荒い。
心臓が強く打つ。
「……何やってんだ、俺」
思わず、呟く。
ここは安全じゃない。
敵の巣だ。
自分は“餌”だ。
それなのに。
こんなにも、無防備に。
「……バカかよ」
湯をすくい、顔にかける。
だが。
指先が、わずかに震えているのに気づく。
怖いのとは、違う。
もっと――
久しぶりすぎる、“安心”に近い何か。
それが、自分の中に生まれていることに。
「……ふざけんな」
小さく吐き捨てる。
認めたくない。
ここで気を緩めたら、終わる。
分かっている。
それでも。
体は、正直だった。
ゆっくりと、また湯に沈む。
今度は、意識して。
溺れない程度に。
のぼせる寸前まで。
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「……はぁ……」
息が、白く混じる。
そして。
ぽつり、と。
「……俺、こんな状況で何やってんだろうな」
自嘲。
だが、その声は――
ほんの少しだけ、柔らかかった。
扉の向こう。
ノスフェラトゥは、静かに立っていた。
中の気配を、感じ取っている。
「……」
何も言わない。
ただ。
ほんのわずかにだけ。
表情が緩んでいた。