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教室の中、空気がひとつだけ重く歪んでいるように感じた。日下部が出ていった後の静寂。残された遥は、ただ机に手を置いたまま、動かなかった。
「──で、どうだった?」
蓮司が口を開いた。声は軽やかで、微笑のようなものを浮かべている。けれど、その瞳の奥には何もない。問いかけではなく、確認だった。
遥は、何も言わない。言葉を選ぶ余裕もない。選んだところで、どうせ何かを削られると知っていた。
「やっぱりさ、あいつ、そういう顔するよな。怖くても声ひとつ出せなくてさ」
蓮司の言葉に、遥の肩がぴくりと揺れた。それを楽しむように、彼は机に肘をつきながら近づいてくる。
「お前もさ、見てたんだろ? 手ぇ出してなかっただけ、マシだったじゃん。なあ、“セット”なんだから、うまくやろうぜ?」
“セット”──その言葉は、今や呪いのように、教室の中に広がっていた。
蓮司はそうやって、二人を加害者に仕立て上げていく。日下部が“見ていた”こと。遥が“止めなかった”こと。それだけを切り取り、編集し、増幅させて、周囲に流す。
「教師も“証人”になるだろうしさ。お前らがやったってことにしとくの、わかりやすくていいんだよ。正義の味方も湧いてくるし、ね?」
遥の喉の奥で、何かが詰まる。言いたいことなんてない。ただ、飲み込むしかない。言えば、自分だけじゃなく、あいつもまた、潰される。
「大丈夫。まだ“お試し期間”だから。お前の加害者度、足りないなーって思ったら、ちょっとだけ“イベント”増やすけど、気にすんなって」
笑いながら言われたその一言が、遅れて遥の胸を抉った。心臓ではなく、肋骨の奥で、なにかもっと別の、大事なものが削られていくような感覚。
──どうして、あんな目をしていたんだろう。日下部。
何も言わず、ただ苦しんでいた。あれは、遥のせいだろうか。違う、と言えたらどれほど楽だっただろう。
「……オレは……」
初めて、声がこぼれた。小さく、掠れた呟き。けれど蓮司の耳は、それを見逃さない。
「ん?」
蓮司が、目の前に立った。遥の机に手を置き、その顔を見下ろす。
「何か言いたいなら、言ってみ?」
遥は目を伏せたまま、口を結んだ。心臓が痛い。けれど、どこも怪我などしていない。痛みの正体は、誰にも見えない。
「……何も言ってない」
「そっか。ま、そうだよな。お前は“ただ見てただけ”だもんな」
その言葉と共に、蓮司はふわりと肩を叩いた。その軽やかさが、何より重かった。
──“セット”は、壊れない。壊されるまで、逃げられない。
遥は机の下で拳を握った。爪が皮膚に食い込む感覚だけが、現実だった。
教室の窓の外では、曇天が静かに色を失っていく。