ネロが僕の目を見て深く頷く。
「トラビスから聞いたけど、フィルは半年くらい前に、城を出されて殺されかけたんだって?トラビスもフィルを始末するよう命令を受けて、実際にフィルを傷つけたんだってね。取り返しのつかないことをしてしまったんだ…って、すごく反省してた」
「うん…そうだけど」
僕は小さく首を傾ける。
確かに姉上が元気になって、もう僕は用無しだと城から出された。辺境の村に行くように言われていたけど、途中で付き添いの兵に襲われた。でも僕は魔法を使って、なんとか逃げた。トラビスにも見つかって刺されたけど助けてもらって……。あれ?魔法…使ったっけ…。それに誰に助けてもらった?ノア?違う…ノアの隣に誰かいた。あれは…誰なの?
「フィル?大丈夫?」
ネロの声に、僕は小さく肩を揺らす。そして慌てて「ぼんやりしてた」と笑った。
「そう?ならいいんだけど。フィルはさ、城に戻るまでの間、誰かと一緒だったはずだよ。そのことを今、忘れている。とても大切なことだから、フィルが思い出せるよう協力したい」
「忘れている…のかな…。城を出ていた時のことを思い出そうとすると、頭の中に靄がかかったみたいになるんだ」
「ゆっくりでいいから思い出そう?フィルを目覚めさせた時のように、俺が魔法で思い出させてあげられたらいいんだけど。記憶をいじるのは危険だから…。それをアイツはやったんだよな」
「うん…え?」
ネロが最後は口の中で呟くように言ったので、なんと言ったのかよく聞こえなかった。
僕は少し考えてハッと気づく。
「もしかして…僕が城に戻るまで一緒にいたのって、リアム王子なの?」
「さあ?それはフィル自身で思い出さなければ意味がない」
「ええ?すごく気になるから、知ってるなら教えてほしい…」
少し口を尖らせて言う僕に、ネロがクスリと笑う。そして僕をそっと抱きしめて「早く思い出せるおまじないだ」と言って、耳元で何かを囁いた。
「ネロ?なんて言ったの?」
「僕の一族に伝わる呪文だから、わからなくていいんだよ。それに…心配してたけど大丈夫みたいだ。近いうちにスッキリと思い出せるよ」
「ほんと?」
「ああ。あとこれをあげる。フィルは少し神経質なところがある。少しの物音でも敏感に反応してしまって、夜によく眠れてないんだ。だからこれを使って寝てみなよ。よく眠れると思うよ」
ネロがズボンのポケットから出した物を、僕の手に握らせる。手のひらを広げて見ると、それは耳栓だった。
「…わかった、使ってみるよ。ありがとう」
「今夜から使ってみて。あ、ラズールには内緒な。アイツ、俺からもらったと知ったら、即捨てるだろ」
「ふふっ、そうだね。わかったよ」
ネロが満足そうに頷いた。そして立ち上がりながら「長居して悪かった。早く出て行かないとアイツが戻って来て怒られそうだ」と笑って、急いで部屋を出た。
トラビス達が国境に着いたと報せを受けてから、更に五日経った。やはりバイロン国に動きはなく、膠着状態が続いていると、朝と夜に早馬が状況を運んでくる。
バイロン国の狙いはなんだろうか。こちらからの攻撃を待っているのか。
職務をこなしながらも、悶々と考え込んでしまう。しかしネロにもらった耳栓のおかげでよく眠れているらしく、頭の中に靄がかかったような感じが、少し薄らいでいた。
今日も朝から職務をこなし、昼からラズールに剣の稽古につき合ってもらっていた時だった。稽古場の広場に、騎士が一人飛び込んできた。
ラズールが眉間に皺を寄せて「何ごとだ!」怒鳴る。
よく見ると騎士はトラビスの部下で、六日前にトラビスと共に国境に向かったはずだった。肩を上下させて荒い呼吸を繰り返し、よほど急いだのか頬には木の枝で作ったすり傷ができている。
僕は両手で握りしめていた剣を右手に持ち替えて、僕の前で片膝を着く騎士に声をかけた。
「君は…トラビスと国境に向かったよね?どうしたの?使いの者じゃなく、どうして君が来たの?」
「はっ…!一大事であるから俺が信頼しているおまえが行けと、トラビス様に命じられましたっ」
ひと息に話して、また荒い呼吸を繰り返している。
僕がラズールを見ると、ラズールが騎士に水を渡した。
「これを飲め。落ち着いてから話せ」
「申しわけございませんっ…」
騎士は、ラズールが差し出したコップを受け取り、一気に飲み干した。そして何度か大きく深呼吸をすると「もう大丈夫です。ありがとうございます」と頭を下げた。
僕は剣を鞘にしまいながら「続けて」と騎士に言う。
僕の声にこちらを見た騎士の顔が、ひどくうろたえているように見える。
「君はいつ国境を出発したの?」
「昨日、日が落ちてすぐですっ」
「えっ!一日もかけずに戻ってきたの?それは疲れるよ。もう少し休憩を…」
「いえ!緊急にて休んでいる暇はありません!」
「…わかった。では教えて」
「はい。昨日の日が落ちる前に、バイロン国より国境を越えて使者が来ました。その使者がとんでもないことを言い出したのです!」
「攻め込まれたくなければ国を開け渡せと?」
「いえ…。イヴァル帝国の女王を、バイロン国のクルト第一王子の妃に迎えたい…と」
「…え」
「は?そんなこと絶対に許さん!」
僕の驚きの声は、ラズールの怒声にかき消された。
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