凍りつきそうな沈黙は准が打ち消した。
有り難いものの、重くのしかかった碇は落ちない。それでも這い上がらなければいけない。無理やり笑い、手を振った。
「それは大丈夫です! 押し倒すどころか、殴ってくれてもいいんですから」
殴って愛想つかして、去って行くのが普通なんだ。もうそれは覚悟してる。
なのにそうならない。どれだけ待とうとも。
准さんはいつもそうだ。失礼なことをしても、言っても……いや、たまに殴られたか。
だけど本当に“落ちてる”時は、温かい掌で頭を撫でてくれる。
優しく頬に触れるだけだった。
「お前ってドMだよな。痛い方にばっか話進めんだから」
会った時からそうだよな、って、彼は懐かしむように笑う。
その声、表情に目を奪われた。時間が止まった。
他に何も考えられず、彼を見た。鼓動だけが速く刻まれていく。
あぁ……。
俺は“好き”が分からない。自信が持てない。
でも、今さら過ぎるけど、……大事な人なんだ。
この人が幸せになれなかったらどうしよう。
そんな心配がまとわりついて、何だか胸が痛くなった。
「涼。創のこと、どう思ってる?」
「……?」
急に彼の名前を出され、涼は狼狽えた。
どう答えるのがベストか考える。
俺にとっての創さんは……。
「大事な人です。俺なんかの為に泣いてくれた、優しい人」
辛い時に寄り添ってくれた人。独りのときに助けてくれて、養ってくれた人。良い人、優しい人。
“信頼”しなきゃ。親からもよく言われていた言葉だ。
裏切られたとしても、信じなさいと。
あの濁りない、眩い睡蓮の絵みたいに。健気に、一心に、凛と咲く。准さんみたいな人のことだな。創さんも……そういう人“だった”。
「俺はあの人の為なら何でもできる」
どこに行っても、結局は創さんの元に戻る。
もう諦めた。彼のそばにいることが、俺にできる唯一の恩返しだ。
手足が痛くても、それはしょうがない。
部屋の隅で震える夜にももう慣れた。
………。
……戻る。
戻るのか。また、あの濁った日々に。
しょうがない。……しょうがないって言い聞かせてただけだ。実際は痛くてしょうがない。 怪我だらけの、この心が。
「……あ」
古い記憶が蘇る。
昔遊んだ川沿い、稲畑、古い家屋。
一面の星空、手を引かれて歩いた坂道。
育てていた植物、飼っていた犬。
大好きな両親。優しい人。
……気付けばもう、どこにもいなかった。