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「………これで大丈夫、これでも良かったんです……そうです、よね…。」
学生が本来の用途だけで使うにしては劣化が目立つ学生鞄。鞄を持つ為の紐は心細いながらも、これまでこうして機能していてくれた。
でも、今日からは必要が無くなる。
使わなくても……いえ、使ってはいけない物。
だって、こうなってしまった以上、私は───
「───いえ、こんな事考えていても仕方無いですよね。気を切り替えなければ。」
一人首を横に振って、雑念を振り払う。
行動に出した以上、今は先の事を考えなくてはと、気持ちを新たに切り替えて進む事にした。
◇ ◆ ◇
「………ただいま。」
空虚だけが、ただそこにあった。
木製玄関の扉を閉めて、鍵を中からそっと回す。カチャリ、とだけ音が鳴り響いた。決してうるさくはなくても、静音の中では目立つに十分だったもの。
靴を脱いできっちり揃えてから、1段高い床を踏みつけ上がる。そのまま玄関から洗面室に向かって着替えを済ませてから、洗濯機を回して自室に戻った。
勉強机に乱雑に置かれていた勉強の跡と、ヘッドホン。随分と前に、お姉ちゃんに買ってもらった物だと記憶している。照明を反射して白を生み出す黒色のヘッドホンのコードの先には、充電されている携帯が一つ。
携帯の充電はとうに100%を示していて、通知バーには早くコードを抜けと書かれている。
充電器と携帯を離れさせると、特に意味もなくヘッドホンを身につけては携帯のホーム画面に表示されている再生ボタンを押す。何を聴いていたかは忘れていたし、特に勉強をしたいとも思わない。
それ以外にやる事も無いからと、結局今にも転がり落ちそうなシャーペンを持つことにはなったけれど。
ヘッドホンからは集中出来る様にと、そういったコンセプトを持つフリーBGMの1:30耐久が再生されていた。いつも聴いているものだからか、特に新鮮味も感じなければ感動を覚える事もない。それが当たり前だろう。
ただかなり終盤まで再生していたようで、椅子に座って勉強を進めていく内に勝手に終わってしまった。けれども数秒経ってからすぐにまた別の耐久BGMが再生されたので支障はなく、特に鬱陶しく感じる事は無かった。
換気のために開いていた窓の僅かな隙間から風が入り、それに流れて蝉の声がヘッドホンをすり抜け私の耳まで届いてくる。
その音につられて外を見ると、窓の外には近所にある家に電柱や電線のある中、より一層目立つ緑が風に共鳴して揺れていた。
「……冬翠…。」
気がつけば、思わずそんな声を空気に零していた。誰かに拾われる事もなく、ただ1人の空間では消えていくだけ。
今日起こったあの圧巻の光景は、私にはあまりに眩しすぎた。綺麗な翠を放ち、辺りはきらりと光り輝く。
周りはざわめいていたし、教師だって、私のお姉ちゃんだって驚いてたと思う。
だって、あまりに強すぎるから。光が。
それに冬翠は、これまでの検証検査では一度も片鱗を見せずに隠していたから。
きっと、名誉だからこそ誰も隠さない。
きっと、誇れだからこそ皆が毎度期待をする。
突然覚醒という例は本当に稀らしく、周りは少し諦めている節もあった気がするけど…。
けれどあの光景を見てから周りは皆、少しだけ表情を明るくしていた気がする。
(………、…あの時……。)
光る直前。
あの時にちらりと見えた冬翠の顔は、真剣だった。どこか迷いはありながらも、その目ははっきりと、決意が現れていた。