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夜明けは、訪れなかった。
東の空はわずかに白んだが、
それは朝ではなく――
世界が色を失っていく兆候に過ぎなかった。
ノアは歩いていた。
名前を失ったまま。
足元に影が落ちない。
星は彼を避け、
風だけが、彼の存在を確かめるように頬を打つ。
「……この先だ」
青年が指差した先に、
崩れかけた修道院があった。
石壁は半分以上崩れ、
尖塔は空へ突き刺さる途中で折れている。
それでも――
中から、鼓動のような気配が漏れていた。
「生きてる……?」
ノアが呟く。
青年は、硬い声で答えた。
「正確には――
“生かされている”」
修道院の内部は、
奇妙なほど静かだった。
埃は積もっているのに、
足跡だけが新しい。
誰かが、
つい最近までここを使っていた。
奥の礼拝堂。
祭壇の前に、
ひとりの少女が座っていた。
白い衣。
黒髪。
年は――ノアより少し下。
だが、
彼女の“影”が、おかしかった。
影が、
彼女より先に動く。
ノアが息を呑む。
「……あれは……」
青年が低く言った。
「“選ばれなかった残滓”だ」
少女は、
ゆっくり顔を上げた。
その瞳は、
深い灰色。
夜と朝の境目の色。
「……誰?」
声は弱々しいが、
確かに“生”を持っている。
ノアは、
一歩近づいた。
その瞬間――
少女の影が、
獣のように牙を剥いた。
「ノア、下がれ!」
青年が叫ぶ。
だが、
ノアは止まらなかった。
「大丈夫だ」
理由は分からない。
ただ、
胸の刻印が――
静かに、熱を帯びていた。
「君は……ひとりなのか?」
少女は、
少し迷ってから頷いた。
「……ずっと、ここにいる」
「外は……怖いから」
影が、
少女を包み込むように揺れる。
それは守っているのか、
縛っているのか――
判別がつかなかった。
青年が、
歯を食いしばる。
「ノア……
その子は、
“運命から弾かれた存在”だ」
「世界に必要とされず、
でも消されなかった」
「いずれ――
是正対象になる」
ノアは、
少女を見つめた。
彼女は、
無意識に胸元を押さえている。
そこに刻まれていたのは――
未完成の印。
ノアの刻印と、
よく似た形。
「……名前は?」
少女は、
一瞬だけ目を伏せた。
「……忘れた」
その言葉に、
ノアの心が、
ひどく軋んだ。
「……俺もだ」
少女が、
驚いたように目を見開く。
「……同じ?」
ノアは、
小さく笑った。
「ああ」
その瞬間。
修道院の壁が、
軋む音を立てた。
空間が歪み、
“白”が滲み出す。
管理者。
今度は――
三体。
《是正対象を確認》
《未定義存在:二》
《処理優先度:即時》
青年が、
剣を抜く。
「来たか……!」
ノアは、
即座に少女の前に立った。
「下がって」
少女は、
震えながらも首を振った。
「……また、消されるの?」
ノアは、
一瞬だけ黙った。
そして――
はっきり言った。
「させない」
管理者が、
同時に腕を上げる。
空間が、
削り取られる。
青年が叫ぶ。
「ノア!
おまえはもう“名前がない”!
これ以上介入すれば――」
「それでも!」
ノアは、
一歩も退かなかった。
刻印が、
激しく脈打つ。
――選べ
――逃げるか
――壊すか
ノアは、
選んだ。
少女の手を、
掴んだ。
「俺は――
この子を守る」
その瞬間。
世界が、
悲鳴を上げた。
刻印が、
完全に変質する。
星図から逸脱した軌道が、
二人を包み込む。
管理者が、
初めて動揺を見せる。
《警告》
《選択違反》
《未来分岐、許容外》
影が、
暴れ出す。
少女の影が、
ノアの影と絡み合い――
ひとつの形になる。
それは、
“定められた結びつき”ではなかった。
ただ、
選ばれた関係。
青年が、
息を呑む。
「……最悪だ」
「でも――
美しいな」
管理者が、
光を放つ。
是正が、
完了しようとした瞬間。
少女が、
ノアの胸に顔を埋め、
囁いた。
「……行かないで」
その声が――
運命を、完全に壊した。
刻印が、
爆ぜる。
管理者の身体が、
一体、消失。
二体が、
後退する。
《対象:危険度再設定》
《排除ではなく――
追跡へ移行》
白が、
霧のように引いていく。
修道院は、
半壊したまま、
辛うじて残った。
静寂。
ノアは、
息を荒げながら立っていた。
少女は、
まだ彼の手を離さない。
青年が、
苦い笑みを浮かべる。
「……完全に、
引き返せなくなったな」
ノアは、
少女を見下ろす。
「……名前を、
つけてもいいか」
少女は、
戸惑いながらも頷いた。
ノアは、
少し考えてから言った。
「“ルミ”」
「光じゃない。
でも――
暗闇で迷わないための名前だ」
ルミは、
ゆっくり微笑んだ。
「……うん」
その瞬間、
ノアの刻印が、
静かに安定した。
運命は、
彼を“異常”として確定させた。
守ると決めた瞬間、
もう逃げ場はない。
それでも――
ノアは後悔しなかった。
なぜなら。
その胸に初めて、
進む理由が生まれていたから。