テラーノベル
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ことの発端はわずか5分前にさかのぼる。
「……結婚反対ーーー!! 絶対に、絶対に認めねえぞ!!」
東京、墨田区の片隅。軽トラ一台がやっと通れるほどの狭い路地に、親父の怒号が雷のように落ちた。
作業場兼物置のトタン屋根は錆び、壁には数十年来の染みが層を成している。年季の入った看板には、水道工事一式請負『春川設備工業』と記されている。
その隣にある、建て付けの悪い実家の引き戸を開けたまま、僕は石のように固まっていた。
「ただいま、って……親父、何だよそのバカでかいスパナ。母さんも、なんで塩の袋を両手で構えてるんだよ」
「うるせえ! お前は引っ込んでろ!」
親父が汚れた作業着姿で、24ミリのスパナを武器のように突きつけてくる。
「いいか、こんな……こんな雑誌からから飛び出してきたみたいな美人が、お前みたいな地味男に本気になるわけねえだろ! これは美人局だ!結婚詐欺だ! あるいは、うちの代々の図面を盗みに来た産業スパイに決まってる!」
「そうよ、陽一!いい加減、目を覚ましなさい!あんた、高い保険でもかけられたんじゃないのかい!?それか、なにか高い壺でも買わされたのかい?わかったわ。保険金殺人よ!ああ恐ろしい!あんたみたいなショボい男、このお嬢さんとは釣り合うわけない! さあ、帰った帰った!」
母さんが、玄関先で塩を撒く。至近距離から放たれた物理セキュリティ(お清め)は、見事僕たちに直撃した。
ガラガラ、ピシャッ!!
無情にも閉まる、建て付けの悪い引き戸。十一月の乾いた北風が、路地に残された僕らと、散らばった塩を虚しく吹き抜けた。
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芙月みひろ
92
#王子