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「うーん……たぶん間違いないね、ここはグラウレスタだわ」
宙に浮かぶ大きな池の下から離れ、改めて周囲と池を確認したミューゼは、見慣れた風景に確信を持って結論づけた。
離れた場所にある森、宙に浮かぶ石や水、かなり遠くに見える崖と側面を流れる川。どれもミューゼにとってはそれなりに馴染みのある風景である。
しかし、どうしても気になる事があった。
「生き物がいない? やっぱり夢の中だから?」
現実では危険で巨大な野生生物が、遠くからでも多数見えていたはずの平原。そんな場所に立っているのは初めてだが、本来ならば警戒するべき相手が一切いない。
もちろんここはドルネフィラーの悪夢の中。夢だからと済ませる事自体は簡単だが、この場所を知っているミューゼにとって、この状態はむしろ気持ち悪いと思ってしまうものなのである。
「とりあえず進んでみるか……アリエッタがいるかもしれないし。泣いてなきゃいいけど……」
希望むなしく、大空で大声を出して、絶好調で泣いているところである。
呟きながらふと何かを感じたミューゼ。なんだろうと思いながら顔を横に向けた。
「………………」
『………………』
すぐ傍の何も無かった空中に黒い裂け目があり、その中からエルツァーレマイアが覗いている。
あまりの光景に、絶句し動きまで止めてしまうミューゼ。唐突かつ顔が半分だけ空中に見えているのは、それを見てしまった当事者にとってはホラーにもなり得る。
一体何を見ているのか、リアクションする事も出来ず固まっているその間に、空間の裂け目はそっと閉じられていった。
「…………ふぁ?」
何も無くなってから、ミューゼは気の抜けた声を漏らしながらへたり込んだ。じわじわ怖くなってきていたのか、少し涙目である。
それからしばらくの間、小刻みに震える身体と混乱する頭を落ち着かせようと、ミューゼはその場にジッとうずくまるのだった。
『う~ん、また間違えちゃった。ごめんなさいね、みゅーぜ。先にアリエッタを探してあげたいの』
アリエッタを第一に考え、あわよくば自分が助けて甘えられたいと心底願うエルツァーレマイアに、ついでに他の者を助けるという選択肢は存在しない。悪意があるわけではなく、単純に考えが及んでいないだけである。
そんな残念神は、緑色の刃を創り、気配を探っている。
『近くにいる感じはするのに、探すと遠い気がする。ここは精神世界だから距離感なんて無いようなものだけど、さっきの神が何かしてるのかしら? まぁ聞いても分からないんだけど……って、あっ』
どうせ話しても通じない…ならば勝手に動くしかないという雑な考えを巡らせていると、ふと先程のドルネフィラーをネフテリアの場所に置いてきた事を思い出していた。うっかりにも程がある。
しかし、まぁいいか…とあっさり気を取り直して、捜索を再開した。
何かに触れるように、空中を撫でていくエルツァーレマイアの手。上下左右とゆっくりと動かし、時々唸りながら少しずつ足でも移動する。その手がある1点で止まった。
『あ、今度こそみつけた』
何度も何もいない場所へと空間を繋ぎ、気配らしき痕跡をみつけては別人を見つけてしまっていたが、ようやく遠すぎる気配を見分ける事に成功した。その気配を手繰るように移動し、空中を撫でるようにしながら進んでいく。
そしてその手は、少し高い場所で止まった。
『ここ…ね! よーし今行くわよアリエッタ!』
欲望に満ち溢れた顔で、女神は緑色の刃を手で触れていた場所へと伸ばした。
夢のグラウレスタ上空、薄く見える虹の上で泣き続ける少女アリエッタ。
大声で喚き散らす事は既になくなっていたが、膝をかかえて呻くように泣いている。元大人とは思えない程の幼児退行っぷりである。女神の願望によって無意識に付与された泣き虫という性格は、本人にとっては呪いとも言えるモノなのかもしれない。
そんな泣き虫少女の近くに、何も無い空中から緑の鋭利なモノが、鈍い音と共に飛び出した。
『ひぅっ!? なん…グスッ』
驚いてしゃくりあげながらその方向に振り向き、警戒……ではなくただ怯える。泣いていたせいもあり、何か行動を起こすといった思考にはならないのである。
緑の鋭利なモノが動き、黒い切れ目が伸びていく。それは大人1人分の高さの線を描き、引っ込んでいった。
そして少女は見てしまった。切れ目から突如生えてきた人の指を。親指以外の計8本が少し高さを変えて、ずるりと現れたのだ。
『ぴぃっ!!』
孤独の寂しさと高所の恐怖で泣いていたアリエッタの精神状態は常に限界状態。そこへこの訳の分からない現象である。一瞬逃げようとするも、思うように体が動かない。
さらに……
ぐぱぁ
『~~~~~っっっ!!??』
生えた指が力を込めて、切れ目を左右に押し広げた。その瞬間、黒い空間から覗く人の一部が垣間見える。
暗い中にうっすら見えたその姿は、元々怖がっていたアリエッタには、それはもう世にも恐ろしい姿に映っていた。
その正体はもちろん女神エルツァーレマイア。非常に美しい見た目をしているせいで、暗闇で幽霊のように見えた時の冷たさと恐ろしさは格別である。
さらに、エルツァーレマイアはアリエッタを見つけたとばかりに身を乗り出した。
『よっ!』
『にゃあああああああ!!』
冷静ではないアリエッタから見て、それは暗闇の中から這い出るナニカ。恐怖に支配されているその眼では、見ている光景を正確に捉える事が出来ない。
腰を抜かしたアリエッタに出来る事は、ただ泣き叫ぶ事のみだった。そんな少女にさらなる恐怖が襲い掛かる。なんと身を乗り出した弾みで、エルツァーレマイアの足がもつれ、半身を黒い空間に残した状態で倒れてしまったのだ。
『!! っ!? っっっ!!??』
その姿を見てしまったアリエッタは、先程まで枯らしていた涙を流しながら、口をパクパクさせ声にならない悲鳴を連発していた。
転んだ拍子にエルツァーレマイアの顔が長い銀髪で隠れ、その隙間から覗く目がアリエッタを捉えていた。そのままゆっくりと這い進み、目を大きく見開き血走らせながらアリエッタに近づいていく。
もはやその姿は、アリエッタが前世で見たホラー映画の、混沌から這い寄る幽霊そのものである。
何故立ち上がらずに目を見開いているのか……それはへたり込んで動けないアリエッタの方に原因があった。
(アリエッタのパンツ! 薄ピンク! 可愛い!)
熱い視線がスカートの中にくぎ付けになっているのである。
母親かつ女神という変態の視線は、視線慣れしていない少女にとって、意味不明な悪寒の原因でしかない。
ずるずると近づいたエルツァーレマイアは、ここに来た本題を思い出し、声をかける為にガバリと勢いよく身を起こした。
『ア──』
『オバケええええええ!!』
『リエエええええええ!?』
アリエッタの精神が限界を超え、素に戻ったエルツァーレマイアの顔を見て大絶叫。
冷静になったばかりで、いきなりオバケ扱いされた女神も、意味が分からず大絶叫。
息が続く限り叫んだアリエッタは、糸が切れた人形のように力なく倒れ、目を閉じ人生を諦め始めるのだった。
『ひっく……ひっく……みゅーぜぇ……ぱひー……今までありがと……出来る事なら…ひっく…最後にもう1回会いたかった……ぴあーにゃもぉ…ごめんね……うぅ』
一方、最愛の娘に真っ向からオバケと言われた母はというと……
『オバケ……私がオバケ……? 噓でしょ……アリエッタがそんな…あはは……』
あまりにもショックだった為、少し壊れかけていた。そのまま力なく項垂れ、ブツブツと呟き始める。
『悪夢だわ。いくら精神世界だからって、こんな酷い仕打ちは悪夢そのものよ……』
『食べられたらきっと夢から覚めるんだ……きっと目が覚めたらまた会社にいって……ふふふ……ぐすっ』
虹の頂上で、女神の親子は完全に動けなくなったのだった。
そして、そんな何とも言えない悲しい光景を観ている存在が、遠く離れた場所で思わず呟く。
「どうしよう……これ」
ディーゾルの姿をしたドルネフィラーである。
念のためエルツァーレマイアの動向を観察していたが、見てはいけないモノを見てしまった気分になり、テーブルの上で頭を抱えていた。
「どうかなさいましたか? まさかアリエッタちゃんが孤独のあまり泣いていたとか? 出来れば早く助けてあげたいのですが」
そのテーブルで無理矢理落ち着くようにティーカップを傾けているのはネフテリア。ドルネフィラーにとってもエルツァーレマイアの存在は異常だった為、その人となりや経緯を知る為にネフテリアと話をしていたのである。
自分がドルネフィラーである事を伝えた時、ネフテリアは1人で大騒ぎだった。その為、神であるという事までは教えていない。その代わりというわけでは無いが、夢のリージョン『ドルネフィラー』について色々と教えていた。当然ネフテリアは熱心に話を聞き、大騒ぎするのだけは抑える事ができた。
ドルネフィラーにとっても、別に隠しているわけでもなく、むしろ知られる事で安心して夢を貰えるならばと、積極的に話していたのである。リージョンシーカーという機関と、ネフテリアが王女であるという事も、話す為のきっかけとなったのだった。
そして現在いる夢についても語っていた。この悪夢のグラウレスタは、広大な土地に1人だけで取り残される『孤独』の悪夢。だからこそ、ネフテリアがどれだけ歩いても先に進まず、ミューゼやパフィが辺りを見渡しても、一切の生物も存在しなかったのである。他に生き物がいないという孤独によって寂しさと恐怖を味わわせる類の悪夢だったのだ。その悪夢の主はドルネフィラーが姿を借りているディーゾルだと言う。
そんなネタばらしを終えた2人の続いての話題は、アリエッタとエルツァーレマイアの現状である。
「なんていうか……本人達が勝手にこの悪夢よりも酷い目を見ておかしくなってるというか……どうしてこうなった……」
「……意味が解りません」
孤独とは全く無関係な恐怖と絶望によって、自滅兼共倒れしてしまった女神の親子。
想定外過ぎる現状に、夢の神は王女と共に頭を悩ませるしかなかった。