テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
食後から寝るまでの一時間。その時間は好きだったけど、一番好きな時間へと変わった。
食事をした食器や調理器具を洗い、食卓を囲むちゃぶ台を丁寧に台拭きで拭き上げ、綺麗に乾いたところで各々の引き出しから原稿用紙と万年筆を取り出す。
ちゃぶ台に向かい合うように私達は正座し、黙々と文字を書き綴っていく。その時間は沈黙となるが、気を使うことも何もない。
それが気持ちが軽くて、心地良くて、温かくて。
一年振り、この世界に来てからで考えると一年半振りに私は物語を書き始めた。
普通の女子中学生が戦時時代にタイムスリップしてしまう。何度も読み泣いた話をまさか私も実体験で書くことになるとは、人生分からないものだなっと思いながら。
ひと段落しふぅーと万年筆の蓋をして置き、チラッと大志さんを見る。すると私の視線にも気付かないほどに原稿用紙と対面する目はキリッとしていて、瞬きもせずただ万年筆を走らせている。
その姿はとにかくカッコよく、輝いていて、黄金色のオーラを放ってような気がした。
そして何より目には輝きが戻っていて、今を全力で生きているのだとヒシヒシと伝わってくる。
一番楽しい時間の後は、一番ドキドキする時間へと変わっていく。
と言うのも、大志さんが布団を横にひき添い寝してくれるようになったから。
灯りを消せば真っ暗で、聞こえてくるのはドクンドクンとうるさい心臓の音だけ。
いや、分かってる。特別な意味はない。大志さんは、私を心配してくれているだけ。
だけど寝付けるわけもなく、目をギューと閉じる。
すると大志さんがむくりと起き上がる音がして、こっちに近付いてくる気配を感じ取る。
そんなことは初めてで、襖は大志さんの布団側にあり私の方に来る理由はない。そう思いながら脳内でパニックを起こしていると、温かな手で撫でられる頭。
嫌じゃない。むしろ嬉しい。だから大志さんの方に顔を向けると暗闇の中で目が合った。
真っ直ぐな瞳は私だけをとらえているみたいで、吸い込まれそうで、瞬きを忘れるほどだった。
「子守唄でも歌おか?」
「……はい?」
その言葉に目をパチパチとさせると、私に向ける表情はにこやかで子供に笑いかけるような目付きに変貌していた。
「子供扱いしないでください!」
布団をガバッと被り、火照った体と心臓の音を聞かれないようにと遮断する。
何、勘違いしてるの? バカバカバカ。私のバカー!
そんな日々を過ごす中で気持ちは楽になり、悪夢に魘される頻度は減っていった。
今気付けば間抜けだったと思う。こんな凄い人が間近にいたのに、気付かなかったなんて。
夕焼け色の空下。本日の田植えが終わり大志さんは昂さんのお母さんの手伝いに寄るから先に帰ってるように言われ、隣人の菊さんと共に家路に向かう。
この辛い戦況の中でも菊さんは笑顔を絶やさず村民に話しかけてくれ、自身の家族も戦地に居るというのにそれを見せないように振る舞っていてくれる。
そんな菊さんがちょっと待っててと言い、家から持ってきたのは一冊の本。
大志さんの家に並んである本に比べたら見栄えは悪いけど、それは何故がオーラのようなものを発しているような気がした。
以前より大志さんの字が達筆過ぎて読めないと嘆いていた私に、菊さんが印刷された文字なら読めるんじゃないのと貸そうとしてくれる。
「ありがとうございます」
その気持ちが嬉しく菊さんに向かってお礼を告げ合わせていた目線を本に下すと、心臓がドクンと音を鳴らした。
私が大好きな名前が、そこに記されてあった。
「これって……」
その後に続く言葉が出てこない。これってまさか。
「ああ、大志さんは菅原平成先生という筆名で書かれているから。平和の成り立ちなんて、良い名前よねー?」
にこやかに話す菊さんに返事も出来ず、せっかく用意してくれた本も受け取らず、呼び止める声に何も返せず、私は一人駆け出していた。
そんなわけないと自分に言い聞かせながら。
「はあ、はあ、はあ」
汗が流れ、心臓が音を鳴らし、キーンと響く耳鳴り。それは走ったからだけではなく、私の心が警報を鳴らしているからだった。