日和美の愛車は、祖父母が日和美の大学卒業&三つ葉書店への就職祝いに買ってくれた、黄色と白のツートンカラーが可愛いSUZUSI自動車のハッスラーというSUVテイストの軽自動車だ。
初めてこの車と対面した時は、ド派手なビタミンカラーがまぶしくて堪らなかった日和美だけれど、祖母が「目立っちょったら事故にも遭いにくかろ?」と自信満々な様子でニカッと笑うから、それもそうよねと思ってしまった。
中古車でも新古車でもなく新車というのが、もうじき社会人という学生に毛が生えた身分の日和美にはもったいなさ過ぎて恐縮したのを覚えている。
祖父母が購入してくれた車に、父親が一年間分の任意保険(しかも車両保険付き!)をかけてくれて、「それがお父さんからのお祝いだよ」と言われた。
そんなこんなで、社会人一年目の今年は燃料費だけを気にして事故に遭わないよう乗ればいいけれど、来年以降は満了期間に応じて自動車税や任意保険、車検費用や自賠責……等々、この車を維持するための経費を見越した暮らしをしなければならない。
しっかり計画的にお金を貯金しておかないと!と思う傍らで、気になるティーンズラブ本が出るとついついお財布の紐が緩んでしまうことを自覚している日和美だ。
そこは自分にとって不可欠かつ重要な必要経費だから、無駄使いの原因になりがちな真夜中の通販習慣をいい加減やめなきゃー!と思って。
祖父母からこの車を贈られた当初は、職場だって徒歩圏内なのに滅茶苦茶贅沢だ!と感じていたはずなのに、今こうして助手席にふわふわさん――改め不破を乗せていると、日和美は愛車があってよかった!と痛感しているから尚更。
今日は不破が許してくれるなら、食後彼を病院に連れて行ってから、大事無ければそのまま枕や布団カバーを新調しに『ファッションセンターしまむた』にも行けたらなと思っていたりする。
『ときマカ』の掛け時計に動揺して思わず不破を外に連れ出してしまった日和美だったけれど、記憶喪失の彼を放り出すことは考えていない。
本人に面倒を見ると宣言した以上、約束は果たさねば!と思っている。
(家に帰ったら不破さんにはちょっとだけ外で待っててもらってその間に――)
危険物はとりあえず寝室に放り込んじゃえ!と思った日和美だ。
さすがに不破と同室で寝るのは倫理的にあり得ない。
(不破さんにはリビングで寝てもらって……寝室には絶対に入らないで!って念押しするでしょ。あ、でも大事を取ってしまむたで本棚を覆い隠せる布も買っておいたら安全よね?)
リビングから時計がなくなることを考えると、家具やインテリア雑貨が安価に買える『INEA』に寄るのもありかも?
(ついでに不破さん用のお茶碗とかマグカップなんかも買うでしょ)
その時、しれっと自分のも新調して、夫婦茶碗やペアのマグカップにしちゃうのも良いかも知れない。
(やだぁー♥ 新婚さんみたいっ♥)
なんてことを考えて、ひとり心の中『むふっ♥』とか『ぐふっ♥』とか気持ちの悪い笑い声を上げることくらい許して欲しい。
つい今し方、車の諸経費のため無駄使いはすまいと誓ったくせに、ハンサム王子との同棲生活というパワーワードに脳内をお花畑色に侵食された日和美は、あれこれ沢山買い込むことを考えながら『車があって本当に良かった!』と再認識した。
何より『しまむた』も『INEA』もアパートからは結構離れているし、もし近場だったとしてもあれば何だかんだ言いつつもあてにしてしまうのが文明の利器というものらしい。
***
「ファミレスで大丈夫ですか?」
ハンドルを握りながら助手席の不破へ問いかけてみたら、「どこでも大丈夫です」と爽やか美青年ボイスが返る。
(そういえば不破さん、ファミレスが何だか分かってるのかしら?)
日和美の妄想通りどこぞの国のプリンスならば、ファミリーレストランとは無縁の生活をしていらしたのではないかと思い至って。
「えっと、ファミレスっていうのはリーズナブルなお値段で和洋中など色んなご飯が食べられちゃう庶民派レストランのことなんですけど」
ついお節介にもそんな付け足しをしたくなってしまった。
「――え? あ、もしかして僕の記憶のことを心配して教えてくださいましたか? それなら御心配には及びません。自分のことは嫌になるぐらいあやふやですが、そういう一般常識みたいな部分は忘れていないみたいなので」
不破の言葉に、日和美はほんのちょっぴりホッとする。
もし彼が知っていて当たり前みたいな部分まで忘れてしまっていたら、大きな赤ちゃんと一緒に暮らすような感じになってしまうと今更のように気が付いたからだ。
(あ、でも布団干して下さった時、不破さん布団バサミ要求なさったりしてたんだっけ)
そういうのを知っていた時点で、彼の言葉は本当だと胸を撫でおろしたと同時、そんなものを知っていた彼は案外下々の暮らしに精通していらっしゃる?とハッとした。
(不破さんってば一体何者なの!)
不破に言わせたら、「いや、僕は多分普通の庶民な気がするんですけどね?」という答えが返ってきそうなことを勝手に思いながら、日和美はちらちらと横目に不破を盗み見してしまう。
「何か気になることでも?」
不破はそんな日和美の無遠慮な視線にもふわっと優しい笑みを返してくれた。
「あ、いえっ。本当の貴方はどんな人なんだろうって思ってしまっただけです」
スーツ姿に、芸能人も顔負けな甘いマスク。
全体的に色素が薄くて色白で。砂糖菓子みたいにふわふわとした印象な上、それにぴったりな柔らかい物腰と耳馴染みの良いさわやかイケメンボイス。
『実は僕、声優だったみたいです』と言われても『ああ、確かに!』と納得してしまいそうだ。
普通はここまで見目麗しい相手であれば、声優よりも先に俳優の方を思い浮かべるのだが、そうでない辺りが日和美らしいと本人も気付けていない。
(不破さんのお声は『ときマカ』のダージリート様にぴったりなのよね)
総合的に見ると『ゆらたう』の金魚王子アルノエルに軍配が上がるけれど、声だけピックアップしたら茶葉の君・ダージリート王子だわっ♥と思って。
車に乗るまでは不破の顔を見ながら話すことが多かったので気付けなかったけれど、運転中で彼の顔を凝視出来ずに声だけ聴く機会が増えたからだろうか。そんなことに気が付いた日和美だ。
いずれにしても――。
(何で不破さんってば、こんなにも萌風もふキャラっぽいのかしら!)
とか一人心の中で悶えてしまう。
「すみません。早く思い出せたらいいんですけど……」
日和美の言葉に、不破が申し訳なさそうな様子で小さく吐息を落とすから、前方を見据えたまま日和美は慌てて彼の愁いを否定した。
「そっ、そこはもう、全然お気になさらず! むしろこのまま記憶のない不破さんとずっとずぅーっと一緒にいられたらな!って思っちゃってるくらいです!」
思わず力説してしまってから、それではまるで彼に記憶が戻らないことを願っているみたいではないかと気が付いて。
「あっ。ごめんなさい。私、こんな酷い事。そうじゃなくてっ、ただ……えっと」
言えば言うほど墓穴を掘りそうで、ハンドルを握る手に変な汗がにじんできてしまう。
焦る余り泣きそうになった日和美の肩に、不破の手がそっと載せられて。
「そんな泣きそうな顔しないで? 大丈夫です。貴女のおっしゃりたいことはちゃんと理解しているつもりです。それよりもむしろ……こんな得体の知れない男のことをそんな風に気遣ってくださって、本当に有難うございます。――記憶が戻っても、僕は日和美さんから受けたご恩を絶対忘れないでいたいです」
肩に感じる不破の手が、思いのほか男性らしく大きなことに、日和美は胸の高鳴りを抑えられない。
そのことがとっても不純に思えてしまって。
(不破さん。私……)
――下心はありません! 純粋な人助けです!(多分)
心の中、自分に言い聞かせるみたいにそう宣言してから、〝多分〟と付けてしまう時点で、本当は下心まみれなんだよねという本心に気が付いた日和美は、それにきっちりと蓋をして、そっと心の奥底深くに仕舞い込んだ。
***
和洋中、色々食べられる庶民の味方。ファミリーレストラン『ガストン』でチーズハンバーグセットを頼もうと決めた日和美は、不破が何を選ぶのか興味津々。
目の前に座ってメニューを眺める不破をちらちら・ソワソワと見つめた。
不破は洋食セットの箇所を素通りすると、定食がずらりと並んだページをじっと眺めていたのだけれど。
やがて、「僕は焼き魚定食にします」と、日和美的に見て何だかすっごくイメージに合わないものを指さした。
「えっ? 本当にそれでいいいんですか?」
余りにも意外すぎて思わず聞いてしまった日和美に、「はい。これがいいんです」とにっこり。
(そうかそうか。王子様は日本の食文化に触れてみたいのですねっ? かしこまりなのです!)
などと勝手なことを思わないと、不破の王子様的イメージとのギャップに脳みそが付いていけそうにない日和美だ。
何故なら不破が指さした焼き魚定食は鮭の塩焼き、豆腐とワカメの味噌汁、キュウリとナスの浅漬け、切り干し大根の煮つけ、ご飯がセットになった定食で。
いかにもザ・日本の朝食!と言った雰囲気だったから。
(いや、ランチなんですけどね)
テンパる余りどうでもいいツッコミを脳内で入れながら、日和美は呼び出しボタンを押したのだった。
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