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「……はあ」
部屋に通された私は、ゆっくりとため息をついた。
雨によって、私はエンティリア伯爵家に泊まることになった。それは私にとって、かなり緊張することなのだ。
「まさか、こんなにも早く自分を試されることになるなんて思っていなかったけれど……」
当然のことながら、無礼があってはいけない。私は淑女として、この家で一夜を明かす必要があるのだ。
それはもちろん、当たり前のことを当たり前にすればいいだけではある。ただ、そう思っても不安はまったく拭えないのだ。
「まあ、こんな所で悩んでいても仕方ないわね……」
私は、意を決して部屋の外に出た。
そこには、知らない廊下が広がっている。
しかしながら、私はその廊下に見知った人達を見つけた。それは、先程会ったラルード様の弟さんと妹さんである。
「リーン様に、ルメティア様、こんな所で何をされているのですか?」
「あ、アノテラ様、こんにちは」
「ええ、こんにちは」
私が声をかけると、二人は笑顔を返してくれた。
エンティリア伯爵とよく似たその笑顔は、彼らの血を感じさせるものだった。
それにリーンの方は、ラルード様にもよく似ている。やはり兄弟なのだと、私は改めて実感していた。
「今日は、こちらにお泊りされるんですよね? せっかくですから、少しお話でもしたいと思って、こちらを訪ねてきたんです。ただ、部屋の戸をノックするかどうかを迷って……それで、ここで二人でどうするかを話し合っていたんです」
「なるほど、そういうことでしたか」
ルメティアは、私に対して二人がここにいた理由を丁寧に説明してくれた。
兄の婚約者、二人にとってそれは気になる存在であるらしい。先程から好奇心のようなものが垣間見えるので、これは恐らく興味本位の行動なのだろう。
故に部屋の前まで来て、迷っていたといった所か。迷惑じゃないかとか、色々と考えていたのかもしれない。
「もちろん、構いませんよ。えっと、どこで話しましょうか?」
「あ、それなら私の部屋まで行きましょう。生憎の雨ですから、外でのんびりお茶という訳にはいきませんからね」
「え、ええ、わかりました」
私の質問に対して、ルメティアは特に迷うこともなく即答してきた。
しかしながら、今日初めて会った私を部屋に招くなんて中々大胆な提案である。もちろん断る理由はないのだが、少々気が引けてしまう。
「アノテラ様、お気になさらないでください。ルメティアは、そういうことをあまり気にしませんから」
「え? あ、そうなのですね……」
そんな私に、リーンは小声で苦笑いしながら声をかけてくれた。
彼もこう言っているのだし、私が気にし過ぎるのも変な話だ。とりあえずここは、ルメティアの案に従うとしよう。
「あ、ここが私の部屋なんです」
しばらく歩いて、私達はルメティアの部屋の前まで来ていた。
彼女は、躊躇することなく部屋の戸を開け放つ。私もリーンも、そんな彼女に続いて部屋の中に入っていく。
「そこに座ってください。今、お茶をお入れしますから」
「ああ、ありがとうございます」
ルメティアの部屋は、なんというか装飾に溢れた部屋だった。
ベッドには天蓋がついているし、カーテンやカーペットも含めて派手だ。
ちょっと胸焼けしそうになる部屋の片隅で、彼女は紅茶を入れている。それ中々に、絵になる光景だと思えた。
「……すごい部屋でしょう?」
「え? ええ、そうですね。素敵な部屋だと思います」
「ルメティアは、小さな頃からこういう趣味なんです。部屋にあるものは、父上や母上にねだって買ってもらったんです」
「へえ、そうなんですか……」
小声で私に話しかけてくるリーンは、少しだけ語気が強かった。
それはラルード様に聞いた兄妹の不和が関係しているのだろう。
しかし、今の二人はどう考えたって仲の良い兄妹だ。その不和というものは、とっくに解消されているものなのだろう。
「お待たせして申し訳ありません。さて、何から話しましょうか?」
「ああ、わざわざありがとうございます」
紅茶を入れてきたルメティアは、リーンの隣の椅子にゆっくりと腰掛けた。
二人の距離は、明らかに近い。それだけで、仲の良さが伝わってくる。
「えっと、それじゃあまず私から質問していいですか?」
「質問、はい。なんでしょうか?」
「その、アノテラ様はお兄様のことをどう思っていますか?」
「え?」
ルメティアは、少し表情を強張らせながら質問してきた。
その内容は、少々大胆なものである。故に私は、少し面食らっていた。
「アノテラ様、すみません。いきなり、変な質問をしてしまって……」
「リーン兄様、別に変ということはないでしょう?」
「いやだって……」
「リーン様、私は大丈夫です。お気になさらないでください」
気遣ってくれるリーンに対して、私はゆっくりと首を振る。
なんとなく、私はルメティアの意図がわかってきた。彼女はつい先日自分の兄を襲った悲劇を気にしているのだろう。
婚約破棄、それは大きな出来事だ。その出来事は、ルメティアにとって二度と起きて欲しくないことなのだろう。
「ルメティア様は、ラルード様のことを心配しているのですね?」
「え、えっと……」
「ふふ、いい妹さんを持たれましたね、彼は……それに、いい弟さんも」
「あ、その……」
ラルード様は、弟や妹に恵まれている。私は、そのように思っていた。
それはきっと、彼の人柄がそうさせたのだろう。ラルード様は、絶対に優しき兄であったはずだ。そんな彼は、恐らくとても慕われているのだろう。
「……ラルード様は、とても素敵な方だと思っています。彼は紳士的で、可愛らしい笑顔をする人ですからね」
「可愛らしい笑顔ですか?」
「ええ、なんというか、彼を見ていると安心することができます」
私は、ゆっくりとラルード様に対する印象を述べていった。
そういう風に彼に対する考えをまとめたことは、今までなかった。故になんというか、私の気持ちも同時に整理できているような気がする。
「出会い方は少々特殊でしたが、良き婚約者に巡り会えたと思っています。ただ、少し気になるのは私がそんな彼に相応しいのかということですね……」
「え? それは、どういうことですか?」
「そもそもの話、私は皆様よりも地位が低い子爵家の令嬢です。以前婚約されていた方は伯爵家の令嬢でしたし、家柄的に問題があるかもしれないと思います。それに人間的にもそうです。私は、彼程に立派ではありませんから」
今の私の素直な気持ちは、大体そんな感じだった。
私はラルード様に、好感を抱いている。ただ同時に、劣等感のようなものも抱いているのかもしれない。
彼に相応しい人間、私はそれに該当するのだろうか。なんというか、少々自信がない。立派な彼と私は釣り合っていないような気がしてしまうのだ。
「……そんなことはありませんよ」
「……え?」
「僕はあなたが言う程に立派な人間ではありません。そしてあなたは、あなたが思っている以上に立派な人です」
そこで、私はかなり驚くことになってしまった。
部屋のカーテンの中から、一人の男性が現れたからだ。
その男性は、間違いなくラルード様である。どうやら彼は、先程までの会話を聞いていたらしい。
「すみません。盗み聞きしてしまって……」
「申し訳ありません。これは私が提案したことで……」
「……いいえ、大丈夫です」
ラルード様とルメティアは、ほぼ同時に謝罪してきた。
私はその言葉を止める。少し驚いたが、別に怒るようなことではないと思ったからだ。
ちなみにリーンは、一人だけ驚いた表情で固まっている。どうやら、彼は今回のことを何も知らされていなかったらしい。
「ラルード様、先程の言葉は嬉しく思います。でも、やっぱり私はそこまで自信が持てません」
「……それは僕も同じですよ。僕はあなたに言われる程立派な人間ではない」
「……それなら、お互い様という訳ですか?」
「ええ、そうなりますね……」
私とラルード様は、そこで笑い合った。
私達は、お互いのことを高く評価している。だがその評価に、お互いに追いつけていないらしい。
「ラルード様、改めてこれからどうぞよろしくお願いします」
「……いえ、こちらこそよろしくお願いします」
そこで私は、改めてラルード様に挨拶をした。
彼となら幸福な結婚生活を歩める。私はそれを改めて認識するのだった。