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「大志さーん!」
昂さんの家より帰路に着こうとしていたその姿に、私は一心不乱に駆け寄る。
「和葉。何かあったんか?」
顔を強張らせ周囲を見渡す目は鋭く、今が戦時中なのだと嫌でも伝わってくる。
「大志さんは……、菅原平成先生なんですか!」
息を整えるのも忘れ、そう問う。
お願い否定して。そんなわけないやん、って笑って。
私はまた願う。今度は自分の為ではなく、人の為に。
「なーんや、そんなことか。菊さんから聞いたんか? でもな、先生はやめてくれや。こんな売れない物書きに先生はないわ!」
先程の表情とは打って変わり眉を下げて、はははと大笑いをする。
久しぶりに見た満面の笑顔、だけど笑えない。肯定されてしまったのだから。
「ありがとう、久しぶりに大笑いしたわ。生きるわ、アイツらの分まで」
東京方面の空を見上げた大志さんの美しい横顔に、私は地べたに力無く座り込んでいた。
「え、どうしたん? 具合悪いんか?」
そんな私を、出会った時のように優しく背負って家まで連れて行ってくれる。
過去の世界で憧れの文豪に会えるなんて、夢のよう。まるで小説のワンシーンみたい。
茜色の夕陽、飛ぶ鳥達、野花。それらがまるで、世界を彩ってくれているみたい。
普通なら飛び跳ね、なりふり構わずファンだと告げたり、握手を求めたりするだろう。
だけど私に纏うのは、絶望、焦燥、そして使命感だった。
この時代にきた理由が、やっと分かったような気がした。そっか、私は運命を変える為に八十年先の未来から遣わされた存在だったんだ。
私は歴史の流れしか知らないから、個人がどうなるかは分からない。だけど、この人の運命は知っている。
神様、仏様、おばあちゃん、ありがとう。私はやるべきことをやるよ。
「屋根の上に飛んだ?」
「はい。取ってもらえませんか?」
私はそう言い、平家建ての屋根。高さ三メートルぐらいを指差した。
「分かった。ちょっとばかし、待っとき」
物置のドアを開け出してきたのは、木製のハシゴ。それを屋根に立てかけたかと思えば、抑えててくれるか? と私に声をかけてくる。
「はい」
ドクン、ドクン、ドクン。
体全てに心臓があるのかと思うぐらいに、私の体は激しい鼓動を感じ取れる。
大志さんは震える手でハシゴの端を持ち、一段、また一段と登る足までもが震えていて怖いのがよく分かる。
本当に優しい人。紙飛行機ぐらい放っておいたらいいのに。
「ないけど、どこらへんやったー?」
声まで震えているその姿。屋根の周囲を見渡し、意識が逸れている。今だ。
「……ごめんなさい」
私はあろうことか、ハシゴを反対に向け力一杯振り切る。
「え、うわあ!」
ガシャン!
ハシゴが倒れる音と、大志さんが落下した音が大きく響き渡る。
背中で受け身を取ったことにより激しく打ちつけた大志さんは、痛みでのたうち回っていた。
こうなることは分かっていたくせに、あまりにも痛がる姿から私は縮こまってしまった。
「ちょっと、大丈夫!」
庭に回って駆けつけてくれたのは、菊さん。うちにおかずを持ってきてくれたらしく、丁度声を掛けようとしてくれていたらしい。
「はい。ハシゴから落ちてしまいましたわ!」
歪んだ顔で無理に笑顔を見せ、頭を掻いて戯けて見せている。
「えー! 頭打ってない? 体は動くんか?」
「頭は打ってないです。指も動きます。体は……」
体を起こそうとする姿を見守る私の心臓は、バクバクと音を鳴らす。手をクロスさせ祈ることしか出来ないこの状態。
お願い──。
「問題なさそうですね。足も折れてなさそうですし、腕もしっかり動きます。いやー、良かったわ」
ふぅーと溜息を吐きながら、五本しっかり動く右指を安堵の目で見つめている。
「……ごめんなさい」
そんな大志さんの様子に私は唇をギュッと噛み締め、そう口にしていた。
何言っているのだろう? わざとのくせに。
「和葉が謝ることやないし。いやあ、みっともないところ見せてもたわ」
頭を掻き、眉を下げ軽快に笑って見せた。
え?
私がハシゴを傾けたこと気付いてないの?
「ほら、見ろ。俺は鈍臭いけど体が丈夫なだけが取り柄やからな!」
「……はい」
私は俯き、モンペをギュッと握り締める。
失敗した。どうしよう、早く次の手を……。
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