何も見えない暗闇の中、エルツァーレマイアは1人で佇んでいた。
その顔は絶望に満ち溢れている。その理由はたった1つ。
『……アリエッタがいない』
腕の中にいた筈の娘の姿がどこにも無い。しかも気配を探っても全く見つからない。
たとえ世界や次元が違ったところで、当たり前のように見つける事ができるエルツァーレマイアにとって、この状態は普通ではあり得ない事だった。
(はぁ……何かに隔離されちゃったか。まぁ破ればいいけど、その前に早急に原因探ってみた方が良いわね。後で同じ事されても困るし)
顔色は悪いが、そこは流石に女神というべきか、アリエッタの身を案じつつも根本からの解決を考えている。
精神世界では命に係わる事は無いと分かっているからこその判断……というだけではなく、怖い目に遭ったら自分にも甘えてくれるかもしれない…という下心もかなり含まれていた。
(あまり泣かせたくはないし、さっさと終わらせちゃいましょ)
顔を上げ、後ろを振り向くと、淡く輝くディーゾルの姿があった。
視線を交わし、ディーゾルが小さな体でお辞儀をする。
「……ご明察の通りだと思うケド、キミをこの場に呼んだのはボクだ。こんな姿で失礼するよ」
少年の様な声で、ディーゾルが話し始めた。
「さて、聞きたい事は色々あると思うけど、ボクからも聞きたい事があって、こうしてキミだけ招待したんだ」
『………………』
エルツァーレマイアは真剣な表情で黙ったまま、喋るディーゾルを見つめている。
その顔に警戒を感じたディーゾルが、ここは話しやすいようにリードしたほうが良いだろうと判断し、さらに話を進めていく。
「どうしてボク以外の神がこのリージョンにいるんだい? もしかしてハウドラントの神なのかな? だとしたらゴメンよ。夢をもう少し回収したらすぐに出て行くからさ。さっきまで少年達の夢を観てて、そちらの状況が飲みこめていないんだ」
さらりと自分が神だと言い放ったディーゾルは、目の前のエルツァーレマイアを神だと見破っていた。
対してエルツァーレマイアは、一瞬驚いた表情になった。
(あっ、なるほど……出くわす程この世界に長居するつもり無かったけど、出会っちゃったものは仕方ないか。でもどうしようかな……)
「ふむ、ボクが神だと分かってもその程度のリアクションというのは、ちょっと寂しいな。まぁいいや、こんな姿だからね。あまり説得力がないだろう。こうやって閉じ込めているせいで、怒っているのかな?」
エルツァーレマイアがうかつに返事をしないのを良い事に、ディーゾルはなおも喋り続ける。その声色には、楽しそうな感情も篭っていた。
「……まぁいいや。そんな風に警戒されるのはボクとしても本意じゃない。キミはまだ若いようだから知らない事も多いだろうし、折角だから緊張がほぐれるように自慢話をしてあげよう」
ディーゾルの姿をした神は、唐突に生い立ちを話し始めた。
──遥か昔、様々な形の何もないリージョンに命を創り出そうとする神々がいた。ある神は地道に生物が発生しやすい環境を整え、ある神は自分自身を分裂させて世界の理を作り、ある神は世界を構成する要素そのものを生物へと進化させていった。
その中の1神は、自分自身を世界にするという選択をした。しかしそれだけで力を使い果たし、生物どころか住む為の大地すらもそこには無かった。
世界の枠でしかない存在となってしまった神は焦った。そしてあろうことか他のリージョンへと行き、物質と生命を奪うという暴挙へと出てしまう。
しかし他のリージョンにも神はいる。そんな他神の怒りを買い、あっさり返り討ちにあってしまった。
それから長い長い時を経て、無駄に漂っていたリージョンの意思は1つの結論を出した。
「それが『夢』というモノ。昔は想像も出来なかった事だけど、今となってはむしろ実際に形の無いものは都合が良かったよ。ただ『夢』という曖昧な記憶を拝借するだけだから、何かを失うといった実害があるわけでもない。取り込んだ生物には少々眠ってもらうから、他の神には少し嫌な顔されるけど、それだけ。そうしてたまになら良い刺激になるだろうって、夢を得る事を黙認してもらえる立場になったんだ。そしてヒトにドルネフィラーと呼ばれるようになったという訳さ」
最後には嬉しそうに締めくくる。ディーゾル…の姿をしたドルネフィラーは、いわゆる『語りたがり』の類である。
聞いてもいないのに全て話し終えたドルネフィラーは、満足したとばかりに体を伸ばした。そして真剣な顔で自分を見ているエルツァーレマイアへと向き直る。
「さて、そろそろ緊張は解けたかな? まぁ急にこんな昔話を聞かされて、若いキミは混乱しているのかもしれないね。待つのには慣れてるから、ゆっくり整理してくれて大丈夫だよ」
そう言うと、ドルネフィラーは虚空を見つめ始めた。他の場所の状況を観ているのである。
その眼に映るのは、池の下から歩いて出てきたミューゼ、壁から地面に向かってカサカサと這い上がろうと思案しているパフィ、キョロキョロと周囲を見渡しながら歩き続けるネフテリア、地面に横たわって目を閉じているメレイズ。
最後に、目の前の神と同じ力を感じるアリエッタが空で大泣きしているのを観た時、少し焦りながら心配そうに、何やら悩み続けるエルツァーレマイアをチラ見した。
その時、同時にエルツァーレマイアも覚悟を決めたように、1人で頷く。そして緊張した面持ちで屈み、目線をドルネフィラーに合わせ、口を開いた。
『あ…あのー、すみません。貴方はこの世界の神ですよね? 娘に会いたいのでここから出ていいですか?』
「……は?」
当然といえば当然だが、この次元の言葉が分からないエルツァーレマイアは、これまでの話を一切理解していなかった。真剣な顔つきだったのは、ただどうやってコミュニケーションを取ろうかと悩んでいただけである。
つまり、気を利かせたつもりのドルネフィラーの長い語りは、完全に無駄だったのだ。
結局、とりあえず話が通じない事を分かってもらうために、恥を忍んで自分の言葉で質問をしてみたのだった。通じない事を分かっていて話しかけるので、ほんのり顔が赤くなっていたりする。
「えっ……あの、何語……えっ……嘘……」
延々と語りつくした後に、ようやく通じていない事に気が付いたドルネフィラー。人の形をしていないというのに、そのショックは見てわかるくらい表情と動きに現れている。
言葉を理解していない相手に得意気に話していた…つまり1人で勝手に自分語りをして、完全スルーされていたという恥ずかしい出来事は、その後しばらくの間、ドルネフィラーを実際に転がる程悶えさせた。
「ゴメンナ、サイ」
そこへ、エルツァーレマイアによる拙い発音での謝罪がトドメとなる。慣れない事が丸わかりの発言は、自分達の言葉がどんなに多く見積もってもほんの一部しか理解されていない……そう思わせるには十分な行為だった。
動きを止めたドルネフィラーは、その後しばらくの間、自分への羞恥を殴りつけて払うかのように、モフモフの小さな前足で地面にあたる場所をポフポフと叩いていた。
そんな可愛らしい小動物を、エルツァーレマイアは困ったように見つめるしか無かった。
(う~ん、話が通じないんじゃ仕方ない。強引だけど、まずは勘でアリエッタを探しにいくとしますか)
こうなったら最後の手段といった感じの顔で、エルツァーレマイアは何もない虚空に手を伸ばすのだった。
「困ったわね……」
道なき草原を歩きながら、ネフテリアはポツリと呟いた。
「やっぱり夢だなぁ……歩いても歩いても全然進まない」
森の前から出発したネフテリアは、とにかくひたすら歩いていた。周囲に警戒を怠る事なく、ただまっすぐにである。
しかし、どれだけ進んだのかを知る為に後ろを振り返ると、すぐ傍には森の木々がそびえ立っていた。
嫌な予感がし、足元の草の流れを見ながら進んだり、時には全力で走り、ものは試しとばかりに目を瞑って歩いたりもした。
しかし、後ろを振り返ると相変わらず森があったのだ。
「あーもういーかげん頭おかしくなりそう。わたくしには脱出出来ないってことなのかしら……」
そう思って歩く事を諦めようとしたその時だった。
突然正面の何もない空間から緑色の鋭利な何かが突き出し、空を斬った。
「何!?」
斬れた箇所が大きく開き、中空に黒い裂け目が現れる。
何事かと思い、警戒しながら注視しているネフテリアは、次の瞬間黒い中から現れた人物に驚愕した。
「エルさん!? なんで!? なにこれ!?」
驚愕しているのはネフテリアだけでは無かった。
「えっちょっとまっ……! 何してんだああぁぁぁ!?」
黒い中でへこんでいたドルネフィラーも、いきなり裂かれた空間に驚いて、慌てて駆け寄っていた。そのまま外に出て、キョロキョロと場所を確認し始める。
「この夢は今はボクが支配しているんだぞ!? なんで勝手に開けてんの!?」
「……うわあっ!! ディーゾルがシャベッタアアアアア!?」
「うひっ!? キミはさっきの!」
いきなり好き勝手に場所を繋げたエルツァーレマイアの技に驚き、そんなドルネフィラー…喋るディーゾルにさらに驚愕するネフテリア。そして人がいる事にまた驚くドルネフィラー。
目の前で突然繰り広げられた大騒ぎを見ても、エルツァーレマイアにはどうして大騒ぎしているのかが分からない。
(あら、この子達、仲良さそうね。でもアリエッタがいないわ。急がなきゃ)
エルツァーレマイアにとって、アリエッタが第一なのである。
同行していたネフテリアの事は信頼しているが、今は気にしている余裕は無い。通じない言葉で事情を説明する時間も惜しいのだ。
だからこそ次にとった行動は、迅速かつ目の前で騒ぐ2人の意表を突いたものとなってしまう。
『すみません、間違えました♪』
そう言って済まなそうにお辞儀し、開いた空間を丁寧に閉じて戻っていったのだった。
「……へっ? ええええええ!?」
「エルさん!? 置いてかないでぇぇ!?」
ドルネフィラーはまたまた驚き、ネフテリアは涙を飛ばしながら叫んでいた。
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