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結局、カラオケ屋さんでは一曲しか歌うことができなかった。歌ったのは僕ではなく、心野さん。選曲は童謡の『森のくまさん』だった。
ちなみに僕はわざと遠慮しておいた。だって心野さんにとってはカラオケ屋さんで歌うという経験がなかったから。だから、歌ってほしかった。経験してほしかった。
学生らしい『遊び』というものを。
やっぱり初めての体験に緊張して声が上擦っていたけれど。でも、心野さんの歌声はとにかく可愛らしかった。僕がついつい笑顔になる程に。
それは心野さんも同じだった。歌うにつれて少しずつ緊張が解けてきたのか、とても楽しそうに、そして嬉しそうに歌っていた。前髪で顔は見えないのはいつものことだけれど、笑顔であることはすぐに分かった。
そりゃそうだ。心野さんがずっと望んでいたこと。それが実現したんだ。希望、そして夢が叶ったんだ。笑顔になるに決まっている。
もっともっと、叶えてあげたい。経験させてあげたい。失った時間は取り戻せないけれど、僕がそれらを埋めてみせる。少しだっていい。それが何かのひとつのキッカケになるかもしれないから。だから絶対に埋めてみせる。
そう、決めたんだ。
* * *
「心野さん、どうだった? カラオケ」
「はい、最初はすごく緊張したんですけど、でもすっごく楽しかったです! だけどちょっと恥ずかしかったですけど。但木くんに私の歌声聴かれちゃったから」
「そうだよね、僕も自分の歌声を聴かれるのってちょっと恥ずかしいから気持ちは分かるなあ。でもさ、心野さんの歌声、すごく可愛かったよ?」
「か、可愛くなんかありませんよ! というか、但木くんの歌声も聴いてみたかったです。ズルいですよ、私の歌声だけ聴いて。今度はちゃんと聴かせてくださいね」
「ごめんね、時間がなかったから仕方がなくてさ。アイス騒動もあったし。それに心野さんが僕にピッタリくっついてきたりしてたからね」
「あ……ああ! そ、そうでした!!」
心野さんは鼻を抑え、上を向いて深呼吸。しかもめちゃくちゃ長い時間。そしてなんとか堪え切ったのか、手を離して「はあーー」と息を漏らした。
「あ、危なかった……。危うく三途の川を渡るくらいの量の鼻血を出すところでした。バケツ一杯分くらいの」
「三途の川を渡っちゃ駄目だからね! しかもバケツ!? それはもう鼻血の域を超えてるって! 吐血と一緒でしょ!」
とはいえ確かに。よくよく考えてみたら、あの時に鼻血を出さないで済んでいたのが不思議なくらいだ。たぶんアイスのダメージに耐えるのに必死だったからかな。
「でも一応謝っておくね。僕もこれからは発言に気を付けるからね。ごめんね心野さん」
「はい、お願いします」
「でも、くっついてきたのは心野さんがアイスを食べ過ぎたせいなんだけどね」
「それはそうですけど……ま、まあいいです。その代わり! これからもたくさん『学生らしい遊び』に連れていってくださいね!」
「うん、もちろん。色んな所に連れて行ってあげるよ。『学生らしい遊び』の範疇! でね。ご期待に添えるように、僕なりに頑張るから」
「……なんか『範疇』を協調しすぎのような。絶対に私が変なことをすると思ってますよね? い、いやらしいこととかをすると思ってますよね? ムッツリスケベなことをすると思ってますよね? ……まあ、いいです。それで、次はどこに行く予定なんですか?」
「まあまあ、そう焦らず」
腕時計をチラリと見て、時間を確認。15時ちょっと前か。うん、まだまだ時間はあるな。ピックアップした所には全部行けそうだ。
そして僕達は色んな所に行った。ファミリーレストラン、古着屋さん、ショッピング屋さん巡り、カフェ、などなど。ちなみにファミリーレストランに行った時はアイス禁止令を出しておいた。ものすごい不服そうにしてたけど、また『心野さんストッパー』が外れたらさすがにお腹が心配だから。
でも、それでも心野さんはすごく楽しそうにしていた。これまでの『夢』が叶っていったわけだから。当たり前のことだ。
僕や他の学生さんにとってごく当たり前で、ごく当たり前の日常こそが心野さんの『夢』だったんだ。
で、それから僕達は次の場所へと向かった。心野さんにはまだどこに行くのかは教えていない。やっぱりこういうのってサプライズ的な方が良いのかな、と。僕なりに考えた末の結論だ。メインを最後に残しておいたんだ。
「ねえ但木くん? 次はどこに連れて行ってくれるんですか? まだ聞いてないんですけど」
「えーとね、本当は教えるつもりはなかったんだけど、バラしちゃうね。次はゲームセンターに行こうと思ってさ」
「げ、ゲームセンターですか!!?」
この反応にはちょっとビックリ。すごく驚いている。それだけじゃなくて、なんとなーく怯えてる感が。
「た、但木くん! あんなに恐ろしい所に行くんですか!?」
恐ろしい? え? ゲームセンターが?
「ねえ心野さん? ゲームセンターが怖いってどういうこと?」
「ま、漫画で読んで知ってるんですけど、あれですよね。ゲームセンターって不良の溜まり場で、対戦ゲームなんかは皆んなピリピリしてて、それで灰皿が投げつけられたり飛び交ったり、殴り合いの喧嘩ばかり起こる超怖い所ですよね?」
「何、その世紀末みたいな地獄絵図は……。それ、大きな誤解だよ? 確かに昔はそんな感じだったみたいだけど、今は全然違うかな。で、ちなみに何の漫画を読んだの?」
「はい、えーっと、確か『ハイスコアボーイ』ってタイトルでした」
ああーなるほど、あの漫画か。でもあれって舞台が平成初期なんだよね。今では対戦アーケードゲームなんてほとんどなくなってしまったし。
「大丈夫大丈夫、それってかなり昔のことだから。今のゲームセンターはそんなこと全くないよ? むしろ平和な感じかな。土日は家族連れも多いし」
「そ、そうなんですか? し、信じますよ?」
「うん、信じていいよ。じゃあ、とにかく行ってみようか」
「は、はい! 但木くんを信じます!」
こうして、ようやく決心を固めた心野さんと共にゲームセンターに向かう僕達であった。
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