テラーノベル
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第4話:『スカベンジ』
テムズ川の湿った冷気が、座礁した『ノーチラス号』の船室まで忍び寄っていた。
アランとリーザは、沈黙の中で装備を確認する。
カチリ、という硬質な音が響き、二人は互いに防護マスクを装着した。
言葉はない。
ただ、マスク越しに交わされた一度の目配せが、どんな誓いよりも深く二人の信頼を繋ぎ止めている。
ハッチを開ければ、そこは「死の街」ロンドンだ。
二人は住宅街の影に溶け込むように進んだ。手に入れたばかりの食料や医療品を鞄に抱え、徘徊する「ロストール」の軋んだ鳴き声から逃れるように、細い路地を選んで進んでいく。
だが、路地の出口で絶望が待ち構えていた。
数体のロストールが、腐った死肉に群がっているのを2人は視界に収める。
「マズい、リーザ……。道を引き返そう」
アランが声を押し殺して合図を送る。リーザは無言で頷き、慎重に足を引き戻そうとする。
――ガシャン。
取り返しのつかない音が、静寂を切り裂く。
それは、アランの靴が路上に転がっていた金属のスクラップを踏み抜いた音だった。
ピクリと、死肉を漁っていた異形たちの身体が反応する。
血の気が失せた二人を嘲笑うかのように、ロストールたちは一斉に耳障りな咆哮を上げた。
「リーザ!……下がれッ!!」
アランは叫ぶと同時に、右腕を縛り付けていた古びた包帯を引き千切った。
あらわになった「黒金色」の筋繊維が、意思を持つ生き物のように膨れ上がる。
襲いかかる一体の胸部へ、刃と化したその腕を突き立てた。
切り裂かれたロストールの朱い繊維が、アランの力によってどす黒く染まり、枯草のようにしおれて崩れ去る。
アランの「浸食能力」が、怪物の生命を根底から喰らい尽くしていく。
「アラン、後ろからも来てる……!」
リーザの叫びが響く。 前方の敵を屠ることに全神経を注ぐアランを救うべく、彼女は鞄から対ストリエイター用のスモッググレネードを掴み出し、迷わず地面へ叩きつけた。
直後、金属容器が砕ける音と、内部に圧縮された煙が噴き出す猛烈な排気音が重なり合う。
視界を白濁させる濃密な薬煙が、瞬時に路地を埋め尽くす。
不意を突かれたロストールたちが、感覚を麻痺させる特殊な成分に怯み、耳障りな悲鳴を上げて後退した。
二人は互いの体温だけを頼りに、怪物の気配が混乱に染まる路地を駆け抜け、テムズ川の泥濘を走り抜けてノーチラス号へと辿り着いた。
重い扉が開くと、機械油の匂いと共に、真鍮の義眼を光らせたギリアムが姿を現す。
「……遅ぇんだよ。ガキの使いにしちゃ あ、こっちの心臓に悪すぎるぜ」
ギリアムは毒づきながらも、泥塗れの二人を艦内へ引き入れた。ハッチが閉じ、外界の悪夢が遮断される。
「アラン、大丈夫? すぐに『マザーズ・クライ』の準備をするわね」
壁に寄りかかるアランに、リーザが献身的に寄り添う。その様子を眺めながら、ギリアムは鼻を鳴らした。
「……ったく。泥を啜ってでも、こうして生きて戻りゃあ今日は百点満点だ。リーザ、そのガキを奥へ運んでやれ。……今夜はマシな飯にしてやるからよ」
冷たい霧に包まれたロンドンにおいて、ここだけが彼らの唯一の「家」だった。