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芙月みひろ
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「――白石。手を動かしなさい。思考を業務に集中させて」
背後から飛んできたのは、一切の無駄を削ぎ落とした、凛とした声だった。
「あ、雨宮主任……!」
弾かれたように振り返ると、そこには隙ひとつないネイビーのスーツに身を包んだ新しい上司、雨宮律子主任が立っていた。 30代半ば特有の落ち着きと、数々の修羅場をくぐり抜けてきたであろう知性を湛えた瞳。彼女は作業の止まった画面を一瞥した。
「昨日提出の見積書。第4項の物流コスト、来期の燃料費0.5%高騰分が反映されていないわ。……この『0.5』の綻びが、最終的にお客様の信頼をどれだけ損なうのか、理解しているかしら?」
「……っ、申し訳ありません。すぐに修正します」
カツ、カツ、とヒールの音を響かせて去っていく。その矛先は、次に営業部の「王子様」こと、王子谷くんに向けられた。
「王子谷」
「は、はい!」
デスクにいた王子谷くんが、直立不動で姿勢を正した。
「この提案資料、やり直しよ。……見た目は綺麗だけど、中身が伴っていない。営業はクライアントを顔で落とす接客業じゃないの。市場分析と、相手へのメリットを数字で提示しなさい。根拠が甘すぎるわ。……一時間以内に、成約率の上がる構成に練り直しなさい」
「1時間!? あ、あの、でも、これから外回りの同行が……」
「……その顔を見せれば納期が延びるとでも? 甘いわ。集中して取り掛かれば1時間で終わるはずよ。1秒でも早く着手しなさい」
「……うわぁ、やっぱり怖いな。あんなにビシバシやられて……さすが不正騒動のあとに放たれた『刺客』だけはあるよ」
部内の誰かが小声で呟いた。常務の逮捕で混乱する営業部の立て直しに投入された雨宮主任は、まさに歩く「刺客」そのものだった。
私はふと、王子谷くんの方に視線を向けた。必死に作業をしながらも、彼は部内の他のメンバーを厳しく指導して回る主任の背中を、チラチラと追っているのだ。 いつも女子社員たちから熱烈な視線を向けられても、冷めた目で受け流している彼なのに。
(……この人は、私たちの『レッテル』なんて見てないんだ。専務の娘とか、イケメンとか……そんなノイズを全部無視して、純粋に仕事(中身)だけを評価してる)