「……暇に見えるのか? 」
深い溜息を吐き出しながら、呆れたように高柳が言った。
「いやいやいや〜、暇でしょ。 まさかこんなくだらないことに部長が時間作ると思わないじゃないですか」
「くだらない?」
高柳はニッと口元に弧を描くようにして坪井を見る。
真衣香と杉田を間に挟み、二人の会話が続く。
「そもそもこれ部外に出していい書類じゃないですよね? 見つけた時点で俺が立花から回収して作業したんで、まず、こいつミスってないです」
「じゃあお前のミスか?」
「はは、まさか。 頭にあるもの間違えないっすよ。 俺が保存した後にうちのパソコンでデータ触ってます、最終の更新が2日前の朝なんで」
場の空気と、坪井への罪悪感から振り返れないままでいる真衣香の肩に大きな手が包み込むようにして触れた。
そして、耳元で声がした。
「ごめんな。 遅くなったよね、大丈夫?」
真衣香は、その問いに小さく頷くことしかできない。
その様子を確認するように、数秒間。
上から眺められる気配を感じた。
やがて坪井は真衣香の肩から手を離し、再び口を開く。
「誰のミスかっていうなら、立花に指示した人間の故意的なミスだし。 こいつに嫌味言うのも、なんていうでしたっけ? お門違い的な?」
「その人間が誰か見当がついているんだろう。 身内の動きくらい把握できないか? まさか把握していて何もできないまま出張に出たのか? ああ、そういえばお前さっき確かに言ったな」
矢継ぎ早な高柳の声にも背後の空気は動じない。
「何をですか?」
「部外に出してはいけないはずの書類を、彼女が持っているのを見て回収したと。どうしてそんな馬鹿げた事が起こったんだ? 何故事前にお前が把握して止められていないんだ?」
しかし、その高柳の発言の後だった。
「……チッ」と、坪井が小さく舌打ちをする。
本当に、小さく、正面に座る高柳はもちろん隣にいる杉田にも聞こえないであろう、行為。
しかしそれに真衣香は酷く驚いた。
(つ、坪井くんが、舌打ち……)
爽やかで陽気なイメージの坪井から、あろうことか上司の発言に対して舌打ち。
それをキッカケにだろうか?
坪井の場を和ませる、聞き慣れたいつもの声が。
段々と部長の声色へ近付いていく。
そう、それを冷静なイメージと言えば聞こえはいいが。
(なんてゆうか、冷たいというか……)
何にせよ、坪井にそんなイメージを抱いたのは初めてのことだった。
「それに関してはめちゃくちゃ反省してます」
「反省、ね。 身内の制御も出来ず、楽観的でいたい、その場しのぎでやり過ごしたい。 そうやって絵に描いたように〝臭い物に蓋をする〟お前がどんな反省をするんだ?」
どこか試すような言い方をする高柳の言葉に、これまでテンポ良く進んでいた会話が数秒途切れる。
高柳の発言に何か思うところがあるのだろうか。
その数秒のあいだに坪井の感情の乱れが、真衣香には見えた気がした。
「…………とりあえずこの件は解決済みです。山口さんが連絡くれたんで朝寄って仕入れ担当者と話つけてきました」
「何を?」
「陳列配置については変更ありません、前々から値切られてたんでそれ飲む形で金で解決です。穴埋めは企画進めてるPB商品、もうちょい下げれそうなんでその辺で」
「一課に話は通してるのか?」
「ああ、一課の得意先と角が立たないようにってやつですかね。 話つけましたよ、その卸業者からの返品受付は甘くして経費一部こっちで見ます。 それでもギリ利益出ます」
しかし、会話が途切れたのも先ほどのほんの数秒だけ。
そこからはポンポンと恐ろしい速さで会話が進み、真衣香は内容を把握するどころではなく、ただテレビの中のセリフをなんとなく聞いている。
そんな感覚に陥っていた。
会社で坪井を見かけることはあったし、この間のようにデスクで作業してる姿を眺めたりもした。
(で、でも違う)
その、どれとも違う。
営業部長と話す坪井は、声のトーンから目つきまで。
記憶にあるどの坪井とも、違った。
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