TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

シェアするシェアする
報告する



ローザリンデ・フラウエンロープは初めて感じる全てから解放されたような夢見心地のまま、ゆっくりと目を開く。


「……ここは……」


目に映り込んだのは見知らぬ天井。

どこか違う世界に迷い込んだような錯覚を覚える。

実際、精緻に描かれた花々はこの世界に存在していない。

ただただ美しい天井をぼんやりと見つめる。

香しい花の匂いまで漂ってきそうだ。


一度目を閉じてから、今度は大きく目を開く。

そして半身を起こした。

人の気配が感じ取れないというのに、それが当たり前だと思ってしまうほど、緊張感がない。

寝起きで警戒心が薄れているのかと思案してみるも、そうではないようだ。

驚くべきことに、ここは安全だと確信している自分がいた。


慎重に周囲を伺うも人の気配は未だ感じられない。

代わりに整えられた部屋の美しさと居心地の良さに、至福の吐息が零れ落ちる。


公爵家で使っていたベッドよりも広く、寝心地の良いベッド。

統一されたベッドカバーや枕カバーの刺繍も美しい。

木目の見事なナイトテーブルの上には、陶器製のテーブルランプと銀色のベル。

どちらにも繊細な装飾が施されている。


睡眠を取るためだけと主張している優しい空間に、余計なものは一切なかった。


誰も見ていないのをいいことに大きな伸びをする。

息を少しずつ時間をかけて吐き出すと、喉の渇きを覚えた。

そっとベルを持ち上げて鳴らしてみる。

ちりーん。

軽やかな音を聞くと、幼子のように何度も鳴らしたくなって困った。


「お目覚めでございますか、お嬢様」


続きの部屋で控えていたらしいメイドが、微笑みを浮かべながら近寄ってくる。

引いているワゴンには、クリスタルの輝きが眩しいほどのピッチャーとグラスが載っていた。


「まずは喉を潤してくださいませ」


グラスに八分目ほどの水が注がれる。

ローザリンデにとっては、親よりも近しい存在、専属メイドのヘルガだ。

何の疑問もなく、グラスの中身を口にする。


「ん! これは?」


「モーレンとミントを入れたフレーバーウォーターというものだそうです。目覚めの一杯には最適でございましょう?」


「ええ、美味しいわ。心身ともにすっきりするのね。ふふふ。ごくごく飲めてしまいそう」


「美容や健康にも効果があると伺いました。お嬢様のお気に召しましたのなら、公爵家でも採用いたしましょう」


「……公爵家……正直、帰宅したくなくなるほど、このお屋敷は居心地が良いわ」


ローザリンデの言葉に、ヘルガは優しく笑う。


「ふふふ。使用人にもこちらのお屋敷は、過ごしやすうございますね。皆様お優しく勤勉であらせられます」


「そうなの?」


「はい。学ぶべきことばかりで、我が身の至らなさを改めて自覚いたしました」


公爵家のメイドとしても優秀と認められている彼女。

王族からも幾度となく譲渡をねだられた、メイド以上の振る舞いができる彼女にしては、珍しい弱音だ。


「シルキーとともに仕事をいたしました経験は少なくございませんが、ノワール殿ほどの実力者は初めてでございますね」


「最愛の御方様の元には、やはり美しく優秀な者が集まるのでしょう」


メイドしかり。

守護獣しかり。

心からの笑顔で出迎えてくれた奴隷たちですら、その美しさと優秀さは察知できた。


「お茶会開始の時間まで三時間少々でございます。そろそろお支度を始めましょう」


「え! もうそんな時間ですの?」


「はい。よくお休みでした。私も少々寝坊してしまうほど……こちらのお屋敷は大変居心地が良く……」


ヘルガの苦笑には賛同の意を示すべく頷いておく。

何しろこのお屋敷は、実家である公爵家とは比べものにならぬほど、心が安らげるのだ。

無論娼館とは比べるべくもない。


「バスの用意は調ってございます」


「そういえば、服はどうしたのかしら?」


娼館に持ち込んでいた服は持ってきたのだろうか。

アリッサと過ごす時間はどうにも心が洗われるようで、酒を過ごしたはずもないのに記憶がおぼろげなのだ。


「ノワール殿の手配で全てこちらへ持ち込んでおります」


「それは良かったわ」


「しかも、最愛様がドレスを贈ってくださったのですよ! 最愛様がお国で好ましく思われていたドレスとのことで、初めて拝見するドレスですが、大変愛らしいので、是非そちらを着られては如何でしょう」


「まぁ! 何て素敵なのかしら! バスに入る前に見たいわ」


「勿論でございます」


興奮するローザリンデの前にモーレンミントのフレーバーウォーターが出されたので、一息に飲み干しておく。

未だかつてない喜びを感じながら、クローゼットルームへと先導される。


「す、すばらしいわ!」


「喜ばしいことに、最愛様と色違いのデザインと伺っております」


「どうしましょう! 足に羽が生えた心持ちよ!」


クローゼットルームもまた広かった。

部屋の三面はドレスが収納できるクローゼット。

残りの一面には男性でも全身が映せる一対の姿見に挟まれた、女性なら誰もが憧れるだろう優美な装飾が施されたドレッサーと椅子が置かれている。

そして中央には常に最新ドレスを身に纏い続けてきたローザリンデをも魅了する、可愛らしいドレスがトルソーに着せられていたのだ。


「和風ゴシックロリータ、と呼ばれるドレスとのことにございます。また花柄の花は桜と申しまして、最愛様のお国のお花と伺いました。儚くも美しい花でございますね」


「ええ、そしてとても可愛らしいわ!」


色は優しい桃色が基調のロングドレス。

袖は一時期流行したパコダスリーブ。

スカートはふわりと広がるプリンセスライン。

襟元には大きなリボン。

リボンは桃色と、白と桃色の桜が刺繍された、柄物の生地による二種類で作られている。

ウエストとスカートの下部は桃色。

上半身とスカートの上部は桜が刺繍された桃色生地。

バランスが良いので花柄がしつこくならないのが好ましかった。


「あとは髪飾りとイヤリングが用意されてございます。ヘッドドレス風かんざしと申しまして、髪の毛を結い上げてのちに、このように結った部分に沿わせて飾るのだとか」


ヘルガが髪の毛を持ち上げて、ヘッドドレス風かんざしを載せた。

宝石と銀で作られた桜の髪飾りは、愛らしさを追求したもののようで、ローザリンデよりはアリッサに似合いそうだが、揃いならばそれだけで光栄だ。

イヤリングもヘッドドレス風かんざしの一部と同じデザインで、動くと鬱陶しくない程度に揺れるタイプのものだった。


「ふふふ。これほど楽しみなお茶会は初めてだわ!」


「そうでございましょうとも。さぁ、バスに浸かってリラックスなさいませ。このドレスはコルセットも不必要とのことでございますよ」


「それならアリッサ様が準備してくださった、美味しい物を存分にいただけますわね」


「時空制御師様も絶賛する逸品揃いとのことでございますよ。話題にもなりましょう」


公爵令嬢として、もしくは王妃として社交界に戻るのならば、時空制御師最愛との縁は、これ以上はない強い縁だろう。

王族に良い印象はないであろうが、ローザリンデに悪い印象はないように見受けられる。

つまりは王であってもローザリンデを通して、アリッサとの交渉をしなければならない。

アリッサが望まぬ以上、王の要請を通すつもりなどさらさらないが、それでも王はローザリンデを今まで以上に優遇するはずだ。


「長く気鬱な時間を過ごしてまいりましたけれど、アリッサ様のお蔭で私。以前よりもずっと心も穏やかに王の隣へ侍れそうですわ」


「何よりでございます。さぁ、どうぞバスへ」


ヘルガに服を脱がせられて、バスへ沈む。

思わず、ほぉ……と溜め息がでるほど、心地良い湯加減だった。

嗅いだことのない香しさが立ち上る湯が、そのまま肌へと染み込んでいくようだ。

保湿の効果もあるのだろうか。

掌に掬い取ったお湯を腕に滑らせれば、産毛までが潤いを帯びた気がする。


髪の毛も丁寧に洗われて、泡が流された。

流されても髪の毛は、何とも心惹かれる香りを保ったままだ。

そういえば、アリッサからも常に香しい匂いが漂ってくる。

時空制御師である夫の好みなのだろうか。

だとしたら、そのセンスの良さが羨ましい。

王のセンスは決して悪くないのだが、ローザリンデの好みではなかったのだ。


「まぁ、これからは私の意見を多く通しやすくなりましたわ。プライベートでは少々意見いたしましょう」


ヘルガの声がけにバスから上がった。

全身を何とも肌触りの良いバスタオルで拭かれて、ドレッサーの前に座る。


「「「御主人様の命により、お手伝いに伺いました」」」


ドレッサーの上に、ちんまりとリス族のメイドが三人並んでいた。

あまりの可愛らしさに表情が緩む。

ヘルガも同じ気持ちだったのだろう。

よろしくお願いいたします、の声が僅かだが上擦っていた。

長い付き合いで知っている。

ヘルガは可愛らしいものが大好きなのだ。


ヘルガが髪の毛を乾かしている間に、一人が顔を、二人が爪を整えてくれる。

顔を整えてくれる子が、化粧水をたっぷり浸したコットンを、勢いよく叩きつけてくれるのが何とも心地良い。

人であれば指先に摘まんで使うコットンを、両手でしっかりと握り締めて、助走をつけて顔に滑らせる様子は、何度見ても飽きずにただただ愛らしい。

王妃になったならば、リス族の優秀なメイドを一人つけてもいいかな、と思案するほど、三人の働きはすばらしかった。


見事な細工が施された爪を、目の高さまで持ち上げて凝視する。

爪の一つ一つに形の違う桜が描かれていた。

ネイルアートという技術らしい。

初めて見る技術だ。

貴族夫人や令嬢たちはこぞって魅了されるだろう。

美しくも繊細な技術。

アリッサが齎したものだろうが、それを既に自らの技術として完璧に身につけているリス族の三姉妹には舌を巻くしかない。


「失礼いたします」


ノックのあと一拍おいて扉が開かれる。

漆黒に見惚れるしかない天使族の女性が立っていた。

御主人様から申しつけられまして……と三姉妹が、屋敷の住人について一人一人説明してくれた中に、当然彼女もいた。

希少な漆黒を纏う天使族のフェリシア。

その武勇と功績は幼い頃から聞き及んでいる。

何時か会えたなら僥倖だと思っていた伝説級の一人。


その心身ともに美しい女性が、天使族の中では忌み子として疎まれた挙げ句に、奴隷として売却されたと聞いて心から驚いた。


天使族の中では特有の価値観があると噂程度では聞いていたのだが、まさかそこまで外見だけで判断してしまう愚かな種族だとは想像もしていなかった。

たぶん大半の人族が勘違いしていると思う。

天使族が崇高な種族であると。


「茶会の準備が調いましたゆえ、足をお運びいただけますよう、主人より伝言をお持ちいたしました。不肖、天使族がフェリシアが、ローザリンデ様のエスコートを命じられましたが、お許しいただけますでしょうか」


すっと優美な所作で腰が落とされ、すべらかな腕が伸ばされる。

正直無骨な騎士のエスコートとは比べものにならぬほど、心が躍った。

頬などは押さえようもなく紅潮してしまっている。

視界の端に映るメイドですら、ローザリンデと同じ状態だった。


「許します。アリッサ様の護衛騎士にエスコートされるなんて、大変な栄誉でございますわ」


緊張する手を、フェリシアに預ける。

手袋越しなのが悔やまれるほどに、美しい掌だ。

傷一つないのは、フェリシアの強さの証なのだろうか。


リス族の三姉妹は慣れた様子で、フェリシアの肩に飛び乗る。

これが基本的な彼女たちの移動法らしい。

メイドも頬の紅潮を隠せぬまま、けれど公爵令嬢の専属メイドとして相応しい矜持を保ちつつ、ローザリンデの背後に付き従う。


「まぁ!」


案内されたのは和室と呼ばれる、時空制御師が広めた建築様式の部屋。

い草の香りがふわりと優しく鼻を擽った。

王都では多くない建築様式だが、地方、それも保養地には大変多く取り入れられている。

ローザリンデも幾つかの和室を利用した。

けれど、今目にしている和室ほどに洗練された部屋は初めてだ。


フェリシアに先導されて椅子に座る。

畳の上に座椅子が置かれている様式だ。

座布団の上に座った経験もあるが、座椅子の方が座りやすいので嬉しい。

上手な正座の仕方も教わったのだが、どうにも足が痺れてしまうからだ。


参加者はローザリンデが最後だったらしい。

空席がなくなった。

和室にはローザリンデの他にもゲストがいた。

見知っている者も、知らぬ者もいる。

けれど警戒心はない。

警戒せねばならぬ相手ならば、そもそも屋敷にすら入れないだろう。


「それではこれより、時空制御師の最愛アリッサ主催の茶会を開催いたします」


簡素な挨拶が好ましい。

この挨拶に延々と自慢をいれるのが貴族流なのだ。

最初が肝腎なのは確かなのだが、勘違いしている貴族が多すぎて笑えない。


この作品はいかがでしたか?

14

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚