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相模国 小田原城 北条氏綱
「殿、御耳に入れていただきたいことがございます」
北条が従えている忍びの長、風間孫右衛門が気配もなく姿を現す。
「……どうした?」
「古河にて火が燻りはじめました」
「詳しく話せ」
風間がもたらした情報は興味深いものだった。古河の家臣らが下野守護の小山家を巡って対立を深めているという。
きっかけは元下野守護宇都宮家が小山に滅ぼされたことだった。まだ那須や足利長尾が残っているが、宇都宮が屈服したことで下野の趨勢は完全に小山家に傾いたといっていい。古河のすぐ近くで大勢力が生まれることに古河の人間は恐怖したのだろう。どうやら事の発起人は小春を輿入れさせる際にこちら側に抱え込んだ古河の重臣簗田高助らしい。
簗田はすでに娘を公方に嫁がせていたが、北条が簗田やその娘を蔑ろにしないと約束したところ簡単にこちら側についた。舅である簗田が賛成に回ったことは公方にとって想定外だったのだろう。小春の輿入れは成立したが、その代わり公方と簗田の関係に罅が入ることになった。それは古河につけ入る隙が生まれたことを意味していた。
儂は風間を下げさせたあと、倅の新九郎、重臣の蔵人こと大道寺盛昌、左馬助こと松田盛秀を呼び出し、風間から受け取った情報を共有する。
「古河に亀裂が入った。小山を巡って家臣らが対立しているらしい。首謀者は簗田だ」
「ほう、簗田ですか。それはあちらの意向ですかな、それとも……」
蔵人の考えに儂は首を横に振る。
「今回は何もしておらんぞ、今回はな」
なぜ公方派の小山に対し強硬な姿勢をとったのか。おそらく簗田が動いた理由は焦りや嫉妬、恐怖も含まれているのだろう。我々のせいでもあるが輿入れの一件で簗田と公方の関係は悪化していた。破綻まではしていなかったが、公方は簗田のことを信頼しなくなっていた。簗田も自分が公方に信頼されなくなったことを実感していたはずだ。
「だから小山に介入するつもりだったということですか?」
「それだけではないだろう。公方派の小山が大きくなること自体は簗田も歓迎していたはずだ。だが小山の成長は簗田の想定を上回った。はっきり言って儂もここまで早く大きくなるとは思っていなかった。そして簗田も察したはずだ。このままいけば小山は遠からず下野を統一するだろうとな。ではもし下野を統一したら次の矛先はどこに行く?陸奥か、常陸か、上野か、……或いは下総か」
「しかし小山は生粋の公方派。下総を狙う理由はないでしょう」
新九郎の考えも理解できる。だがまだ甘いな。
「理屈では新九郎の言うとおりだろうな。しかしながら時に人は理屈では通じないことをしでかすものだ。これまで小山は下野国内で争っていた。その敵がいなくなれば大人しくなると思うか。違うだろう。簗田もそう思ったはずだ」
簗田も思い至ったのだろう。もし小山が何らかの理由で公方派から鞍替えしたら、と。ほぼ隣に位置する小山が敵に回れば古河は一気に窮地に陥る。奇襲を食らえば一夜で滅びることすらあり得た。そこまでは簗田は正解の道を辿っていた。だが公方からの信頼を失った直後に公方から信用されている小山が宇都宮を滅ぼしたことで公方の信任を小山に奪われると思い込んでしまった簗田は間違った選択をした。
彼はあくまで警告で済ませるべきだった。小山が公方に仇なすことも視野に入れるべきだと。
しかしながら簗田は小山に楔を打ち込むべきだと発言してしまっていた。一線を越えたのだ。まだ小山は公方派のままにもかかわらず。そして古河にとって最悪なことに簗田に賛同する声が予想以上に多かったのも対立を深める一因となった。
公方は小山に非がないのに楔を打ち込むことに反発したようだ。当然だ。公方にとって小山は自身が古河公方に就任する前から支援を受けていた恩のある家だ。そんな家に突然楔を打ち込めば小山どころか周囲からも公方に不信感を覚えるはずだ。
公方が火消しに走ってるらしいが、もし小山に騒動のことを知られたらどうなるか。不信感を抱くか、公方を信頼するか、或いは見限るか。果たして公方は簗田らを抑えられるかな。今頃重臣の軽挙に頭を抱えていることだろう。気の毒なことだ。
「しかし、まさか古河がここまで割れるとは思いもしませんでした。ここ数年は盤石だったと記憶していますが」
「まあ、そういう風に仕向けたのは我々だがな。公方様は些か真面目過ぎた。内政に専念するあまり足元を確認し忘れたのだ。家臣を信頼していると言えば聞こえはいいが、まさか古河に工作を仕掛けてくるわけがないという油断があったのだろうな」
北条の工作によって信頼していた重臣すらやられたのだ。公方からしてみれば裏切られたに近い。その結果、公方は己の家臣に懐疑心を抱くようになってしまった。そして家臣もまた自分が公方に疑われ、信用されなくなっていることに気づく。そうなれば自然とつけ入る隙が大きくなる。
北条にとって実力と権力を取り戻した古河は扱いに困る存在だった。取り入ろうとも既に公方の信頼は小山や千葉一門に向けられており、小弓公方討伐時に参陣しなかった北条がつけ入る隙がなかった。だが工作によって古河内部で親北条派を増やした結果、今回のように隙を生むことに成功した。問題は公方本人が小山を信頼し、北条を警戒していることか。
「父上から見て、小山はどう映りますか?」
新九郎の問いに儂はしばし考え込む。
「そうだな、まず思ったのは面白い家ということか。武士でありながら商いに積極的。どこか我々と似た雰囲気を持っている。そして今の当主はかなりの遣り手だ。一国人に過ぎなかった小山を一代で下野の最大勢力に育て上げ、朝廷と公方様から下野守護と下野守を得たのだからな。しかもまだ若い。あれは傑物を超えた存在よ。昔から興味深い家だと思っていたが、いずれ北関東屈指の実力者になる器だろうな」
「左様ですか。では父上は小山と結ぶべきとお考えで?」
「それは、難しいな。両上杉のことを考えれば、足利長尾と敵対している佐野を支援している小山を味方にしておきたいという気持ちはたしかにある。だが同時に公方派かつ公方様と義兄弟の契りを結んでいる小山に深入りはできないと思っている」
「なるほど……」
新九郎は神妙な表情のまま儂の考えを聞いていた。そういえば昔、新九郎に小山のことを話したことがあったな。何か思うところがあるのだろうか。
「そうだ、左馬助。話は変わるが、例の子供たちの様子はどうだ?」
「はっ、特に問題なく健康的に過ごされております。国王丸様は最近では積極的に僧の講釈を受けておりますぞ。あお様も娘らと仲良くしているようで」
「そうか、賢すぎてもあれだが、暗愚では困るからな。それはいいことだ」
話を聞く限り、保護した小弓公方の遺児たちは問題なく過ごせているらしい。今のところ、自分たちの正体を伏せられているが彼らは小田原城内で育てられている。
小弓公方が滅亡した際、里見によって連れ出された彼らは安房から海路で三浦半島に上陸し、小田原城で北条の庇護を受けている。里見は表向き古河に従っているが、裏では北条とつながっていた。あれもまた野望を抱く者だ。そのままでいる気は毛頭ないだろう。房総が乱れれば間違いなく奴は動いてくる。
公方も自身の支配圏から離れた小田原まで国王丸らの捜索はできない。ゆえに彼らの正体が外部に漏れないよう保護してからずっと小田原城内で養育している。彼らにはまだ己の本当の身分を明かしていないが、相応しい教育は受けさせてきた。
もしもの場合、彼らを次期公方として担ぎ出すために。
「一時的とはいえ国が乱れるのは本意ではないが、坂東を巣食う邪な者たちには退場してもらうしかあるまい。すべては民が笑えて暮らせる太平の世のために」