コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「えっ!? 社長っ、あのパン屋さんと付き合うことになったんですかっ!?」
総務の田岡美代子に素っ頓狂な声を上げられて、実篤は思わずその口を塞ぎたくなる。
そんな田岡を制するように経理の野田千春がニマニマしながら言う。
「美代子ちゃん、そんな驚かんであげて。社長からはいつもあのパン屋さんのことが好きで好きで堪らんのじゃ〜!っちゅうオーラが出よったじゃないのぉ〜」
「まぁそうなんですけどっ。まさかOKもらえるじゃなんて思わんじゃないですかっ」
(こら、田岡さんっ! いくら何でも言い過ぎじゃろ! 減俸に処すぞ!?)
とか冗談半分に思ってしまった実篤だったけど、実際自分自身半信半疑な部分も大きかったので突っ込まずにおいた。
(誰か言い過ぎじゃって、とか言うてくれんじゃろうか)
なんて期待していたら、たまたまその場に居合わせた営業の宇佐川辰巳が「えっ」と声を上げて。
実篤は(男同士じゃし、宇佐川くんが味方になってくれるじゃろうか?)と思ってしまった。
だが、次いで続けられた言葉にそれは大きな思い違いだったと現実を突きつけられる。
「マジっすかぁ〜! 社長ぉ〜、俺、あの子ええなぁ思いよったんに!」
「残念じゃったねぇ、宇佐川くん。それでもあの子ンことは社長が最初っから凄い贔屓にしちょったんバレバレじゃったんじゃけ、横恋慕する気なんじゃったら急がんといけんかったのは分かっとったじゃろーに。長い事モタモタしよるけん遅れを取るんよ」
野田の辛辣な言葉に、宇佐川がシュンとする。
「そりゃあそうなんですけどぉ〜。年齢的に考えても絶対自分に軍配が上がるはずじゃし、焦らんでも大丈夫かな?とたかをくくっちょったんです」
と溜め息を落とす。
「ちょっ、宇佐川、お前、そんなこと思うちょったんか」
思いもよらぬところに伏兵がひそんでいたことに今更のように驚かされた実篤だ。
宇佐川には悪いが、彼がリアクションを起こす前にくるみに告白できて良かった!と心底思ってしまった。
(いや、けどあの場合はくるみちゃんが動いてくれたけん言えたんか)
およそひと月ばかり前の――。十五夜の晩のアレコレを思い出してみると、割と情けなくもあり。
でもそう考えてみたら、(宇佐川が先に動いたけぇ言うて、くるみちゃんは俺にしかなびかんかったんじゃないん?)とも自惚れたくなった実篤だ。
「わっ、社長、すみませんっ! 俺、つい本音がっ」
無言で宇佐川を睨んではみたものの、内心はほくほくの実篤は、「まぁ、宇佐川の気持ちも分からんではないし、別にええんじゃけどね」と寛容なことを言ってみる。
なのに。
「ヒッ!」
どうやら実篤、我知らず口元が緩んでしまっていたらしい。
「おっ、俺っ、営業行ってきます!」
小さく短い悲鳴を上げて宇佐川が慌てたように事務所を後にすると、野田が「社長、ココんところがヘラッとなって、気持ち悪いお顔になっちょりますよ?」と、自分の口角あたりを指差して苦笑した。
***
「――っていう事があったんよ」
夜。
お互いの仕事が終わって恋人と電話で話している時に、実篤は昼間職場であったアレコレを溜め息まじりにつぶやいた。
くるみはその話を聞いてクスクス笑うばかり。
電話口から聞こえてくるその笑い声が心地よく耳をくすぐって、実篤は(俺、いまめちゃくちゃ幸せじゃん!)と実感する。
それと同時、(通話先のくるみも同じように感じていてくれたらええのぉー)と願わずにはいられない。
そんなささやかな希望を抱きはするものの、イマイチ自分に自信が持てない実篤だ。
「俺としちゃあさ、まだくるみちゃんが俺なんかでええっ言うてくれちょるん自体、未だに夢現じゃけん。若い衆からそんなん言われたら凄い不安になるんっちゃ」
宇佐川が言ったように、年齢から言うとくるみと同い年な彼の方が、どう考えても有利に思えたし、二つ、三つ程度の年の差なら気にならない実篤も、さすがに七つも離れているとあっては気にしないではいられないわけで。
「だって考えてみたらさ、俺が中学に入学した時、くるみちゃんはまだ幼稚園児だったわけじゃろ?」
そう考えると、何だか犯罪に近いものを感じてしまう実篤だ。
(こんな俺がくるみちゃんみたいに可愛らしい女の子を独り占めしてもええんじゃろうか)
情けないとは思うけれど、そんな漠然とした不安が、常に実篤の頭の片隅を占拠している。
『うちが実篤さんがええって言いよーるのに、何でそんな卑屈な言い方するん? いくら実篤さん本人でもうちが好きな人のこと〝俺なんか〟っ言うて卑下するんは聞き捨てならんのじゃけど』
電話の向こうから、ぷぅっと頬を膨らませた子リスみたいなくるみの姿が見えるようで、実篤は思わず笑ってしまった。
怒られていると言うのは分かっていても、(くるみちゃん、可愛いのぅ)と思わずにはいられない。
くるみと同い年の妹・鏡花がやっても太々しくしか見えないだろうに、惚れた弱みというやつは厄介だ。
『そんなん言いよってじゃけど、それならうちがその……宇佐川さんじゃったっけ? その彼と付き合うことにしました、っ言うたら実篤さん、大人しく引き下がるん?』
「バカ! ダメに決まっちょろーが!」
『それだったらつべこべ言わんと堂々としちょって下さい! それでうちを誰にも負けんくらい思いっきり愛されちょるってとろけさせて?』
「はい!」
くるみからの畳み掛けるような口撃に、思わず背筋をピーン!と正して即答してしまってから、実篤は心の中で
(くるみちゃん、小悪魔じゃ!)
と思わずにはいられない。
(そこがホンマ可愛ゆーて堪らんのじゃけど!)
そんなくるみが、電話先で『実篤さん、いま確かに「はい!」っておっしゃいましたよね?』と言質を取ってきて、実篤は心の中、「こっ、今度は何なん? くるみちゃぁ〜ん!」と叫ばずにはいられなかった。