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「蓮。
今日は何処か行くか?」
仕事に戻った蓮が、書類を渡して社長室を出ようとしたとき、渚が言ってきた。
振り返ると、渚は今渡したものを捲って確認しながら言う。
「いつも俺が遅くて、まともなところで食事とか出来ないからな」
「……いいですよ。
無理しないで。
私は渚さんが居てくれれば、それでいいんですから」
と言うと、渚は手を止める。
こちらを見上げ、
「お前、時折、驚くような殺し文句を言ってくるよな」
と変に感心したように言う。
いや……そんなこと言った覚えはないのだが、と思いながら赤くなると、渚が手招きしてきた。
「なんですか」
と警戒しながら、じりっと近づくと、
「此処、打ち間違ってる。
直させろ」
と書類を指差す。
ああ、はいはい、と側に行き、渚の指差した箇所を見ようとすると、蓮の肩を掴み、顔の位置を下げさせると、頬にキスしてきた。
「なっ、なんなんですかっ。
もう~っ」
と頬を押さえて、遠ざかると、
「仕事中だから、遠慮して、唇はよしてみた」
偉いだろ? と言うように言ってくる。
「いや、あの、全面的にやめてください」
と言い、窓の方を見た。
「外から撮られてても知りませんよ」
と目を細め、睨む。
……撮りそうな奴、居るしな、と思いながら、ブラインドを下ろしていると、いきなり、渚が後ろから抱きついてきた。
「なっ、なんなんですかっ」
と腰に回ったその手をはたくと、
「いやいやいや。
お前自ら部屋を暗くするから」
誘ってるのかと思って、と髪に唇を寄せながら、言ってくる。
「いやあの、なんでそう緊張感がないんですかっ。
渚さん?
渚さーんっ?」
そう叫びながら、そういえば、今自分たちが置かれている状況がどんなものなのか、自分しかわかっていないのだから、渚に緊張感があるはずもないかと思っていた。
……驚いた。
脇田は携帯を切ったあとで、やめたはずの煙草を吸いに外に出ようとしていた。
外の自動販売機で、缶コーヒーを買っていた奏汰と出会う。
「お疲れ様です」
と奏汰はいつものように爽やかに挨拶してきた。
中に入ろうとする奏汰の襟首をぐっとつかむ。
「えっ? なんですか、脇田さんっ」
ちょっとちょっと、と奏汰を裏の駐車場まで引きずっていった。
駐車場で手を離すと、首が絞まっていたらしい奏汰は咳き込んだ。
「なんなんですか、もう~っ。
窒息するかと思いましたよー」
と言ってくる奏汰を冷ややかに見、
「いやいやいや。
殺してもいいかな、とは思ってるよ。
君、秋津さんにちょっかいかけてるだろ?」
と言うと、ぎくりとした顔をしていた。
ちょっかいとか、と笑う。
「その、もうフラれましたから。
……今、他の女の子を絶賛お勧めされてます」
とガックリと項垂れるので、さすがにちょっと同情してしまった。
「人でなしだね、あの人、ほんとに」
たぶん、奏汰の気持ちもよくわかっていないのではないかと思う。
渚が本気なことにも、なかなか気づかなかったようだから。
前の会社でのトラブルってそれでじゃないだろうな、とちょっと思った。
「秋津さんをなにか困らせてるみたいだけど、なんだったの?」
と問うと、
「それ調べるの、社長の指示ですか?」
と訊いてくる。
「それもあるけど。
僕自身が気になるのもあって」
と白状すると、同情を買ったのか、
「脇田さんもなかなか大変ですね」
と言われてしまった。
「いやその、秋津さんがちょっとでも付き合ってくれないかな、と思って、その、脅してしまったんですけど。
もうやめますから、心配しないでください」
「脅すって、なにで?
彼女が前の会社の上司にビールかけてやめたことじゃないよね」
「それ、いい加減、社内に広まってますよね」
脅しの材料になりませんよ~、と奏汰は言う。
「秘書に上がったし、社長がつきまとってるのも知られてきたし。
復讐に呑み会でビールかけられるんじゃないかってうちの部長が怯えてましたよ。
以前、セクハラまがいのこと、言ったことがあるらしくて」
あー、まあ、ビールはかけないと思うけど、と苦笑いした。
「でも、なにで脅したのかは言えませんよ。
だって、僕がバラすことになっちゃうから……」
と言いかけ、ふと気づいたように言う。
「ああ、でも、脇田さんはご存知かもしれないですね。
社長がなにも調べさせてないわけはないから」
と言うので、
「いや、ああ見えて、渚、その辺にはアバウトで、自分では特に調べてなかったみたいなんだよ」
とつい、社長を渚と呼んで教えてしまう。
「そうなんですか。
……脇田さんはご存知なんですか?」
と窺うように見て訊いてきた。
「今は知ってる。
渚も途中からは知ってたみたいだ。
っていうか、怪しいとは思ってたんだよ。
あの人、渚と似たとこあるから」
あのマンションの家賃、今は貯金があっても、いずれ、払い切れなくなるのではないかと思うが。
蓮には、いまいち、緊迫感も悲壮感もない。
本人自覚はないのだろうが。
いつかなんとかなると鷹揚に構えているかのようなあの感じ。
渚と同じだ。
なんとかならない事態を経験したことのない人間。
成長過程で、金に苦労したことのない人間特有の感覚だ。
うーん、と二人で腕を組み、渋い顔をする。
「どっちかって言うと……」
「社長の方が、財産狙いになっちゃいますよね。
稗田グループは母体的には大きいけど。
社長はまだ、この会社の社長に過ぎないですからね」
完全に格負けしてるよね、と脇田が呟いたあとで、二人で言った。
「ねえ、あの人、なんで、派遣社員やってるの?」
と顔を見合わせる。