というわけで。
ミズキ様がするりと腕を上げ、自身の髪からカンザシを引き抜いた。
艶やかな藍の毛束がはらりと解ける。
「ミズキ様、御髪が……!」
「ああ、これ? ヘーキヘーキ、簡単に戻せるから。それよりもマリエッタ様、ちょっとこれを持ってくれるかい?」
差し出されたカンザシを戸惑いつつも受け取る。
突然、どうしたというのだろうか。不安にルキウスをちらりと見遣ると、私を安堵させるように柔く微笑んで、
「ミズキはね、この辺では名の知れた占い師なんだ。その人が今どんな”運命”に立っているかが見えるのだけれど、気に入った相手しか視てくれないんだよね」
「それはもしかして、このカンザシで私の運命を見てくださるということですの?」
言いながらミズキ様を見遣ると、彼は小気味よく肩をすくめ、
「運命だなんて、そこまで大層なものじゃないよ。ちょいと星回りを覗かせてもらって、好き勝手言っているだけさ」
ミズキ様がカンザシに向かって指先を伸ばすと、先端につけられていた雫型の粒たちが光を帯びた。
綺麗。ふよふよと揺れ動くそれに見惚れる私を、ミズキ様が真剣な面持ちでカンザシ越しに見つめる。
「……ああ、なるほどねえ。マリエッタ様は、”運命の出会い”を果たしたんだ?」
「! やはり、アベル様は私の”運命の人”ですのね!?」
「うーんと、運命の人といえば運命の人だけれども、将来の伴侶とかそういった意味合いの”運命の人”ではないよ。そういうのは運ではなく、人が……自分の心で決めるものさ」
「そう……ですわね」
落胆の中に、ほんの少しだけ、安堵。
その理由に思考を巡らせる前に、ミズキ様が目じりを和らげ、
「マリエッタ様。どうやらお前さんはこれから、変化の時期に入るようだ。それも少し、荒れ模様のね」
「荒れ模様……」
「なあに、怯えることはないさ。ひとつひとつ、時間をたっぷり使って迷ってみるといい。物事ってのは、気づかないところで連なっているからね。決断を急いで、後々身動きが取れなくなってしまっては嫌だろう?」
ミズキ様が手を退けると、カンザシの光がふと消えた。
途端、ミズキ様はにっと楽し気に口角を上げて、
「マリエッタ様の想い人はアベル様かあ。うーん、お目が高い!」
「!? あのっ、このことはどうか他には……!」
「言わないさ。マリエッタ様にはちゃーんとご自分の意志で、心に向き合ってほしいしね。外部からの騒音ほど、思考を鈍らせるものはない」
それにね、とミズキ様は茶目っ気たっぷりに微笑んで、
「マリエッタ様は、変化を恐れずに受け入れていく強さをお持ちだよ。納得いかない部分もあるだろうけれど、もっとご自分を信じてあげて。ね?」
「……ありがとうございます、ミズキ様」
初対面の、出会ってからまだほんのわずかしか経っていないというのに、ミズキ様は私を”強い”と称してくれた。
認めてくれたのだ、私を。
ただ変化に怯える気弱な令嬢ではなく。大人しく沈黙を保つ令嬢であれと、淑女を求めるでもなく。
(だからルキウス様は、ミズキ様に懐いてらっしゃるのね)
納得と、嬉しさにほわほわと心が浮き立つのを感じながら、私は手の内のカンザシを持ち直してミズキ様にお返しする。
ミズキ様は「ありがと」と受け取ったそれで、器用に髪を束ねながら、
「ルキウスとの婚約を破棄しようにも、なかなか大変だろう? アレは昔からマリエッタ様至上主義だからねえ。ひと休みしたくなったら、いつでもおいで。力を貸すよ。マリエッタ様なら大歓迎だ」
「心強いお言葉、ありがとうございます、ミズキ様」
感謝を込めて頭を下げてから、私はぐるぐる渦巻く胸中のわだかまりを口にする。
「あの、ミズキ様。この、私のアベル様への気持ちも、先ほどの”荒れ模様”のひとつなのでしょうか」
「うん? そうだねえ……嵐の中心には、確かに彼がいるようだ」
「……それは、私がアベル様を想うことによって、嵐が引き起こされているという意味ですの?」
(だとしたら、この恋心はこれから大勢を巻き込んでしまう、”よくない”ものなのでは)
おそるおそる訊ねた私を見下ろして、ミズキ様の双眸が驚いたように見開かれる。
けれどもすぐに優しい光を帯びて、
「私たち人間には、感情ってもんがある。それは運命に左右されるべきではないと、私は思うよ。それに未来ってのは、選択次第でどうとでも変わっていくものだからね。マリエッタ様がいま抱えている気持ちは、大事にしてあげてほしいかな」
諭すような優しい言葉が、私の不安をじわりと溶かしていく。
涙が浮かびそうな衝動を必死に耐え、私は感謝の笑みでミズキ様を見上げた。
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