テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
空気が、変わっていた。
蓮司は静かに、しかし確実に“種”を撒いていた。
最初はただの噂だった──「あのふたり、共犯らしいよ」。
次に“証人”が現れた──「見たって人がいる」「先生も知ってるって」。
誰も声を上げない。けれど、誰もが視線で撃つようになった。
笑い声が増えた。遥の席の近くで、わざとらしく。
“偶然”を装ったぶつかり、“無意識”を装った物の押し付け。
机の上に置かれた、コンビニ袋──中には潰れたコンドームと、生理用品と、
「これ、いる? お前らには大事でしょ?」という文字の書かれたメモ。
蓮司は笑わない。手は汚さない。
けれど、蓮司の周囲にいる人間の手は、次第に“蓮司の言葉”で動くようになっていた。
遥は、黙ってそれらを片づけた。
視線を落としたまま、何も言わない。
“黙っている”ことが、すでに「罪」とされていることを知りながら。
「なあ、マジでお前、なにされたん?」
誰かが、机越しに言う。
「気持ちよかったの?」
「声、出したの?」
「日下部にバレたくてやってたんじゃねえの?」
教室が笑う。何人かは目を伏せるが、誰も止めない。
教師は来ない。偶然のように、何も見ない。
──静かな教室、なんてもう、どこにもなかった。
その中で、日下部は遅れて教室に入ってきた。
手にしていた鞄が、教室の空気に触れた瞬間──何かを察したように、止まる。
遥と目が合った。
……ような気がした。けれど遥は、すぐに顔を逸らした。
蓮司が席を立つ。
あくまで「偶然」を装いながら、日下部の方へ歩く。
「よ、ヒーロー。今日も“彼女”は元気そうだな?」
言葉に棘はない。
けれど、聞いている者にしか分からない毒が、そこにあった。
「お前が守ってやんなきゃ、もう誰も触れねーんじゃね?」
そして蓮司は、日下部の肩をポンと叩いた。
「“セット”は一蓮托生だろ?」
その瞬間──遥の顔色が、明確に変わった。
怒りじゃない。恐怖じゃない。
それは、「理解」だった。
蓮司は、日下部すらも、道具にするつもりだ。
遥ひとりを「沈める」だけでは、足りない。
共犯者に仕立てられた者同士が、“互いに”信じられなくなるように、壊していく。
日下部は、蓮司を見た。
その顔には怒りも、反論もなかった。
ただ、唇をかみしめるように、静かに目を細めていた。
──壊れないように。
──今、誰かを殴るのは、蓮司の望む展開だと、知っているから。
そのまま、日下部は何も言わずに席に向かう。
遥の隣を通るとき、一瞬だけ、その手が止まった。
「……やめろ、蓮司」
低い声だった。教室の一部だけが、聞こえる程度。
だが、遥の中に何かが、かすかに揺れた。
“誰かのために、壊されようとしている人間”の背中だった。
自分じゃない誰かが、自分を守ろうとしている──
その“事実”だけが、遥の息を詰まらせた。
いま、この教室で、たった一人だけ──
まだ、自分を“人間”として見ようとしてくれている人がいる。
でも、それを認めたら。
そいつも巻き込むことになる。
──やめて。
遥は、叫びたかった。声にならない声で。
どうか、もう黙っていてほしい。
それ以上、自分に優しくしないで。
自分のせいで、その声まで潰れてしまうから。
でも、その祈りも、言葉にはならなかった。