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病院を退院した翌朝、俺は《レイヴンズ・ネスト》本部への呼び出しを受けていた。地下鉄に乗る気にもなれず、タクシーで移動する途中、運転手が不意に尋ねてきた。
「お客さん、最近のニュース観てます? 例の……変異体連中の噂ですけど」
「知ってます。でかい規模の集団が都市部を包囲しようとしてるらしいですね」
「ほんと怖いですよ。妻が言うには地下鉄にも紛れ込んでるって話で――」
そこまで聞いたところで急ブレーキがかかった。前方を塞ぐように立ちふさがる数台の車両。フロントガラスに反射する影が蠢いている。
「嘘だろ……」
運転手が絶望の色を帯びた声を漏らす。
バックミラー越しに振り向くと、車の屋根の上で踊るように揺れる人影があった。こちらに向かって唇の端を吊り上げている。明らかに擬態能力を持った変異体だ。
「停めてください。俺がなんとかします」
「馬鹿いうな! 能力者じゃあるまいし――」
言い終わらぬうちにドアロックを解除し、雨に濡れた歩道へ飛び出す。革靴が滑りそうになるが気にしない。
相手は既に二人に増えている。どちらも若い女性の姿をしているが、細長く伸びた舌と爪、不自然な関節の動きが本性を物語っていた。
「ここからは通行禁止です」
片方が甘ったるい声で警告する。
「私たちはただ仕事をしているだけ。邪魔しないで」
俺はゆっくりと銃を構える。
「仕事? 人を襲うことがか?」
二人は嘲るように笑い合いながら接近してきた。一歩ごとに床が震える。重量感が増していく。
『殺せ』
頭蓋骨の中で声が爆発する。心臓が早鐘のように脈打ち、血管を押し広げる。指先が震えるが、銃口はわずかにもブレない。
「止まってください。まだ話し合えるはずです」
「馬鹿め」
一方が唾を吐くような勢いで言った。
「お前こそが私たちの”食糧”だ」
次の瞬間、彼女の体が膨張し始めた。衣類を突き破って灰色の毛が噴出し、顔面が獣のように変形していく。人型の狼といった外観だ。
「これが本当の姿よ」
もう一方も同様に変貌しながら告げた。
二体の獣が跳躍する。銃声が二度。それぞれの胴体に命中するが傷口は瞬時に閉じる。やはり通常兵器では致命傷にならない。
『もっと強く』
頭の奥底から響く命令。それに呼応するように銃把が熱を帯びていく。トリガーを引いた瞬間、弾丸が漆黒の輝きを放ち始めた。
次なる標的に向けて発砲すると獣の動きが明らかに鈍る。まるでエネルギーを直接奪われているかのようだ。
「なんだこれ……?」
獣たちは混乱した様子で距離を取り始める。
『もっと深く。もっと暗く』
声の調子が変わる。翔太のものとは違う。もっと底知れない深淵からの呼びかけだ。
「来るな!」
本能的に叫ぶ。
「近づくな!」
銃口を向けたまま半径十メートル以内を浄化するイメージを思い描く。足元から黒い煙のようなオーラが立ち込め、舗装道路を腐蝕させながら拡大する。獣たちの表面が焼け焦げるような臭気を放ち始めた。
「ぎゃあああッ!」
片方が苦悶の叫びとともに地面を転がる。
「お前……能力者じゃないはず……」
「教えてやるよ」
俺は静かに宣告した。
「俺は人間でもなければ完全な変異体でもない。闇属性っていう中途半端なものだ」
もう一体は仲間を見捨てて逃走を図る。しかし闇の瘴気が網のように広がり行き場を塞ぐ。やむなく再度突進してくる。
「終わりだ」
最後の一発。黒曜石の塊のような弾丸が脳天を貫通し、獣の身体を灰燼に帰す。残る一体も抵抗を諦め、崩れ落ちるように溶け消えていく。
周囲を見渡す。通行人は遠巻きに避難しており目撃者は少ない。だが防犯カメラは必ず捉えていただろう。これから説明責任が問われる。
タクシーに戻ると運転手は蒼白な顔で座席に縮こまっていた。言葉が出ない様子だったので、そのまま目的地へ送ってもらう。
巨大なガラス張りのビルの前で降りる。入口でセキュリティチェックを受けるが、名前とIDを見せると即座に通過。案内係の女性職員がエレベーターへと導く。
「中村さん。本日は統括司令官があなたの能力について説明があります」
「能力……ですか?」
内心自嘲しながら問い返す。
彼女は微笑んだだけで何も言わない。高層階へと上昇していく箱の中で俺は考える。この力は本当に自分自身のものなのか?それとも翔太の魂が俺を操っているだけなのか?
答えを見つけられる保証などないが、今はただ前へ進むしかない。