テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
夜が、意味を失い始めていた。
星が砕けたあの瞬間から、
世界の暗闇は“休息”ではなく、
監視の時間へと変質した。
ノアは廃都を離れ、
北の荒野へ向かっていた。
理由はひとつ。
――人が、消えている。
青年(前任者)が示した地図には、
かつて村や交易地が存在したはずの場所が
いくつも空白になっていた。
「……名前が消されてる」
ノアが呟くと、
隣を歩く青年が小さく頷いた。
「正確には、“最初から存在しなかったことにされた”」
風が吹き、
砂と灰が舞う。
その中に、
微かに“声”が混じっていた。
「……たす、け……」
ノアは立ち止まる。
「今の……」
「聞くな」
青年の声が鋭くなる。
「それは、
“もう名前を持たない者”の残響だ」
ノアは、拳を握る。
「……助けられないのか」
青年は少し黙り、
やがて静かに答えた。
「助けるという概念が、
もう適用されない」
荒野の中央に、
歪んだ集落が現れた。
家の形はある。
扉も、窓も、道もある。
だが――
誰も“そこに住んでいる”気配がない。
それでも、
家々の中からは音がした。
鍋をかき混ぜる音。
足音。
子どもの笑い声。
ノアの背筋が凍る。
「……いるのに、いない?」
青年は低く言った。
「“記録だけが残った世界”だ」
ノアが一軒の家に近づくと、
扉が、内側から開いた。
そこに立っていたのは、
人の姿をした存在。
だが、その顔は――
ぼやけていた。
目も、口も、輪郭も曖昧で、
まるで“描き途中”のようだ。
「……あなた、は……」
声をかけた瞬間。
存在は、
ノアの胸の刻印を見て、
小さく震えた。
「――あ」
次の瞬間、
その姿が崩れ落ちた。
砂のように、
静かに、跡形もなく。
「……っ!」
ノアが手を伸ばすが、
何も掴めない。
青年が目を伏せる。
「近づきすぎるな」
「おまえは今、
“世界を壊す側”だ」
ノアは、
唇を噛んだ。
空が、割れた。
文字通り、
空間に亀裂が走り、
そこから“白い存在”が降りてくる。
管理者。
これまでの観測者とは違う。
人型だが、
性別も年齢も判別できず、
顔は完全な無表情。
《対象:ノア》
《歪度:臨界》
《是正処理を開始》
青年が舌打ちする。
「早すぎる……!」
管理者が、
指を一度、鳴らした。
その音だけで、
集落全体が歪む。
家々が、
“存在しなかったこと”にされていく。
ノアは叫んだ。
「やめろ!」
管理者は、
感情のない声で答える。
《是正だ》
《不要な未来の剪定》
ノアの胸の刻印が、
焼けるように熱くなる。
――進め
――選べ
――それでも行け
「……選ぶ?」
ノアは、
管理者を睨みつけた。
「おまえたちが、
全部決めてきたんだろ」
《誤り》
《選択は常に与えている》
《従うか、消えるか》
青年が、
ノアの前に立つ。
「ノア!」
彼の刻印が、
最後の光を放つ。
「俺が囮になる!
その隙に――」
「駄目だ」
ノアは、
青年の肩を掴んだ。
「もう、
誰かを“代わり”にしない」
管理者が、
一歩近づく。
空気が、
押し潰される。
ノアは、
深く息を吸った。
「……俺は、
運命を否定しない」
管理者の動きが、
一瞬止まる。
「でも――」
ノアは、
刻印に意識を集中させる。
「選ぶ権利を、
奪われるつもりもない」
刻印が、
音を立てて変形した。
星図に存在しない軌道。
未来にも、過去にも属さない力。
管理者が、
初めて“後退”する。
《警告》
《未定義行動》
《――》
ノアは、
一歩、前に出た。
「消すなら、
俺を消せ」
「他は、
関係ない」
その瞬間。
管理者の視線が、
ノアだけに集中した。
集落の歪みが、
止まる。
青年が、
息を呑む。
「……引き受けたな」
ノアは、
小さく笑った。
「昔から、
そういう役回りだ」
管理者は、
ゆっくりと告げた。
《了承》
《対象を再定義》
《ノア――》
一瞬、
言葉が詰まる。
《……》
《識別不能》
ノアの刻印が、
脈打つ。
世界が、
彼の“名前”を掴めなくなっていた。
青年は、
愕然とする。
「……おまえ、
名前を“外れた”ぞ」
ノアは、
空を見上げた。
星が、
彼を避けるように動いている。
「……なら」
静かな声。
「名前がなくても、
進める」
管理者の姿が、
徐々に薄れていく。
《次回介入》
《完全排除をもって――》
言葉は、
途中で途切れた。
静寂。
集落の跡地には、
何も残っていなかった。
青年は、
ノアを見つめる。
「後悔するぞ」
「名前を失うってのは、
生きる理由を失うのと同じだ」
ノアは、
胸に手を当てた。
刻印は、
まだ確かに脈打っている。
「……それでも」
彼は、
前を向く。
「進まない方が、
もっと怖い」
遠くで、
また星が一つ、歪んだ。
運命は今や、
彼を“修正すべき異常”として
完全に認識している。
それでも――
ノアは歩き続けた。
名前を失ったまま、
それでも未来へ向かって。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!