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ディアナが神殿に居を移してから最初の1カ月間、ほぼつきっきりで指導してくれた王妃は、ディオナにとって第二の母のような存在になった。
もちろんリスターと結婚すれば義理の母になるわけだが。
右も左もわからないディオナのために手を尽くす王妃は、包容力がありいつも優しい。
おまけにお茶目な一面もある。
「神官たちには内緒よ?」
王妃が王都で流行中だという噂の焼き菓子を持ってきてくれた。
それを大胆にも聖樹のたもとでこっそりで食べようとの提案だ。
もちろんディオナは戸惑って、どうしていいかわからず目を泳がせている。
「聖女がこういった嗜好品を食べてはいけないなんて嘘よ。聖樹様はそんな気難しいお方ではないわ」
王妃は茶目っ気たっぷりにウインクする。
「だからそんなにオドオドしないで大丈夫。さ、いただきましょ」
焼き菓子を頬張る王妃にならい、ディオナも覚悟をきめてかじりついた。
神殿に来てからというもの、ディオナはシンプルな丸パンに野菜スープといった、実に質素な食事しか口にしていない。
「立派な聖女になるまでは、いろいろ我慢しなければなりません」
神官長は常に、お菓子などもってのほかだとで言いたげな顔をする。
もちろんディオナに反論の余地は残されていない。
久しぶりに味わう焼き菓子の甘さに、自然とディオナの頬が緩む。
そんなディアナを、王妃はうれしそうに笑いながら見ていた。
こうしてディオナは、定期的にやってくる王妃といい関係を築きながら聖女の修行に励んでいる。
かたや婚約者であるリスターとは、ほとんど会う機会がなかった。
ディオナはずっと聖樹の丘の神殿で暮らしているし、リスターがここまで足を運んでくることはない。
年に数回、王都で催される国家行事へ出席する際に顔を合わせるだけ。
隣に座ることを許されてはいたが、挨拶以外でリスターから話しかけてくることもなかった。
「あの子ったら、意外とシャイなのね」
王妃は息子のその態度に呆れた声で笑うことはあれど、問題視はしていない様子だ。
「わたくしと陛下もそうだったわ。大丈夫、結婚したら仲良くなれるにちがいないわ」
王妃様がそう言うのだから、そうなのだろう――ディオナにはまだピンとこない。
しかも、リスターがディオナに向ける視線にはいつだって小馬鹿にした感情が見え隠れしているのだから、俄かには信じがたい。
(本当にリスター様と仲良くなれるのかしら? もっと仲良くなるには、どうすればいいんだろう……)
ディオナは夜ひとりになると、寝台でよくそんなことを考えていた。
12歳で聖女に選定されたディオナには恋愛経験がない。
それでも、恋愛に対して年相応の憧れなら持っている。
その上、相手はリスター王太子殿下ときまっているのだ、期待感を膨らませていた時期もあった。
それなのにリスターは、まるで値踏みでもするかのようにドレス姿のディオナの頭からつま先まで視線を走らせた後、ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
紳士的にエスコートしてくれることもない。
「あの赤い髪が気持ち悪い」
「あんな下品な髪色の聖女様だなんてな」
と、ディオナを嘲笑するリスターと友人との会話を耳にした時、ディオナは己の愚かさを知った。
どうにかリスターと仲良くなれないか――そう思っていた自分は、なんと馬鹿げたことを妄想していたのだろう。
ディオナにとって、容姿を揶揄する言葉はひどく傷つくものだった。
リスターのプラチナブロンドの髪と碧眼は王妃譲りで、とても整った顔立ちをしている。
自分の容姿と釣り合わないと言いたいのか、それとも単純にディオナの赤い髪や紫色の目が趣味に合わないのかは不明だ。
言葉を交わすことすら避けている様子のリスターに、率直に理由を聞けるほどディオナは肝が据わっていない。
王妃に言いつけてとりなしてもらうのも、ちがうと感じている。
リスターといずれ結婚することになるのは既定路線だが、互いに愛情を持って接することは一生ないかもしれない――期待が大きかっただけに、失望も大きかった。
5年経つ頃には、ディオナはすっかりリスターとの距離を縮めることを諦めていた。
リスターもずっと彼女に向ける侮蔑の色を込めた視線を変えることはなかったし、両者の溝は深まるばかりだ。