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北斗は、ここのスタッフのリーダーで医師の、マスターという人に施設のことをいろいろ教わったあと、部屋を案内してもらった。
視線の先には、先ほど見てきた海が広がっていた。瀬戸内海だ。
大きな窓から、青い海が見える。地平線のかなたまで、よく見える。
北斗はかばんを放り、思わず駆け寄る。ものすごく綺麗だ。これはきっと、樹も興奮しているだろう。
こんないい景色を毎日見れるなんて、ここまで頑張ってきてよかったな、と感じた。
先に送っていたスーツケースと、持ってきた小さめのボストンバッグから荷物を取り出し、棚やクローゼットにしまっていく。
自分はこれからここで暮らすだなんて、北斗は信じられなかった。
部屋が整うと、ベッドに飛び込んでみる。
ふかふかのマットレスが身体を包み込んでくれる。まさに夢見心地だった。
気づいたら、時計の針は12時前を指していた。気持ち良すぎて、眠ってしまっていたらしい。
もうすぐ昼食の時間だ。
マスターから、朝は8時、昼は正午、夜は7時くらいが食事の時間だと言われた。
食堂に行こうと、部屋を出る。
すると隣の部屋のドアが開く。顔を見せたのは樹だった。「あっ」
樹も気づき、笑顔を向ける。「北斗さん、お隣だったんですね」
「偶然ですね、ほんと」
「食堂ですか」
「そうです」
じゃあ一緒に、と歩き出した。
「あの……聞いていいですか、病気のこと」
北斗はおずおずと言った。「差し支えなければ」
「ああ。…僕は肺がんです。煙草がたたったみたいで、見つかったときには肺がボロボロでした」
自嘲気味に笑ってみせた。「北斗さんは…?」
「遺伝性の胃がんです。父と祖父がなってて、年齢的にももっと後かなって思ってたら、けっこう早くて」
「ですよね。俺も、20代でがんなんて信じられなかったですもん」
そう。ここは、死を受け入れたがん患者だけが過ごせる終の住処、ホスピス。
みんなが自分と同じ境遇なのだ。
食堂では、多くの人が昼食を摂っている。バイキング形式で、好きなものを取っていける。
「美味しそうですね」
樹が嬉しそうに言う。
「ええ。瀬戸内産のものがいっぱいで」
それぞれの料理のお皿には、料理名と産地が書かれたカードが添えてある。あたたかな文字の手書きだ。
病院食は調子が良くてもそんなに食べられなかったのに、なぜか今は食欲が湧いてきた。
2人並んで席につき、いただきますをする。
「美味しい」
「うまっ」
心から美味しいと思った。豪華ではないけど、必要な栄養と旨みが凝縮されている気がする。美味しさが身体の隅々まで行き渡る。すごく幸せだ。
「わあ、それ美味しそう!」
すると突然、明るい声がした。見ると、テーブルの向かいに長身の男性がいる。
「あ、すいません。俺、ジェシーっていいます。初めて見る方ですね」
「今日からここに入った、田中樹です」
「松村北斗です」
不思議と、初対面の人なのに声がしっかりと出た。
「隣、いいですか?」
どうぞ、と樹が答えると、2人の隣に座る。
「いつも一緒にいる高地ってやつが、今日は部屋で食べるって言ったので寂しかったんです」
友好的な笑みで言う。
「俺も、初めてで不安で。先にいる方に話しかけてもらえてよかったです」
「それはよかった。お2人若そうですけど、おいくつですか? ちなみに俺は26です」
「あっ、俺ら27なんで一つ下ですね」
樹が自分と北斗を指さした。
「そうなんですか! 近いですね、嬉しいです」
北斗は相槌を打つくらいだが、樹とジェシーは話が弾んでいる。そこで、病気の話になった。でも慣れているようで、声色は変わらない。
「2か月くらい前に、大腸にがんが見つかって。まあ親父もなってたんで、遺伝でしたね。樹さんってどこのがんなんですか?」
「俺は肺です。発見時にはもうステージ4で」
「そうですよね、俺も遅かったですもん。…えっと、北斗さんは?」
「あ、僕は胃です。ジェシーさんと同じ遺伝性」
みんなも同じだから、病気のことを言うのに恥ずかしくはない。そのことに、ちょっと安心感を覚えた。
「…そういえば、さっき言ってた高地さんって…」
今度は北斗が話題を変える。
「俺がここに来たときにはいた人です。それからなんか仲良くなって。高地優吾っていうんですけど、大体苗字で呼んでます。あっ、北斗さんと同じ胃がんですよ。でもスキルス性って言ってたな」
「スキルス…」
通常の胃がんよりも進行速度が速いタイプだ。だから発見時には時すでに遅しということがほとんどらしい。
北斗は会ってみたいと思った。同じ病気なら、いろいろ話せるかもしれない。
「僕、会いに行っていいですか?」
「全然いいと思いますよ。また一緒に行きましょう」
食事を終えると、各自の部屋に戻る。
「あー美味しかった」
また柔らかなベッドに身を委ねる。
本当に満足だった。こんな食事が毎日食べられるなんて幸せそのものだ、と北斗は感じた。身体や心、自分の全てが幸せだと叫んでいる。
そして、もうこの世からいなくなるとわかっているのに、親しくできそうな人に出会えたことが、すごく嬉しかった。
続く