海が穏やかだからか、船はほとんど揺れない。
ちゃぷちゃぷと音を立てながら進んでいく。
海はどこまでも透き通った青で、水に溶け込んだ絵の具のよう。
おまけに空も真っ青なんて、贅沢すぎるくらいだ。
漂う空気や吹く風も澄んでいて、吸い込むと身体が丸ごと浄化されているみたい。
北斗は、知らないうちに感嘆の声を漏らしていた。「綺麗…」
「ほんと、めちゃくちゃ綺麗ですよね」
突然、後ろから誰かの声が聞こえる。
振り返ると、にこやかな笑みを浮かべた男性がいた。身体は細いが、茶髪で明るい印象だ。
「すいません、急に話しかけてしまって。あの、俺、今日から『シエル』に入るんです。もしかして一緒ですか?」
「あ、はい」
「やっぱり。田中樹っていいます。よろしく」
「…松村、北斗です」
こんな船の上で自己紹介するなんて、思ってもいなかった。北斗はいつもの人見知りが発動し、声が小さくなる。
「同世代くらいですよね。俺27です。北斗さんは?」
「…僕も、同じです」
「えっほんとに? 偶然ですね。良かった、同年代の人がいて」
「あ、でも、ここは30代くらいまでの若年層を主に受け入れているらしいですよ。だから僕も、居心地がよさそうだなって思って」
「そうなんですね。じゃあ若い人が多そう。俺はただケアマネージャーさんに勧められたまま来たからな。でも、海が見たくて。すごい良いところですよね…」
辺りを見回し、ほほ笑みながら言った。
「…僕は、瀬戸内の出身なんです。もうちょっと東のほうですけど。瀬戸内海を見て育ってきたので、最後までこの海と一緒にいたくて」
北斗の口が自然と動く。なぜかこの人と話していると、緊張がどんどん消えていくような気がした。
「わあ、いいなあ。俺は関東だから、こんな穏やかな海があるなんて今日初めて見てびっくりしました。またあっちで会ったら、一緒に海を見に行きたいですね」
「はい、ぜひ」
船着き場に到着する。
樹は立ち上がり、北斗に手をそっと差し出す。「揺れると危ないです」
と言っても、樹も北斗と同じ心配される立場なのだ。「樹さんこそ」
荷物を持ち、手を握ってゆっくり立ち上がる。
「ありがとうございます」
手を離すと、樹は先に歩き出す。リュックサックの背中に北斗が続く。
「うわーすごい。俺、島って初めて来たかもしれない。北斗さんって、島育ちですか?」
後ろを振り返って言う。
「そうです。小っちゃい島ですけど、いいとこでした」
そうですか、と樹は笑う。北斗もつられて口角が上がった。
この人となら、友達になれそう。
これからの暮らしも、楽しくなりそう。
そう彼は思った。樹もまた、そんなことを思っていた。
どちらが先にいなくなるかはわからない。
そのときは、どちらかが悲しむかもしれない。
でもいずれは、どちらも空に行くんだから――。
続く
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