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「初対面の方もいらっしゃるので、乾杯の前に簡単な御紹介をさせていただきます」
乾杯はスパークリングワインらしい。
メイドたちが背後で瓶を持って待機している。
しかし初めて見るラベルだ。
「まずは、公爵令嬢ローザリンデ・フラウエンロープ様。長い憂いが晴れて近日中に王宮へ戻られる予定になっております」
身分が高い順の紹介で間違いなさそうだ。
ローザリンデは椅子を引いてくれたフェリシアに会釈をして、立ち上がって軽く腰を落として首を傾げてみせる。
自分より身分が下の者への挨拶では最上のものだ。
椅子に座る全員が頭を下げる。
「続いて、弩級立会人のアーマントゥルード・ ナルディエーロ様」
「時空制御師の御方からは沙華を、アリッサ様からは柘榴の名を賜りましたわ。皆様はどうぞ、柘榴とお呼びくださいませ」
立ち上がっての優美なカーテシー。
がんと頭を殴られたような衝撃を受ける。
自分がかつての栄光以上の地位を持ってしても、叶わぬ名前を聞いてしまったからだろう。
立会人の中でも、ナルディエーロの名前は有名だ。
権力者よりも権力を持つ者として。
また、不正を決して許さぬ者として。
ナルディエーロの前で、どれほどの貴族どころか王族までもが死へと追いやられただろう。
それは潔癖として名を馳せ、後ろ暗いことなど何もないはずのローザリンデでも、ぞくりとした寒気を覚えるほどだ。
しかも時空制御師とアリッサの二人から名前を与えられ、受け入れている。
それだけでお互いを信頼し合っていると知れるのだ。
ナルディエーロと縁を結べるのは嬉しいが恐ろしくもある。
「続いて、露天売りの狼族エリス・バザルケット様」
「様なんて、つけられるほどの者では、おらんのじゃがのぅ」
よっこらせと腰を上げて、頭が下げられる。
美しい銀色の耳がぴこりと動いた。
こちらもまた、権力が通じない相手だ。
狼族最後の純血種と呼ばれるバザルケットは、どの国もが例外なく庇護している貴重な希少種。
世界に散らばる全ての狼族を統べる者。
今は自由気ままな露天売りに扮しているとは聞いていたが、まさかアリッサが既に出会いを果たしていると思わなかった。
これも時空制御師の手の内なのだろうか。
「続いて、王城に仕えしリゼット・バロー殿」
立ち上がって直角のお辞儀。
無言なのはローザリンデに倣ったのだろう。
寵姫が暴走している間、王城最後の良心と呼ばれる存在だった。
当時の王が、辛うじて耳を傾けるのがバローの声だったのだ。
肩の荷が下りたような顔をしているので、自分の復帰を喜んでいるのがわかる。
言葉だけでなく、一度だけでなく、心から労いたい。
「続いて、守護獣屋を営む蟷螂人の透理殿」
「高貴な方々へのお目通りが叶いましたこと、深く感謝いたします。当店にお越しの際には、心より歓迎申し上げます」
初めましての方は彼女だった。
守護獣屋とは縁が薄かったので無理もない。
商人として無難な挨拶のあとで、意外にも美しいカーテシー。
見目も美しく強い守護獣を求めて、守護獣屋を訪れる貴族も少なくないと聞いている。
この機会に是非とも店舗まで足を伸ばしたいものだ。
しかし蟷螂人とは珍しい。
昆虫人は忌み嫌われる傾向にあるので、王都ではあまり見かけないのだ。
不躾に観察しないように注意を払わねばいけない。
「最後に、王都ギルドマスターのアメリア・キャンベル殿」
「御紹介いただきまして、恐縮でございます。王都ギルドへ御用命の際には御指名いただくと有り難いので、よろしくお願い申し上げます」
バローと同じ直角のお辞儀。
美しい金髪がさらりと揺れる。
祖父が子供の頃には、既に王都のギルドマスターを務めていたというキャンベル。
世界中に数多存在するギルドの中でも、トップクラスの収益と問題を叩き出しているギルドマスターを、長く勤め上げるその手腕は広く知れていた。
何より失敗に対するフォローが的確だと聞き及んでいる。
公爵令嬢であった自分も、派閥の掌握には苦心した。
ギルドマスターという立場ならば、そういった話もできそうだ。
エルフ種のキャンベルならではの手法もあるに違いない。
そんな話もしてみたかった。
「乾杯のあとは、私のことは気にせず、自由に歓談を楽しんでいただければと思います」
「アリッサ嬢も、遠慮はいかんのじゃぞ?」
この辺りは、さすがに年の功。
否とは言わせない、圧があった。
バザルケットの言葉にアリッサは苦笑しつつも頷いた。
そして。
「では、乾杯の前に一つだけ。どうぞ、皆様。私のことはアリッサとお呼びくださいませ」
ローザリンデは、得がたいものを一つ。
手に入れることができた。
「乾杯!」
いつの間にか注がれ、反射的に手にしていたグラスの中身を一息で干す。
アリッサ以外は全員、緊張していたのだろう。
あのバザルケットでさえも。
「アリッサ様、このお酒! スパークリングワインではございませんね?」
透理が蟷螂人特有の瞳をきらめかせながら、アリッサに問うている。
ローザリンデも同じ質問をするつもりだった。
飲みやすくあっという間にグラスを空にしてしまったその中身は、ローザリンデでも初めて飲む味だったのだ。
ここまで美味なのに飲んだことがないというのが、あり得ない。
特に生家はワインの収集家でもあったからだ。
「ふふふ。珍しいでしょう。私の国の、お酒なの。ワインではなくてね? 日本酒というお米から造ったお酒なの。向こうでも炭酸入りは最近出回り始めているお酒なのよ。美味しいでしょう?」
「ワイン同様の満足感がありますね」
ナルディエーロも満足げに頷いている。
吸血姫としての言葉ならば、販路はますます広がるだろう。
アリッサに販売の意思があれば、だが。
「お代わりの用意もありますから、遠慮なく申しつけてくださいね」
「お願いします!」
一番にグラスを差し出したのは、キャンベルだった。
よほど好ましかったのだろう。
白い肌が真っ赤に染まっていくのを、内心で愛らしいと堪能しつつ、ローザリンデもお代わりを所望するべく、三人がかりでボトルを捧げ持つリス族のメイドに会釈をした。
会話の口火を切ったのはバザルケット。
生きた歳月を考えればナルディエーロが年上なのだが、若々しく見える ナルディエーロと老婆にしか見えないバザルケットでは、バザルケットが年上の気がしてしまう。
そうでなくともナルディエーロからは感じられないバザルケットの寛容さが、本来の年齢を惑わせるのかもしれない。
ローザリンデなど遠く及ばない年月を生きる方々であるのは、間違いないのだが。
「王宮の混乱もローザリンデ嬢の帰還で落ち着かれるであろうなぁ」
「そうですわね。あの女の断罪には私も呼んでいただけたなら、存分に弩級立会人として仕事を全うさせていただきますわ」
「恐縮でございますわ。バザルケット様にも、同席いただけたなら光栄でございますが……」
「うーん。場違いな気がするけれどねぇ。ローザリンデ嬢が望むならば吝かではないとは思っておるよ」
肯定的な返答を聞き心の中で胸を撫で下ろす。
社交界から追放されたローザリンデの後ろ盾は多いに越したことはない。
弩級立会人、狼族最後の純血腫。
そのどちらかだけでも、ローザリンデの変わらぬ、どころか以前以上の力を示せるのだけれど。
「では是非に。御同席いただきたくお願い申し上げますわ」
苦労して作るまでもない自然な微笑を口元に残しながら、アリッサを視界の端に映す。
アリッサは飲み物を選んでいるところらしかった。
ローザリンデの目線に気がついたのだろう。
人の心を寛げさせてしまう、無意識だからこそ尊い微笑を浮かべたまま、アリッサが口を開く。
「皆様が普段嗜まれておられるアフタヌーンティーにおける、紅茶の立ち位置にある飲み物です。私は日本茶と認識しておりますの。玉露、ほうじ茶、抹茶、粉末茶を用意しておりますわ。どれも好ましい味わいですので、皆様には菓子や料理を楽しみながら全部を味わっていただきたいと思いますのよ」
目の前に手早く準備された取っ手のない小さなカップには、味見用だろうか。
四種類の日本茶が入っているらしい。
「……自分は抹茶が一番好ましいです。見た目からしてスープのようなのに、飲めばまろやかな苦みと渋みがあり、それ以上に感じる甘みがたまりません!」
透理が感極まった声で喜びを伝える。
「玉露は繊細な味かと。旨味も強いので高貴な方が好まれるように思います」
無礼講のお茶会でもバローの声は固い。
立場上仕方ないのだと理解していても、もう少し心を寛げてくれればいいのにと願う。
「粉末茶が、その……茶葉その物をいただいているようで、エルフ族に卸していただけるのならば、定期的な需要が見込めます」
キャンベルは商売の提案までし始めた。
それだけ魅力的なのだ。
「お好みの物を存分に、堪能くださいませ。玉露は王城に献上しても構いませんし、粉末茶もエルフの方々へ卸しても構いません。彩絲が相談を受けますわ」
見つめ合った二人だったが、キャンベルが先を譲ったようだ。
バローが献上ではなく販売も受ける旨などを、伝えている。
「私はほうじ茶が一番好きですの。万人受けする安価なお茶ですわ。妊婦さんでも安心して飲めるので、販路は広そうですわね」
何故か透理の目が輝いている。
目端の利く商人のようだ。
守護獣屋を営むのだから、そう感じるのは正しい評価なのかもしれない。
「さぁ、ローザリンデ様。どうぞ箱をお開けになって?」
広々とした円卓の上、一分の隙もないテーブルセッティングがされている。
どれもこれもが目新しい物ばかりの中で、ひときわ目を引く箱を開けるようにと勧められる。
「では、私もほうじ茶をいただけますでしょうか?」
ローザリンデの言葉を聞いたフェリシアが普段使うティーカップと同じサイズの、取っ手がないカップにほうじ茶が入ったものを、手早く邪魔にならない場所へと置いてくれる。
「この透かし彫りも素敵ですわねぇ……」
蓋に手をかけて開ける前に、箱正面に施された繊細な細工を見つめる。
瑞々しいまでの百合を表現した箱の隙間からは、美味しそうな料理や菓子も垣間見えた。
「私の国では三段重と申しまして、これを持ってピクニックや花見などにも行きますの」
「まぁ、素敵ですわ!」
「遠出は難しいと思いますが、近場へのピクニックや花見などに御一緒いただけたら嬉しゅうございますわ」
「嬉しい御提案恐縮ですわ。そんな素敵な行事があるのなら、日々の執務も乗り越えられましょうとも!」
はしたなく拳を握り締めたところで、ここには咎める者などいない。
あのバローでさえも、微笑ましいものを見つめる眼差しをローザリンデに向けるのだ。
「王宮で豪奢な料理やデザートには見慣れたつもりでしたけれど……これは、なんと申し上げればよろしいのでしょう?」
「感じるがままでよろしゅうございましょう。例えば美しいと、その一言だけでも」
穏やかな声に小さく頷く。
王子妃、王妃教育で得たどんな美辞麗句でも表現できない。
とすれば、アリッサの言うようにただ一言、美しい、と告げればいいのかもしれない。
その一言に、ローザリンデが今抱えている感動を詰め込めばいいのだ。
「……美しいだけでなく……美味しそうにも見えますわ」
「ええ、これは全て食べるものですもの。美味しそうに見えるのもまた、嬉しい感想の一つですわ」
三段の箱を上から一つずつ手にして並べる。
思わず溜め息のでる美しさで、様々な料理が盛りつけられていた。
「一の重には前菜、二の重には食事、三の重には甘味が詰め込まれております。どうぞ、堪能くださいませ」
勧められるがままに、一の重に入っていた一つの前菜を口にする。
一口で食べられるサイズだ。
見た目はマローン(栗)に似ている。
「ん!」
しかし味は濃厚なシュリップだった。
たぶんシュリップをすり潰した食感だろう。
だが味はシュリップだけではない。
記憶が正しければ魚から取った、出汁と呼ばれる汁を混ぜ合わせているのではないかと考える。
シュリップそのものを食べるより、味が凝縮していて美味しい。
一口サイズが惜しまれる。
ほうじ茶でシュリップの濃厚な風味を適度に飛ばして、次の料理に手を伸ばす。
一見つやつやのサトイモッコ(里芋)だ。
上には何やらソースがかかっている。
王宮ではよくスライスしたものが饗された。
これも一口で食べられる。
迷って半分だけ囓ってみた。
なんと、中に何かが詰められている。
希少食材のクエックウェザ(フォワグラ)だ。
滅多に食べられない独特の風味に舌鼓を打つ。
ソースはたぶんミソソ(味噌)。
それもホワイトミソソ(白味噌)だろう。
ミソソがここまでクリーミーなソースになるとは驚きだ。